証明写真 ただの日常話


「あ、カイジさん」
「げっ……」

 オンボロアパートの二階の、玄関先で出会した家主が、自分を見るやいなや露骨に嫌そうな顔をしたので、しげるはその細い眉をすこし上げた。

「『げっ』てなに? 出会い頭で、ずいぶん、ご挨拶じゃない……」
「い、いや、その……」
 しまった、という顔をするカイジの姿を、しげるはじっとりとした目で見る。

 いつもの茶色い革ジャンではなく、黒のジャケットの中に白いカッターシャツをきちんと着込んでいる。しかも、普段は下ろしたままの長髪を、後ろでひとつに束ねていた。

 その頭のてっぺんから爪先までをとっくりと眺め回したあと、ややたじろぐカイジの顔を、しげるは覗き込むようにして見る。
「……これから、面接?」
「いや……違うけど……」
 なんだか歯切れの悪いカイジの言葉をしげるがひたすら待ち続けていると、やがて諦めたのか、カイジは大きなため息をついた。
「写真、撮りに行くんだよ」
「写真?」
 しげるがオウム返しすると、カイジはだるそうに頷いてみせた。
「そう……履歴書用の、証明写真」
 しげるは興味なさげに「ふうん」と呟く。
 それから「オレもついてく」と軽い調子で続けると、カイジはものすごく嫌そうな顔をした。
「ついてくんのはいいけど……お前、ぜったい邪魔すんなよ?」
 半眼になって釘を刺すカイジに、
「ガキじゃあるまいし……しねえよ、そんなこと」
 しげるもまた鼻白んだ顔で答える。
 カイジは胡散臭そうな顔をしていたが、やがて足を進めて錆びた階段を降り始め、しげるもその後に続いた。


 しばらく歩き、最寄りのスーパーマーケットに辿り着く。
 入り口からすこし離れた場所に設置されている、スピード写真の筺体の方へ、カイジはまっすぐ歩いていく。

 そして、その前まで来ると、くるりとしげるを振り返り、
「もっかい言うけど、ぜってぇ邪魔すんなよな」
 もう一度忠告してから、カイジは四角い箱の中に入ってカーテンを閉めた。

 邪魔なんかしないって言ってるのに。
 しげるは仏頂面になる。

 そんなにしつこく釘刺されたら、信用されてないみたいで面白くない。
 せっかくおとなしく待っててやるつもりだったのに、今のでその気もすっかり失せた。

 はっきりいって短気もいいとこだが、この一連の流れですっかり機嫌を損ねてしまったしげるは、しばらくの間、カーテンの下から覗くカイジの足をじっと睨んでいた。

 そうして頃合いを見計らい、やがて数分が過ぎた頃、しげるはやにわにバッとカーテンを捲った。
 そして、備え付けの椅子に座ってピンと背筋を伸ばしたまま、自分を見て硬直しているカイジを無視して、ずいと中に踏み込む。
 後ろ手に素早くカーテンを閉めた瞬間、フラッシュが眩く光り、「あ゙ーーーーっ!!」とカイジが大声を上げた。
「くそっ……どけよっ……!!」
 光った方向を不思議そうに覗き込んでいるしげるを、押しのけるようにしてカイジは身を乗り出し、食い入るように画面を見つめる。
 しげるもその視線の先に目を遣ると、今し方撮れたばかりの写真ーー驚いたような顔で口を半開きにしているカイジに被るようにして、眩しそうに目を眇めるしげるが端の方にバッチリ写りこんでいるーーがでかでかと表示されていた。
 みるみるうちにその顔を怒りで赤く染め上げていったカイジが、血相を変えてしげるに怒鳴る。
「おま、お前なぁっ……!! 邪魔すんなってあれほど……!!」
 胸ぐら掴んで憤懣をぶつけてくるカイジを真っ直ぐに見たまま、しげるはしゃあしゃあと答える。
「あんだけしつこく『邪魔するな』って言われたら、逆に邪魔しなきゃいけないような気がしてきて」
「芸人かお前はっ……!!」
 しげるにはそのツッコミの意味がわからなかったが、憤怒の形相を浮かべたカイジが全力で自分を押し退けようとしてくるので、とりあえず足を踏ん張って抵抗した。

