夜の踏切 カイジが乙女 カイジ視点
恋をした。
それ自体がえらくひさしぶりのことだった上に、相手はなんと同性。
しかもかなり癖のある男というか、とんでもない奴で、チキンランでブレーキを踏まずに断崖から飛び出したり、日本刀で肩を切られ脅されても自分の張った博打の目を変えなかったりと、命がいくつあっても足りないような生き方をしている、イカれた野郎だった。
こんな三重苦のような有様の恋に、オレはもう半年近くも振り回され続けている。
ある賭場で偶然出会い、その生き様と博打の才にほとんど一目惚れしたオレが、勇気を振り絞って話しかけて、根無し草のそいつを泊めてやったのが始まり。
その後も、奴は飄々と猫のようにやってきては、さして居心地もよくないであろう安普請のボロい部屋を塒にした。
ふたりでいると、胸が詰まって涙が出そうになる。
恋をしたのはもちろんこれが初めてではないが、ここまで想いを募らせた相手は、今までいなかった。
ふたりきりで部屋にいるときだけでなく、たとえば、今みたいに道を並んでぶらぶら歩いているだけでさえ、そんな風にこみ上げてくるのだから、本当に重症だ。
部屋に二泊した男が出て行くと言うから、いつものように見送るため、一緒に部屋を出た。
駅前のレンタルショップに用があるとか、単に暇だから散歩がてらついてくだけだとか、なんだかんだ嘘の理由を並べ立てて見送りに出ているが、本当は、すこしでも長い時間そばに居たいだけ。
だから、黒塗りの車がうちまで男を迎えに来てしまうと、かなりがっかりする。
恋する乙女のような己の思考を『気持ち悪い』と自嘲していたのはもう過去のことで、好きになりすぎた今はもうそんな自分を笑う余裕すらなく、ただひたすら焦がれては、そっとため息をこぼしていた。
「どうしたの」
いきなり声をかけられて、ビクリと肩が揺れた。
顔を上げると、思ったより近くにそいつの顔があって、息が止まりそうになる。
どうやら、ため息を聞かれていたらしい。
感情の読み取りにくい目が、オレのことをじっと見つめている。
その眼差しの鋭さが、胸の奥深くにまっすぐ切り込んできて、隠した心さえ容赦なく暴かれそうで、慌てて目を逸らす。
「べつに……ここ最近バイト続きで、だりぃなって思っただけ」
無愛想な声でそう答え、暗い気持ちになる。
本当は見つめ返したいのに。自分の欲求と言動との矛盾に、泣きたくなる。
嘘の理由に納得したのか、男は口を噤み、ふたりの間に沈黙が落ちた。
相手にしろオレにしろ、口数はさほど多くないので、ふたりでいても大して会話は交わさないのだが、それを気まずいとか、つまらないとか思ったことは一度もなかった。
二十三時。駅へと向かう下り坂に、人影はすくない。
夏のように蒸し暑い夜だった。汗をかきかき歩きながら、隣からの足音に耳を澄ませ、この時間がずっと続けばと心の底から思う。
ちょうど坂の終わりに、小さな踏切がある。
そんなに幅の広くない片側一車線の脇で、まっすぐに立っている黄色と黒のバーが見えたら、もうすぐ駅に着いてしまう。
駅までの距離がもっと遠ければよかったのに、と思って、またため息をつくと、それを合図にしたかのように警報機がけたたましく鳴り始めた。
オレは踏切の前まで来ると立ち止まり、ゆっくりと降りてくる遮断機をぼんやりと見上げる。
が、スタスタと歩き続けて線路の中に入っていく男の背中に、オレは焦った。
「っ、おい……っ!!」
オレの声は警報音に掻き消されて聞こえなかったのか、男は振り向きもせず、遮断機が降りきる前にさっさと向こう側に渡ってしまうと、そこで初めて隣にオレがいないのに気づいたように、振り返った。
「なにやってんだ、あんた」
男がいつもより大きな声で、怪訝そうに聞いてくる。
「それはこっちの台詞だっ……!! 遮断機降りてくんのに、渡る奴があるかよっ……!!」
普通はしねえぞ、と言いかけて、言葉が喉に詰まった。
『普通』なんて言っても意味がない。こいつは『普通』じゃねえんだから。
そしてオレは、こいつの『普通』じゃないとこに惚れたのだから。
オレが言葉を詰まらせている間に、遮断機は完全に降りきってしまい、オレは線路の向こう側にいる男を、呆然と見つめていた。
立ち止まった自分と、歩き続けたあいつ。
ふたりの世界が決定的に隔てられたような感覚に陥って、オレは唇を噛む。
明滅する赤い灯りが、相手の顔をわずかに照らす。
闇夜を不気味に震わせる警報音に、拭い去れない不安が募った。
オレの気持ちなど露ほども知らないであろう男はオレの顔を見て、淡々と言葉を投げる。
「あんた疲れてるみたいだし、オレも先を急いでるから、今日はここまででいいよ」
それじゃ……と軽く右手を上げて、男はオレに背を向けようとする。
「待て、アカギっ……!!」
焦燥に駆られ、咄嗟に男を呼び止めていた。
嫌だ。行くな。行かないでくれ。
対岸の背中が、遠く離れていくのを見るのが嫌だった。
不覚にも、涙で視界が滲む。
今度の声は警報音に掻き消されずに届いたらしく、アカギは振り返り、オレの顔を見た。
引き止めたい。どうすればこいつは、駅へと向かう足を止めるだろう?
なにを言えば、こいつをここへ引き止められるだろう?
焦りが募るなか頭を捻ってみても、言うべき言葉は、もはやたったのひとつだけしか思い浮かばなかった。
大きく深呼吸して、オレは肝を据える。
「そういえば、言い忘れてたことあんだけど」
顔を上げる。
不審そうな目がオレを見ている。
左手から電車が迫ってくる。
線路越しに想い人と見つめ合いながら、オレは声を張り上げた。
「オレ、お前のこと好きなんだ」
風を巻き上げ、ものすごいスピードで目の前を電車が走り抜けていく。
線路を軋ませ疾走する轟音を聞きながら、オレは汗塗れの掌をぎゅっと握り直した。
言った。
言ってしまった。
心臓が壊れそうだ。
最後の言葉がちゃんと耳に届いたことは、電車が飛び込んでくる直前の、アカギのわずかに見開かれた目でわかっていた。
震える足を踏ん張って立ち、静かに目を閉じる。
この電車が通り過ぎたあとで、まだあいつが向こう側にいてこちらを見ていたら、オレの勝ち。
さっさといなくなっていたら、オレの負け。
なにに勝って、なにに負けるのかはわからないけど、とにかくオレはそんなことを思いながら、向こう側にいるアカギの姿だけをひたすらイメージし続けていた。
やがて電車が通り過ぎ、警報音が鳴り止む。
辺りに静寂が戻る。
オレはゆっくり目を開き、顔を上げて線路の向こう側を見た。
終
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