七から八へ 痒い



『七転八倒』

 暇に飽かしてやっていた雑誌のクロスワードパズルの、特定のマスを繋げて浮かび上がった答えであるその四字熟語に、カイジは眉を寄せた。
 表情を動かした拍子に、まだ閉じきっていない瞼の上の縫合痕が痛み、さらに顔を歪める。
 鉛筆を白い掛布の上へ投げ捨て、風船から空気が抜けるようにしおしおと萎れて雑誌の上に突っ伏すと、ベッドの横の丸椅子に座って漫画雑誌をぱらぱらと捲っていたアカギが声をかけてきた。

「どうしたの? 答えわからなさすぎて絶望した?」
 カイジは顔を上げないまま、首を横に振る。
「……オレの人生の答えも、一緒に出た」
 そんなことを呟くカイジの右足は、只今骨折中で全治三ヶ月、包帯でぐるぐる巻きにされていてぴくりとも動かせない。


 カイジが借金取りに捕まって蹴られ殴られ、這々の体で逃げた挙げ句、この病院に入院したのが一週間前のことだった。
 たまたま、逃走中のカイジを移動中の車内から発見したアカギが、隣に座っていた組長に頼んだおかげで拾ってもらえ、帝愛の目の届かないアングラ病院に入れたのは不幸中の幸いと言えたが、それでも久々にかなりの痛い思いをしたカイジは、こんなことばかり続く自分の人生に、ほとほとうんざりしていた。

 先の呟きも、そんなカイジの腐りきった気持ちから発せられたものである。
 常にどん底の人生で、もんどりうって七転八倒。
 まさに自分にぴったりの言葉じゃないかと、カイジはひっそり自嘲の笑みを漏らした。


 アカギはそんなカイジをしばし眺めていたが、突っ伏したカイジの顔の下から雑誌を引き抜くと、カイジの『人生の答え』とやらをしげしげと眺めた。
 それから、顔を伏せたまま微動だにしないカイジのつむじを見て、眉を上げた。

「あんた、意外に自分のことわかっちゃいないんだな」
「……あ……?」

 カイジが亡霊のようにゆらりと顔を上げると、アカギは掛布の上に転がっていた鉛筆を手に取り、雑誌になにやら書き込みはじめた。
 カイジが怪訝そうにその手許を覗き込むと、『七転八倒』の『倒』の字が、大きなバツ印で消されている。
 淡々と手を動かしながら、アカギは口を開いた。

「……あんたは七回転んだら、その上をいく八回起き上がる。どんな大怪我をしようとも、転げて落ちた先が奈落の底だろうとも、必ず」

 そして、バツで消された『倒』の上に、丁寧な字で『起』と書きこむ。

「オレは、その七から八へ移ろうとするときのあんたに、心底惚れてるのさ。だから、あんたはそのままでいい」

 そこまで喋ると、アカギは顔を上げてカイジを見て、ゆるく口端を上げた。

「自己嫌悪に陥ってる暇があったら、起き上がることだけ考えてな。七転び八起き。その生き方を、貫き通しなよ」

 ぽかんと口を開いたまま、瞬きも忘れ、カイジはアカギの言葉に固まっていた。
 窓から吹き込む初夏の爽やかな風が、ふたりの髪をやさしく揺らす。

 やがて、アカギからぎこちなく顔を背けると、カイジは怒ったような口調で呟いた。
「っかやろ……恥ずかしげもなく、そんなこと……」
 それから、いきなり口をぽっかりと開け、わざとらしいほど大きな欠伸をひとつすると、仰向けに寝転がった。
「なんか、急に眠くなってきた。……寝る」
 目を瞑り、ぶっきらぼうにそう言った、カイジの目端に引っかかっている涙の粒に、アカギはふっと目を細め、
「おやすみ」
 と呟いた。






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