 狭い空間でふたりが揉み合っている間にも、画面の中では着々と撮影が進められ、フラッシュが二度、三度と光る。

 やがて、
『撮影は以上で終わりです。使用する写真をお選び下さい』
 明るい女性の声がして、三枚の画像がパッと映し出された。

「あ〜……あああ……」
 表示された写真を見て、カイジはヘナヘナと脱力する。
 三枚とも、まるで単なる兄弟喧嘩の現場を写したようで、妙にアットホームな雰囲気さえ漂っている。
 履歴書なんかには当然、貼れるはずもない。
 互いの鬼気迫る表情とか本気で掴み合ってる腕とか、無駄に躍動感に溢れているのがまた、カイジの虚しさを誘う。
「……ヘンな写真」
 呆然とするカイジを余所に、他人事みたいにしげるが呟くと、うすく涙の滲んだ目でカイジはしげるをキッと睨みつける。
「一回四百円もするんだぞっコレっ……! 返せっ、オレの金っ……!!」
「べつに……この写真、貼ればいいじゃない」
 しげるはニヤリと笑って言ったが、カイジはそんな戯言など聞こえていないように、オレの四百円返せ返せと血眼で迫ってくるので、あまりのしつこさにうんざりしたしげるは、スラックスのポケットを探り、偶々入っていた五百円玉をカイジに向かって突き出した。
 かっ攫うようにしてそれを奪い取ると、「出てけっ……!」とカイジはしげるを外へ蹴り出す。

 カイジの嫌そうな顔を見て溜飲の下がったしげるは、特に文句も言わずおとなしく蹴り出されたまま、外でカイジが写真を撮り直すのを待っていた。
 中の様子が窺えないのがつまらないな、と思いながら、欠伸を噛み殺していると、しばらくして、完成したさっきの写真が投下口にぺらりと落ちてきた。
 カイジはやむを得ず、あの三枚の中から一枚を選んだらしい。

 しげるはそれを取り上げる。
 見れば見るほど、やはり、とてもヘンテコな写真だった。
 目を剥いて怒るカイジの顔なんて、特におかしい。
 怒っているはずなのに、なんだか間が抜けた表情に見えるのは、怒りより驚きが勝っていたせいだろう。
 六分割された狭い枠のなかそれぞれにきっちりと押し込められたふたりは、なんだか、犬の子みたいにじゃれ合っている風に見えなくもなかった。

 しげるがその写真に目を落としている間に、撮影を終えたらしいカイジがカーテンを開けて外に出てきた。
 写真の仕上がりを待っている間、しげるは先に撮れた失敗作をカイジに渡そうとする。
 が、カイジは写真をちらりと一瞥しただけで、受け取ろうとはせず、
「……お前にやる。こんなん使えねえし」
 と冷たく言い放った。
 しげるは眉間に皺を寄せる。
「……いらねぇ」
「オレだっていらねぇよ。お前のせいでこんな写真になったんだから、責任もってゴミくらい処分しろ」
 冷たく一蹴され、しげるは肩を竦めた。
 仮にも自分が写っている写真を『ゴミ』呼ばわりされた訳だが、しげるはそんなことで怒るようなタマではない。
 面倒くさそうな顔で写真を眺めていると、投下口からカタンと音がした。
 撮り直した写真ができあがったのだ。
 カイジはすぐに写真を取り出し、しげしげと眺める。
「ま……、こんなもんか……」
 目を眇めてそう呟いたあと、写真を大事そうにポケットに仕舞う。
「帰るぞ」
 そう言ってさっさとその場を離れようとするカイジと、手の中にある不出来な写真を交互に見て、
「キスでもしてやればよかったかな……」
 などと、不穏なことをしげるが呟く。
「あ? なにひとりでブツブツ言ってんだよ? 早く行こうぜ。……誰かさんのせいで、無駄に疲れちまった」
 はー、とわざとらしくため息をつき、うんざりした顔でポケットに手を突っ込んで歩き出すカイジを、しげるはムッとした顔で睨み、
「カイジさん」
 名前を呼んで、振り返りかけたカイジの肩に手を置くと、軽く背伸びをして易々とその唇を奪った。
「……!!!」
 もともと大きな目を裂けそうなくらい見開き、カイジはサッと唇を手で覆う。
「なっなっ、なん……っ」
 真っ赤な顔でヨロヨロあとじさって、信じられないという顔つきをするカイジを見て、やっぱりこっちの顔を写真に残すべきだったなと、さっき筺体の中でこの悪戯を思いつかなかったことをちょっと後悔しながら、しげるは手中の失敗作を、スラックスのポケットにねじ込んだ。





[*前へ][次へ#]
[戻る]