いいこと 指を舐める話
「ねぇ、カイジさん」
深夜。
雑誌を読んでいてふと、気になることがあったので、しげるは顔を上げずにカイジを呼んだ。
しかし、しばらく待っても返事がない。
首だけで振り返り、背中をもたせかけているベッドの上を見ると、さっきまでそこでゴロゴロしていたカイジが、壁の方を向いて動かなくなっていた。
しげるは雑誌を閉じ、身を乗り出してその顔をのぞき込む。
体をちいさく丸め、カイジはすやすやと眠っていた。
いつの間に眠ってしまったのだろう。お互い黙ったまま、思い思いの時間を過ごしていたから、カイジが眠っていたことにしげるも気がつかなかった。
そばに寄ると、じんわり体温が高いのがわかって、なんだか赤ん坊みたいだとしげるは思った。
そっと髪を除けて首筋に手を当てると、冷たかったのか、カイジは顔をしかめてむにゃむにゃ言う。
口許の辺りに置かれている手がゆるく丸まり、その仕草が尚のこと赤ん坊めいて見える。
薄い皮膚一枚隔てた下から、どくどくと脈打つ鼓動が伝わってきた。
首筋に当てた掌はそのままに、人差し指と中指で耳朶を挟んでこすると、どこもかしこもぽかぽかとあったかいカイジの体のなかで、そこだけがひんやりしていた。
その、ひんやり、に、なぜかしげるは欲情を催した。
しげるのスイッチの入り方は、いつもこんな風に唐突だ。
なぜこんなことで、と思うようなことで、うっかりムラっときてしまうことが、ままある。
まるで、なにもないところで転ぶような感覚をしげるはいつも覚えるのだが、あえて起き上がるようなことはせず、兆したものに緩やかに身を委ねるのがしげるのスタンスだった。
だからしげるは、カイジの肩を強く揺さぶり、耳許で名前を呼ぶ。
「カイジさん」
「……あ?……」
寝入り端を呼び起こされ、思い切り不機嫌そうな声を上げて薄目を開けたカイジは、その後に続いた
「キスしてもいい?」
というしげるの言葉に、眉間の皺をさらに深めてしげるを見上げた。
「寝てる人間無理矢理起こしといて、言う台詞じゃねえだろ……」
「したくなったものは、しょうがないじゃない」
自分勝手な理屈で言い訳しながら、しげるはカイジの返事を待たず、顔を近づける。
眠気のせいで抵抗するのも億劫なカイジは、眉間の皺を消さぬまま、諦めたようにため息をつき、目を閉じた。
しかし、一刻も早く眠りに戻りたいという意志を断固として貫き通すため、唇が重なる直前に一言、
「……舌入れたら、殴る」
低く牽制する。
ーー殴るだけで許してくれるなんて、カイジさんはなんて優しいんだろう。
と、しげるは率直に思ったが、馬鹿にしていると思われそうなので、口には出さない。
めいっぱい殴られてでも、唾液の滴るようなキスをしたいと思ったが、譲歩を示したカイジに免じて、ここはこらえることにした。
小鳥が餌を啄むように軽く、触れさせてから唇を離すと、カイジはやはり目を閉じたまま、浅くため息をついた。
ちらりと、赤い舌が覗く。
色が薄く、かさついた唇の間で、それはやたら赤く、艶めいて見えた。
熱を帯び、ぬめっているであろうそれの感触を確かめたくなったが、舌を入れることは禁じられている。
しげるは舌の代わりに、人指し指をカイジの口内に差し込んだ。
「んん……!?」
上がった声を無視して、指でかき回すように探る。
ぬるぬるしているのに、ざらざらしている。そして、あたたかい。やわらかい。
ひどく、官能的な感触だった。腰骨がむず痒くなり、しげるは身じろぎする。
カイジが目で抗議してくる。
逃れようと顔を動かすと、舌も動いてしげるの指をぬらりと這う。微かに歯が当たって、その感触がまた性的興奮を誘う。
指先の感覚神経がひどく敏感になって、しげるは指も性感帯であることを初めて知った。
続けているうち、やがてしげるはどうにも辛抱たまらなくなった。
指を入れたまま、再度唇を重ねる。
「ちょ、しげ……ぅ、ん」
