鬼と外 ほのぼの
「カイジさん、遊ぼう」
バイトの連勤明け。ひさびさに、丸一日休みの日。
昼まで惰眠を貪ってやろうと画策していたカイジの野望は、聞き慣れた少年の声にあっけなく打ち砕かれた。
うすい掛け布団を情け容赦なくひっぺがされ、カイジは眉を寄せてムニャムニャ言いながら体を丸める。
「カイジさんってば」と肩を揺すられて、ようやくうっすら開いた目つきの悪い三白眼で、ベッドの傍らに立て膝ついて自分の顔を覗き込んでいる少年の顔を思いきり睨めつけた。
「しげる……」
掠れた声で呟きざま、カイジは聞こえよがしに舌打ちする。
だが、しげるはそんなものまったく気にならないみたいに、好奇心旺盛な仔猫のような目でカイジをじっと見て、再度口を開いた。
「ねぇ、遊ぼう。カイジさん」
勘弁してくれ、とカイジは両手で顔を覆う。
ここ一カ月、大学生のバイトが卒論やらテストやら補講やらでシフトを減らしまくっている皺寄せが、カイジ他フリーターの身にモロに降りかかっており、まともな休みを取れていなかったのだ。
連勤に次ぐ連勤をこなし、這々の体でようやく泳ぎ着いた今日の休み。
それなのに、朝からこんな厄介なヤツに付きまとわれている。
「……もう、昼の一時だけど」
カイジの心を読みとったかのように、しげるが冷静な声で言う。
顔を覆ったままのカイジの指が、ぴくりと動いた。
一時? 嘘だろ……もうそんな時間かよ。
今朝は五時頃に布団に入ったのを覚えてるから、実質もう八時間は眠ったことになる。
そう認識した瞬間、体がずんと重くなった。
頭も鈍く痛んでぼーっとする。
寝疲れだろうか? こんなに長く、深く眠ったのはひさしぶりのような気がするから。
カイジは顔を覆ったまま、指の隙間からしげるをチラリと見る。
相変わらず、瞬きもせずやたらキラキラした目で自分を見つめている子供の額に、鬼の角の幻覚が見える気がした。
悪気がなさそうなのが、余計に厄介だ。
なぜ唐突に『鬼の角』の幻覚なのかといえば、たぶんバイト先で、最近ひんぱんに目にするからである。
ここ数年ですっかり定番となった『恵方巻き』は、カイジのバイト先のコンビニでももちろん棚に並んでいるが、明日になればもう、一本残らずその姿を消し去っていることだろう。
そのパッケージに描かれた、いかにも悪そうなのにどこかひょうきんで憎めない青鬼の顔と、それには似ても似つかぬしげるの顔を重ね合わせながら、カイジはぼそぼそ呟いた。
「……お前、今日がなんの日だか知ってるか?」
「?」
しげるはぱちぱちと瞬きする。
日付は愚か、曜日の感覚すらなさそうなコイツに聞くだけ無駄だったなと思いながら、カイジは続ける。
「節分だよ、節分……鬼はうちの中に入ってきちゃいけねえんだ。『鬼は外』って、聞いたことあるだろ」
しげるは黙って頷いたが、すぐに眉を寄せた。
「鬼って……もしかして、オレのこと?」
カイジはこくこくと頷く。
常識はねぇが、察しは良いから話が早くて助かるな、などと思いながら。
しげるは無言でカイジを見下ろしていたが、やがて、ゴソゴソとスラックスの腰のあたりを探ると、なにかを取り出した。
「オレ、カイジさんにはやさしくしてるつもりなんだけど……いったいどの辺が、『鬼』なわけ?」
額にぴたりと押し当てられる銃口の冷たい感触に、眠たげだったカイジの目が一気に冴え渡る。
跳ね起きるようにしてベッドの壁際に避難するも、照準はカイジに定められたまま、ピクリとも動かない。
冷たい怒りをたたえた目にひたと見据えられ、カタカタ震えながらその辺に転がっていた枕をぎゅっと抱きしめつつも、カイジは必死に言い返した。
「そういうトコだよっ……!! すっ、すぐに武力で脅そうとしやがってっ……!
