影踏むばかり近けれど 甘々



 ふたりで道を歩いているとき、アカギは決まってカイジのすこし先を歩く。
 歩くのが遅いというわけでも、歩幅が狭いわけでも決してないのに、気がついたらカイジはアカギの背中を斜め後ろから見ていることが多かった。
 それは物理的に存在する道を歩くときだけではなく、普段カイジがアカギに対して抱いている感覚的な距離をそっくりそのまま現しているようで、カイジは夕陽に照らされるアカギの白い後頭部を、眩しげに睨んだ。

 今回、アカギの滞在はたったの二日間だった。どうやら明日、関西の方で代打ちの仕事があるらしい。
 東京駅への電車に乗るため、駅に向かうアカギを見送りに、なんとなくカイジも付き添ってきたのだ。
 詳しい話は聞けなかったが、今度の代打ちではなんと億単位の金が動くらしい。
 まるで他人事のようにつるっとそんなことを喋るアカギの顔は、今にも欠伸を漏らしそうなほど退屈げで、大勝負を前に泰然としているその様子に、カイジは心の底から戦慄した。
 それと同時に、毎日ぐうたら過ごしている自分の立ち位置とアカギのそれとの圧倒的な差異に、茫然と立ち尽くしているような気持ちになった。


 こうしてふたりで歩き、アカギの背中を見るとき、カイジの心にその気持ちが蘇ってくるのだ。
 影を踏めるくらい傍にいるはずなのに、その背中は果てしなく遠くて、同じ世界の同じ道を、一緒に歩いているってことを、たびたび忘れてしまいそうになる。
 アカギがべつの次元を生き、歩いているみたいに感じられて、自分だけ取り残されたような焦燥と不安が雨雲みたいに心を覆う。
 やりきれないような気持ちを抱えたまま、カイジは長く伸びるアカギの影を睨み、真っ黒なその頭の部分を、靴でそっと踏んでみた。
 自分からぐんぐん遠ざかって行こうとするアカギを、そうすることで繋ぎ止めようとでもするかのように。

 と、瞬間、アカギがくるりと振り返ったので、カイジはびくっとする。
 慌てて影から足を退けようとし、派手によろけてたたらを踏んだ。
「……っ!!」
「……あらら、なにしてるの」
 挙動不審なカイジにアカギが笑みを含んだ声をかけ、踵を返して近づく。
「きゅ、急に振り返んなっ……! びっくりするだろうがっ……!!」
 滅茶苦茶な理由で怒りながら、カイジはほっとしていた。
 背中に目でもついてやがるのか!? と思ったが、どうやら、影を踏んづけたことを勘づかれた訳ではなかったらしい。
 アカギは緩く首を傾げる。
「なんでそんな後ろにいるの。ちゃんと隣、歩けばいいのに」
 なんの気なしにアカギが放ったその言葉に、カイジの目の縁がわずかに大きくなる。
 あれだけ遠く感じていたアカギ自身の口からそんな言葉が零れ出るなんて、思ってもみなかったからだ。
「……どうしたの?」
 黙り込んでいるカイジに、アカギがさらに近づく。
 すると、逆光でわかりづらかったアカギの、心底不思議そうな表情もカイジに見えるようになった。

 ああ、そうか。
 遠いとか、べつの次元に生きてる気がすると思ってるのは自分だけで、アカギの方はまったくそんなこと感じちゃいないのだ。

 そんな、あたりまえのことにいまさら気がついて、カイジはなんとなく気持ちが緩み、同時に涙腺まで緩みそうになって、慌てて目線を斜め下へ逸らした。
「うるせー……お前歩くの速えーんだよっ……」
 潤んだ目を誤魔化すため、わざと怒ったような声を出すカイジに、アカギはまた「あらら」と言って笑う。
 それから、カイジの右隣に並び、前を向いたままぽつりと言った。
「……影なんて踏まなくたって、ちゃんとまた戻ってくるさ、あんたのとこに」
 弾かれたようにカイジが顔を上げると、すまし顔で自分を見るアカギが目に入る。
 目が合うと、アカギは肩を竦めた。
「……たぶんね」
「多分かよっ……!」
 すかさず入れられたツッコミに肩を揺らして笑うアカギに、カイジはため息をついた。
「お前ほんと、なんなんだよ……エスパーなんかか?」
 こっそり影を踏んだことだけでなく、そうするに至った自分の心の流れまで読まれていたことに驚き呆れるカイジに、アカギは意味深に目を細める。
「……さぁ? 秘密」
 悪戯っぽく言って、歩き出すアカギに慌てて並び、カイジは胡乱げな目で隣を見る。
 その視線を受け、アカギはどこかこそばゆそうな顔で、まっすぐカイジを見た。
 夕陽が橙と黒の陰影を作るその表情を、狐につままれたような顔で眺めるカイジに、アカギはぐっと体ごと近づいて、ふたりの影が重なるくらいの至近距離で密やかに言った。

「あんたのことに関しては、わりとなんでもわかっちまうんだよ」





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