慌てた声を塞ぎ、舌と指で軟体動物を髣髴させるカイジの舌を、思う存分愛撫する。
絡ませ、なぞり、吸い上げて味わえば、快感がダイレクトに下半身に響き、触れてもいない己の性器がすこしずつ芯を持ち始めているのをしげるは感じた。
溢れた唾液が、しげるが指を入れている口の端から滴り、流れ落ちて、ひんやりしていた耳朶を掠め、濡らす。
その頃になってようやく、しげるは唇を離した。
軽く唇を掠めるくらい間近で、興奮に荒くなった息を整える。
カイジは憤怒の形相でしげるを睨みつけているが、その目にはうっすらと、性感による涙の膜が張っていた。
唾液ですっかりふやけた指で、名残惜しげにカイジの唇をなぞりながら、しげるは囁いた。
「ごめんね。殴っていいよ」
「お前、なぁ……!」
悪びれた風もないしげるの言い方に、カイジは拳を振り上げる。
しげるは微動だにせず、それが振り下ろされるのを待った。
カイジは拳を振り上げたまま、しげるをしばらく睨んでいたが、やがて本日何度目になるかわからないため息をつくと、その拳でしげるの頭を軽く小突いた。
殴らないのか、と驚くしげるに、カイジは忌々しげに吐き捨てる。
「いい加減、我慢ってもんを覚えろ、このエロガキ……!」
エロガキ。
そんな風に言われたのは生まれて初めてで、怒りは沸かず、むしろ新鮮さに感動すら覚える。
カイジさんに、自分はそんな風に見られていたのか。
確かに、カイジさんに対しては欲望に忠実に振る舞っているけれど。
じゃあ、と、しげるの邪な心がむくむくと鎌首をもたげる。
(オレのことを我慢のきかないエロガキだってわかってるんだったら、もうちょっとやらしいことしても、それはきっとカイジさんの想定内なんだよね)
「ごめん……でも、指舐められるの、気持ちよかったから」
口先だけで謝って、しげるはカイジの左手を取る。
そして、合図のようにその指先に軽く口づけると、人差し指をぱくりと口に含んだ。
「あ……? なにやってんだ、お前」
怪訝そうな声にちらりと目線を上げ、すぐに目を伏せて太い指に舌を這わせる。
今の今まで眠っていたせいで、指先はあたたかく、しみついた煙草の香りがほんのりと苦い。
指の腹を丁寧に舐め、爪の生え際をなぞる。
付け根まで口に含むと、カイジが息を飲む気配がした。
節くれだった指の、関節だけ尖らせた舌でなぞり、その他の部分は舌をやわらかく押しつけて絡める。
時折、ちゅ、と音をたてて吸い上げると、それに反応して指がぴくりと動く。
戯れに軽く歯を当ててやれば、徐々にカイジの息が乱れていくのがわかった。
「しげ……る、」
名前を呼ぶ声が、震えている。
たっぷりと時間をかけ、余すところなく、ふやけるほど人差し指を舐めつくしたあと、ときどき歯をたてながらゆっくりと口内から指を抜く。
カイジの顔を見ると、さっきまでの怒りは完全に形を潜め、困ったような表情で瞳を潤ませてしげるを見つめていた。
ふ、と目を細め、
「……気持ちよくない?」
そう言って、カイジの顔を上目遣いで見たまま、生々しい付け根の傷跡をぬらりと舐める。
「っふ……」
カイジが微かに声を漏らし、唇をきゅっと噛んだ。
ぞくりとした。
その声は、いけない。
いけないことを、したくなる。
「カイジさん、オレと、いいことしない?」
いけないこと、を、いいこと、と言い換えて、しげるは早速誘ってみる。
するとカイジは、濡れた目をちょっと見開いたあと、ぷは、と吹き出した。
「お前それ、なんかオヤジ臭いぞ」
カイジが笑ったので、しげるは内心、よし、と思った。
笑わせてしまえばこっちのものだ。
今までの経験上、たいていのことはこれで九分九厘、許されたと言っても過言ではない。
それが証拠に、
「すきだよ、カイジさん」
そう言って、しげるがじゃれつくように襲いかかっても、カイジは怒らないで、笑ってくれた。
終
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