狐の嫁入り ゲロ甘



「似てない」
「いいや、似てる」

 針のように細い雨の降る、ある日。
 二本の開いた黒い傘の下、アカギとカイジはそんな言い争いを繰り返していた。

 ふたりが並んで見ているもの、それは石でできた台の上に前肢を揃えて行儀良く座っている、真っ白な狐の像である。

 なめらかなカーブで縁取られた全身のフォルム。
 鼻先の方へいくほど、細く絞られている顔のかたち。
 しっぽはたっぷりと太く、真ん中のあたりが膨らんでいて、ほっそりとした首許には、赤い前掛けが掛けられている。

「……ほら、特にこの眼。まんま、お前じゃねぇか」
 際立って特徴的な、きっと吊り上がった切れ長の眼に見下ろされながら、アカギは眉を寄せて隣のカイジを見る。
 その視線に気づき、カイジはニヤニヤしながらアカギを見返した。

 ボロアパートから歩いて十五分の距離にあるこの神社に、面白いものがあるからと連れ出され、徹マンで怠い体を引き摺り渋々ついてきたアカギに、自信満々でカイジが見せたのが、この狐の像だった。


 前にも似たようなことがあったのを思い出し、アカギは顔を顰める。
 この間は、行きつけの飲み屋の入り口にいる面妖な猫の置物に似ていると言われたし、カイジは最近、なんだかアカギに対して失礼なのである。

「動物に喩えるなら、お前は大型の肉食動物か猛禽類だと思ってたけど、狐ってのも割と近い気がするな」
 カイジはそう言って、喉を鳴らして笑う。
「人間に化けて人間の言葉を喋る、銀色の狐。千年くらい生きてて、しっぽはきっと、九本くらいある」
「……それって、もはや狐じゃないと思うけど」
 アカギのツッコミに、カイジは声を上げて笑った。

 今日のカイジは、やけに機嫌がいい。
『今回は一週間くらい世話になる』と、自分が言ったからかもしれないと、決して自惚れではなく、アカギはそう思った。
 なにせ、アカギが出て行くのが辛くて、飲み屋の前で蹲って泣いてしまうような男なのだ。
 いつもよりほんのすこし長い恋人の滞在を、喜んでいないはずがない。

「この狐、お前に似てるからさ。たまに気が向いたら賽銭投げて、『ギャンブル勝てますように』って神頼みしてみるんだけど、てんでダメ。からっきしご利益ねえのな、こんなに似てるのに」
「……だから、そこまで似てないって」
 わずかに険を含んだアカギの口調も、カイジは笑って受け流す。
 テンションが上がっているのか、いつもとは違ってずいぶんと余裕をみせるカイジに、調子を狂わされてアカギは舌打ちした。
「見せたかったものって、これだけ?」
 聞くと、素直な子供のように顎を引いて頷くカイジに、アカギはため息をつく。
「じゃあ、もう帰ろうぜ……」
 呆れ混じりに言って、返事を待たずに鳥居の方へ歩き出せば、「あっコラ、待てっ……!」と慌てた声とともに、カイジが小走りで隣に並んだ。
 わあわあと子供の喧嘩みたいに言い合いをしながら歩くふたりの姿に、すれ違った老夫婦が微笑ましげな視線を送っていた。


 真っ赤な鳥居をくぐり抜け、傘を並べて霧雨の街を歩く。
「あんたって、暇なんだな」
「あ……?」
 ぼそりと呟かれた言葉に、カイジは傘の柄を包むビニールを弄くっていた手を止め、片眉を上げてアカギを見た。
「あんな猫やら狐やらの置物に、周りの人間を重ねて遊ぶなんて、暇人のやることだろ」
 鼻で笑われ、カイジはむっとして言い返す。
「暇じゃねえっ……!!」
「暇じゃないの? 就職先でも決まった? カイジさん、ついに脱ニート?」
「い……いや、べつに……そういうわけじゃ……」
 畳みかけられると、途端にカイジは怯んだようにもごもごと口篭もる。

