赤い糸 暴力、流血注意



「加勢なんていらなかったのに」

 目の前で冷たいアスファルトの上に蹲っている男を見下ろして、しげるはぽつりとそう呟いた。

 男はゆっくりと顔を上げ、しげるを見上げる。
 その左頬には大きな青アザができていて、切れて血の出ている口の端を、痛そうに歪めながら男は口を開いた。
「大丈夫か……? 腕、痛むだろ……?」
 赤く腫れた瞼の下から、男はしげるの右腕を見る。
 半袖の開襟から伸びる白い腕の、肩の下辺りがざっくりと切られ、流れた血が指先からぽつり、ぽつりと落ちているのを見咎めて、ごく細くしか開かない瞼の隙間から見える黒い瞳が、痛々しげな色を宿す。

 しかし誰がどう見たって、男の方が重傷だ。それなのに我が身を顧みずに他人を気遣う男の思考が、しげるには理解できなかった。

「本当に、どうして手出しなんてしたの? こんな小競り合い、オレひとりでどうにだってできたのに」

『女を寝取った』という、身に覚えのない因縁をつけられ、しげるはこの路地裏に連れこまれた。
 しげるひとりに対し、相手は六人がかり。
 相手は二十代も半ばくらいの若い男たちだったが、やたらとガタイがいい輩ばかりで、中学生であるしげると比べると親子ほどの体格の差があった。

 それでも、最初は素早さを活かした立ち回りで互角以上に渡り合っていたが、劣勢を悟ると、相手は隠し持っていた武器で容赦なく襲いかかってきた。
 四方八方からナイフや鉄パイプで攻撃され、どうにかかわしつつやりあっていたものの、背後を取られて右上腕に深い刺し傷を負ってしまった。

 痛い、というより、ただ焼けるように熱い傷口をかばいながら闘いつつ、これ以上長引くとさすがにすこしキツイな、と思い始めたその時、よく聞き慣れた声が耳に飛び込んできて、自分に切りかかろうとしていたチンピラの中のひとりが勢いよく殴り飛ばされた。

「大丈夫か?」と問いかけつつ、自分をかばうようにして相手の前に立ちはだかった後ろ姿に、しげるは瞠目した。

「……カイジさん」

 その男は、しげるの恋人だった。男の家はこの場所の近くだから、きっと偶然、通りがかって罵声の中に『赤木』という名を聞き咎めたのだろう。

 しげるがその名を口にしたことで、仲間が加勢に来たと認識した相手は、標的をカイジに変えた。
 しげるももちろん応戦したが、カイジが自分の体の後ろにしげるを隠すようにし続けていたため思うように手出しができず、子供ひとりをかばっているせいで寄ってたかってただ殴られているような状態のカイジを、その背に守られながらただ眺めていることしかできなかった。

 どんなに殴られても蹴られても、しげるを背中に隠したカイジは、決して膝をつくことはなかった。
 しげるに深手を負わせ、カイジをボコボコにしたことで相手の溜飲は下がったらしく、不愉快な笑い声を上げながらその場をあとにした。


「オレのことなんか、放っておけばよかったのに」
 ふたりだけになって、ガクリと力が抜けるようにして足許にくずおれたカイジに呆れ、それ以上に憤りを感じながらしげるは声をかける。
 どんな素人だって、一目でヤバいとわかるようなあの状況で、武器もなく自分に加勢することは自滅となんら変わりない。
 そんなこともわからないあんたでもなかろうにと、ため息まじりにしげるが言うと、カイジは苛立ったように吐き捨てた。
「放っとけるわけ、ねえだろ……」
「どうして?」
 潰れた顔を上げ、カイジはしげるをまっすぐに見る。
「お前のことが、大事だからだよ」
 真摯な眼差しが、しげるの胸の深くを射抜いた。
 喧嘩の最中ですら醒めきっていたしげるの気持ちを、カイジの言動はいとも簡単に高揚させる。
 大事だと言われて、嬉しかった。そう感じる理由も、しげるにははっきりとわかっていた。

 自分はなんて単純なんだろう。
 笑い出したくなるような気分に逆らわずちいさく喉を鳴らせば、カイジが怪訝そうな顔で「なんだよ」と問いかけてくる。
 なんでもない、と言う代わりに静かに首を横に振り、負傷していない左手を差し出せば、カイジは右手を伸ばしてその手を掴む。
 腕を引いて立ち上がらせ、血で真っ赤に染まってぶらんと垂れたままのカイジの左腕を見る。
「お揃いだね」
 カイジはさらに訝しげに眉を寄せたが、しげるの視線の先にある自分の左腕と、同じように血を流すしげるの右腕を見比べ、その発言の意味するところを理解したようだった。
「……左右逆だけどな」
 くそ真面目にそんな答えを返し、「帰ろうぜ」と言って、カイジは足を引き摺りながら歩き出す。
 その右側に並び、歩調を合わせて歩きながら、しげるはカイジの小指に自分のそれを触れさせた。
 驚いたようにぴくりと動いた小指に小指を絡ませて、しげるは微かに笑う。
 しげるの右腕から流れる血と、カイジの左腕から流れる血。
 その二筋が、絡まった小指の先で繋がって、混ざりあった血がぽたりと地面に落ちた。
 瞼が腫れていなければ、大きく見開かれていたであろう糸のような目が、この行動の意味を問いかけてくる。
 横目でそれを見返して、しげるはすました顔で言った。
「これで繋がった」

 ふたりの間の、滴るような赤い糸。





[*前へ][次へ#]

8/18ページ

[戻る]