ツキとキス・2
二度目は、完全なる酔っぱらいの気の迷いだった。
その日は、外でアカギと落ち合い、飲んでいた。
結局、カイジに奇跡が起こったのは、あのバイトに遅刻した翌日だけで、それ以降はツキが落っこちたかのように、てんでダメな日々に逆戻りしていた。
だからその日の飲み代もアカギ持ちだったのだが、好きな酒すらロクに買えない日々を送っていて、なおかつ、アカギが常に大金を持ち歩いていることを知っているカイジに、遠慮の二文字はなかった。
ここぞとばかりに食い溜め、飲み溜めしようと欲張って暴飲暴食した結果、飲み始めて二時間も経たぬうちに、カイジは酩酊した。
酔っぱらうと喜怒哀楽が激しくなるカイジをなだめつつ、アカギはふたりで閉店間際の店を出た。
カイジは半ば、アカギに寄りかかるようにして、どうにかこうにか立っていた。
「カイジさん、歩ける?」
アカギの声にこくりと頷き、歩き出そうとしたカイジだったが、一歩足を踏み出したとたん、足の力がぐにゃぐにゃと抜けて、アスファルトの上にぺたりと尻餅をついてしまった。
「あらら……大丈夫?」
微かに笑いながら、アカギが手を差し伸べてくる。
その手をぼんやりと見ていたカイジの目から、突然、大粒の涙が溢れ出した。
「ううっ……! あったけえ……! お前って、じつはいいやつだったんだなっ……!! お、オレみたいなクズに、手ぇ貸してくれるなんてよぉ……! アカギぃ……!」
「……いいから、早く立ちなよ」
呆れたような呟きに、カイジは掌でごしごしと顔を拭い、右手を伸ばす。
腕を引っ張られて立ち上がると、足許がふらついてまた転びそうになり、縋るものを求めてがばりとアカギに抱きついてしまった。
「っと……あ、わりぃ……」
照れ笑いしながら顔を上げると、思ったよりずっと近くにアカギの顔があって、カイジはぱちぱちと瞬きした。
俳優のように派手な整い方をしているわけではないが、アカギの顔や姿は、なぜか見る者を惹きつける力を持っている。
鋭い目。すらりと通った鼻筋。
それから、薄くかたちのよい唇。
(見た目よりずっと、やわらかかったよな……)
吸い寄せられるように魅入るカイジの脳裏に、この間思いがけず触れることになった、アカギの唇の感触が蘇ってくる。
ーーもう一回、したい。
いったんそう思い込むと、過ぎた深酒のせいで思考回路がはちゃめちゃになっているのに気がつかないまま、カイジはアカギとキスすること以外、考えられなくなってしまった。
男の、固い頬に手を滑らせ、さするように撫でながら、唇を重ねる。
あまりに唐突すぎるカイジの行動だったが、アカギはすこし身を固くしただけで、あとは身じろぎもせず、素直にカイジの唇を受け入れていた。
数年ぶりに誰かとするキスの心地よさに、カイジはくらくらした。
ちゅっ、ちゅっ、と音をたて、なんども角度を変えてはアカギの唇を啄んでいるうち、なんだか意識がとろんと溶けてきて、夢見心地になった。
目を瞑ったままアカギの体にもたれかかり、カイジはそのまま、すやすやと寝入ってしまった。
翌朝。
どうやって帰ったのかはまったく覚えていなかったが、カイジは家の布団の中で目覚めた。
意識が覚醒するなり、猛烈な吐き気が襲ってきて、慌ててベッドを抜け出しトイレへ駆け込む。
昨日食べたものを一頻り吐き出したあと、青ざめた顔で唇を拭いながら昨夜のことを思い出す。
確か、アカギのおごりで飲んで、そう時間も経たないうちに、したたかに酔っぱらった。
そして、アカギの肩を借りながら店を出て、それからーーーー
「ーーーー!!」
突如としてフラッシュバックした光景に、カイジの体をふたたび吐き気が突き抜ける。
胃の中が空っぽになるまで嘔吐し、ようやく落ち着いたカイジは、渦を巻いて流れる水を眺めながら、蒼白になった。
キスした。またも、アカギと。
しかも、酔った勢いとはいえ、自分から。
頼むから悪夢であってくれ、と願うものの、カイジの唇には誤魔化しようのないくらいはっきりと、男の唇の感触が生々しく残っている。
不幸中の幸いと言うべきか、アカギはカイジを家に送り届けると、そのまま帰ったらしい。
とりあえず、アカギと顔を合わせずに済んだことにほっとしたカイジだったが、次、いったいどんな顔をしてあいつに会えばいいんだと、カイジはバリバリ頭を掻きむしって苦悶した。
一頻り絶望すると、カイジは鼻を啜り、立ち上がった。
(やっちまったことをぐだぐだ後悔してても、仕方ねえ……)
切り替え切り替え、と自分に言い聞かせつつ、顔を洗って服を着替え、気晴らしに、近所の雀荘へと足を運んだ。
卓につき、気を抜くと余計なことを考えそうになる意識を手配に集中させる。
すると、その日に限って、配牌からツモから、いい手がどんどん入ってくる。
さすがに天和地和は和了れなかったが、親番で大三元をツモ和了るなど、イカサマを疑われるほどの引きの良さで、カイジは終始トップを独走し続けた。
カイジの親がなかなか流れなかったせいで、ひどく長引いた半荘がようやく終わりを告げると、白けきった場の空気と引き換えに、カイジの懐には何枚もの万札が転がり込んできた。
派手にむしられた他の面子がさっさと席を立って出ていく中、カイジは椅子に座りこんだまま、呆然としていた。
なんだ、これは。
オレは、夢でもみているのか?
思わず頬を抓ってみる。痛い。
夢じゃない、と確信して、そこでようやく、カイジは、ひさびさに味わう勝ちの喜びに、ぶるぶると武者震いした。
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