 その様子をアカギは横目で眺めていたが、しばらくして、ニヤリと人の悪い笑みを零した。
「ああ……わかった。暇つぶしでやってるんじゃないんだとしたら、あんた、寂しいんだな」
「……は?」
 これ以上ないほど怪訝な顔つきになるカイジに、アカギはつらつらと言い募る。
「オレがいつも傍にいないから、動物の置物なんかにオレを重ねて、寂しさを紛らわしてるんだろ?」
「はっ……!」
 今度は、カイジは鼻で笑う番だった。
「ばっかじゃねぇの? 自惚れんのも大概にしろっ……!」
「じゃあ、あんた、オレがいなくても寂しくねえの?」
「っ……、べつに。寂しいなんて、思ったことねぇよ」
 明らかに答えに詰まったのを取り繕うように、ことさら余裕ぶってみせるカイジを見て、アカギはすっと目を細めた。
「……悪いね。寂しい思いさせて」
「……だから!! べつに寂しくなんかねえって……!」
「はいはい。そうだね」
 軽くあしらわれ、カイジがさらなる反駁をしようと口を開きかけた瞬間、にわかに、ぱあっと辺りが明るくなった。

 空を見上げると、分厚い雲がわずかに切れ、その隙間から太陽が顔を覗かせていた。
 しかし、細かい雨は依然として、やわらかく降り続けている。

「……狐の嫁入りだ」
 カイジはぽつりと漏らした。
 雨で洗われた空気は清々しく、濡れた街路樹の緑が目に眩しい。
 さっきまでの会話をすっかり忘れ、珍しい現象に見入るカイジの横顔を、アカギはじっと見つめる。
「……じゃあ、オレも嫁入りしなきゃかな」
「えっ!?」
 淡々とした言葉に、びっくりしたカイジが顔を向けると、アカギは緩く口角を上げてカイジを見つめていた。
「……カイジさん、オレを娶ってくれる?」
 軽い口調で、歌うようにアカギは問う。
 狐の像に似ていると言われたことを踏まえての発言であることは確かだったが、アカギがこんな冗談を言うのは、非常に珍しいことだった。
 曖昧な表情も相まって、冗談か本気かわかりづらいアカギの顔を、カイジは嫌そうにじろじろと見る。
「……え…嫌だよ。こんなガラ悪くて、図体も態度もでかくて、おまけになかなか帰ってこない嫁なんて」
 アカギは可笑しそうに笑い、笑みに細まった目のまま、言う。
「確かに。……どちらかというと、嫁はあんたの方だよな」
「はぁ?」
 さらに嫌そうな顔になるカイジに、アカギはますます目を細める。
「ガラは悪いし、態度も図体もでかいけど、最低限の家事はできるし、作る飯もまぁまぁ旨いだろ?
 それに、夜の方だって、あんたが女役じゃない……」
「うわーーっ!! おま、さらっとなんてこと言ってくれてんだっ……!!」
 真っ赤な顔で慌てて遮るカイジにアカギはクククと笑い、「それに、」と付け加える。
「それになにより、あんたはオレのこと待っててくれるじゃない。長いこと帰らなくっても、寂しくても、ちゃんとね」
 カイジはぴくりと固まって、それからさらに赤くなった顔を思いっきり顰めた。
「だからっ……!! べつに寂しくなんかねえって……!!」
「本当に?」
 傘と傘がぶつかるくらい体を寄せて囁かれ、カイジは思わず身を引いた。
「……本当だよ」
 ぼそりと呟いて逸らされた目の、わかりやすい泳ぎっぷりにアカギは口許を撓めたが、なにも言わずに空を見上げる。

 霧雨はまだ降り続いていたが、もうじきに上がりそうだった。
 アカギが傘を閉じると、カイジの眉が潜められる。
「まだ、雨降ってんだろ」
「べつに……これくらいの雨なら、傘ささなくても平気だよ」
「お前はいいかもしれねえけどな……他の物に臭いが移って嫌なんだよ、洗濯するとき」
 くどくどと窘められ、アカギは「へえ」と呟いて目を丸くする。
「……やっぱり、あんたのが嫁だよな」
「やめろっ、気色の悪い……! いい加減にしねぇとマジ、殴るぞっ……!!」
 本気で嫌そうなカイジに、アカギはクスリと笑い、
「仕方ねぇな……それじゃ、あんたの傘に入れてよ」
 そう言って、カイジに肩をぶつけるようにして、大きく一歩、近づいた。
 カイジは顔を真っ赤にし、慌てて体を退けようとする。
「おっ、男ふたりで相合い傘とかっ……! おかしいだろっ……! だいたいお前、傘持ってるくせにっ……!!」
「さすの面倒なんだよ。いいじゃない、誰も見てないんだし」
「よくねえよっバカっ……!」
 そんなやり取りをしながらひとつの傘の下、端から見ればじゃれ合っているようなふたりの進む方向に、遥か空高く、大きな虹がかかっていた。





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