オレはなぁ、きき今日はひっさびさの休みなんだよっ……!! せっかく安眠してたのに『遊ぼう』つって布団剥いでくるわ、ちょっと気に入らねえことがあるとすぐチャカ持ち出すわ、お前みたいなヤツを『鬼』って呼ばねぇで、いったい誰を『鬼』って呼ぶんだっつうのっ……!!」
裏返った声で言い切って、青ざめた顔でふうふうと肩で息をするカイジを、しげるは無表情に眺めたあと、ややあって、ふっと息をついた。
「ふーん……わかったよ。あんたがそこまで言うなら、出てく」
諦めたように言いながら銃を仕舞いなおすのを見て、カイジはほっと胸を撫で下ろす。
しげるは立ち上がると、間抜けにもひしと枕を抱きしめたままのカイジを一瞥し、
「せっかくの休みなのに、邪魔して悪かったね」
ちいさな声でそう呟いて、部屋を出ていった。
ぱたん、と静かに玄関の扉が閉まる音を聞きながら、カイジはベッドに倒れ込む。
ーーやれやれ、これでようやく平穏が訪れた。
カイジは幸福そうに口許を緩め、薄っぺらい布団に潜り込んで惰眠の続きを貪ろうと目を閉じる。
が、しかし。
一連の出来事が原因で、いつの間にかカイジの眠気はすっかり吹き飛んでしまい、寝ようと思ってもまったく寝つけなくなってしまった。
その上、無理やりにでも眠ろうと目を閉じると、この部屋を出ていく間際の、やけに寂しそうなしげるの姿が瞼の裏に浮かんでくるのだ。
カイジは強く目を瞑り、その残像を振り払おうとする。
馬鹿野郎。せっかく追い出せたってのに、貴重な自分の時間を取り戻せたってのに、オレはなんで、あいつのことなんて気にしてるんだ。
鬼は外。鬼は外。
そう自分に言い聞かせてみるが、飼い主に構ってもらえない仔猫のようにしょんぼりしたしげるの姿は、ますます鮮明さを増すばかり。
あいつのあんなしおらしい姿なんざ、十中八九演技に決まってる。
オレの同情を誘って、まんまと外に連れ出す気なんだろう。
そうはいくか、と心中で吐き棄て、カイジはしばらく布団に丸まったまま身を硬くしていたが、いまや完全に覚醒してしまった意識はどうしても、さっき出ていった少年の方へと向かってしまう。
盛大に顔を顰め、ギリギリと歯軋りなどしていたカイジだったが、
「っ、クソがっ……!」
苛立った声でそう毒づくと、八つ当たりのように荒々しく布団を剥いで床に飛び降りた。
適当な服に着替え、おざなりに髪を整えてから勢いよく玄関の扉を開け放つと、外は雲ひとつなくすっきりとした冬日和だった。
外の明るさに眩んだ目を眇めるカイジの耳に、喉を擽るような笑い声が飛び込んでくる。
カイジがそちらに目を向けると、さっき出ていったはずのしげるが、スラックスのポケットに手を突っ込んだまま、アパートの壁に凭れてクスクス笑っていた。
『してやったり』とでも言いたげに細められた目を見て、やはりさっきの萎れた態度は演技だったか、とカイジは悔しそうに唇を噛む。
九分九厘、そうじゃないかと踏んではいた。
だけど、『もし演技じゃなかったら』というごくわずかな可能性を、お人好しのカイジはどうしても棄て切ることができず、結局こうしてしげるの思惑に乗せられてしまうことになるとわかっていても、この扉を開けずにはいられなかったのだ。
「相変わらず甘っちょろいな……あんた。そんな調子じゃ、いつか鬼に喰われちまうぜ?」
しげるの言葉に、うるせー、と返し、カイジは不機嫌そうにぶすっとする。
「目が覚めちまったんだよ。……どっかの傍迷惑な鬼のせいで」
尖った口調に「あらら。それは大変」と笑い、しげるは壁に凭れるのをやめてカイジに向き直る。
「それじゃ……一緒に遊ぼうか。せめてもの罪滅ぼしだ、退屈はさせないよ。保証する」
誘うように蠱惑的な笑みを浮かべ、ポケットから抜き出した両の手で、しげるはカイジの腕を引いて歩き出す。
小鬼に外へ連れ出され、カイジの一日はこうしてようやく始まりを告げた。
終
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