お互い様


 裸でベッドに腰かけ、アカギは煙草に火をつける。
 くわえ煙草のまま、なにかを確かめるように右腕を見て、アカギはちいさく舌打ちする。
 そこには、赤いペンで引いたような傷がいくつも走っていた。

 それは先程までの性交のときにつけられたもので、つけたのはカイジだった。

 寝てみて初めてわかったことだが、カイジはアカギを萎えさせる天才だった。
 合意でコトに及んだはずなのに、いざとなると逃げだそうとする。
 アカギの腕から逃れようと暴れ、互いの体に傷をつくり、罵詈雑言を並べ立て、もともとあるかなしかの『雰囲気』というものを全力で蹴散らしていく。
 まるで獣と交わるようだとアカギはいつも思う。
 カイジの口が、人間の言葉を紡いでいるのが不思議なくらいだ。
 多少の抵抗や暴言なら、むしろアカギは燃えるのだが、カイジのそれは度を越している。
 『イヤよイヤよも』とか、そういう可愛いレベルではない暴れっぷりなのだ。

 カイジがこうも暴れる理由。
 痛い痛いとカイジは喚くが、それは単なる隠れ蓑であるということにアカギは気づいていた。
 本人は死んでも認めないだろうが、カイジが暴れる本当の理由は、羞恥心だ。

 こういう関係になって日も浅いせいか、カイジの心から羞恥というものがなかなか消えないらしい。
 カイジの場合、それが、可愛らしく照れたりするのではなく、本気の抵抗という形で顕れるのがやっかいなのである。
 いかに腕のたつアカギとはいえ、ガタイがそう変わらないカイジに本気で暴れられたら押さえつけるのは容易ではない。
 お陰で、アカギの体には喧嘩によるものではない生傷が増え、アカギにしてみればカイジのこういうところが腹立たしくて仕方がないのだった。


 一番深いのは首筋の噛み傷で、行為の度に血が滲むほど噛みつかれるので、既にうすく痕になってしまっている。
 その他、固い筋肉の隆起する腕や、太股。果ては脇腹にまで噛み傷や掻き傷がある。
 その器用さに怒りを通り越して感嘆すら覚えていると、風呂から上がったカイジが部屋に入ってきた。

 下履き一枚で濡れた髪を拭くカイジの体にも、暴れたときにできた痣や傷が点々としていた。
「カイジさん、体、痛いんだけど」
 アカギが言うと、カイジは流石にきまりが悪そうな顔になったが、
「……オレはケツにあんなもん突っ込まれてんだぞ。それに比べりゃ、んなモン掠り傷だろ。舐めときゃ治る」
 どうやら、謝る気は毛頭ないらしい。それどころか、むしろお前こそ謝れ、とでも言いたげにアカギを睨み付けてくる。

 その態度に怒りがぶり返してきて、アカギは煙草を灰皿に押し付けるとゆらりと立ち上がった。
 カイジの目に、わずかな怯えが滲む。
 それを隠すように虚勢を張り、強気な顔を崩さないカイジの腕をアカギは強く掴み、ベッドに引き倒した。
「……っ!」
 ベッドの上で跳ねる体を押さえるように、アカギはカイジの腰の上に馬乗りになる。
 そして、傷だらけの右腕をカイジの目の前にぬっと突き出した。
「なら……治してもらおうか」
「っ、な……」
「あんたがつけた傷だろうが。あんたが舐めて治すんだよ」
「……!」
 カイジの顔が、怒りでさっと赤くなったかと思うと、次の瞬間にはアカギに吠えかかっていた。
「てめえ、たわけたこと抜かしてん……っ、ぐ」
 言い終えぬうちに掌を強く顔に押し付けられ、ギリギリと頭が潰れるほど力を入れられる。
 顔に被さる指の隙間から見える絶対零度の表情に、カイジの心にはっきりとした恐怖が芽生えた。
 わかったよ、やりゃあいいんだろ。焦りとともにそう言おうとしたが、口を開くことすらままならない。
 頭の痛みに涙目になりながら、カイジは何度も頷く。するとアカギはようやく掌を避けた。
「噛みついたりしたら、殺すぞ」
 まだ心臓をバクバクいわせているカイジにそう言い放ち、アカギは再び右腕をカイジの前に突き出した。


 アカギは本気でイラついている。それを悟ったカイジは不服そうな顔こそしているものの、牙を抜かれたようにすっかりおとなしくなり、アカギの腕を取った。
 そうっと舌を出し、白い肌に浮かび上がる赤い線をなぞる。
 舌に微かな血の味を感じながら何度か線をたどると、乾いた血が舐めとられて傷が薄くなった。
 腕の表に見える傷をひととおり舐めると、二の腕の裏側も舐めるよう促される。
 見てみるとたしかに、そんなところにまでちいさな爪痕のような傷ができていて、カイジは驚きとすこしの罪悪感を感じる。
 腕の外側よりやわらかく、さらに白い皮膚に唇を触れさせると、それに反応してアカギの肌が微かにひきつる。
 舌で感じるその微かな震えに、腹の底がくすぐったいような、変な気分がわいてきて、カイジは軽く目を伏せた。
 やがて、アカギはカイジの上から退き、腕を引いてカイジの体を起こさせる。
「ほら……腕だけじゃなくて……」
 たぎる欲望を孕む低音で囁かれ、カイジの体に恐怖とはべつの震えが走った。


 アカギは自分の全身に舌を這わせるカイジをじっと見つめていた。
 湿った舌と、かさついた唇の感覚が肌をくすぐる。唾液で濡れた部分にカイジの息がかかると、そこだけひんやりと涼しくなった。
 カイジの舌が肌を滑るたび、体に流れる血がさざめき、熱くなる感覚がする。
 カイジへの腹いせのつもりで始めたこんな行為に、興奮しかけている自分自身にアカギはすこし呆れた。


 アカギの息が熱くなっていることに、カイジも気付いているらしい。
 舌の動きは大胆になり、アカギをわざと煽っているようだった。体を屈めて太股をぬるりと舐めあげられ、アカギの口からため息が漏れる。
 カイジが微かに笑ったのが、太股に触れる息でわかり、アカギはカイジの体を起こさせた。
「ここ……忘れてるぜ、」
 アカギは自らの首筋を示す。 カイジはちらりとアカギの目を見たあと、アカギの首筋に顔を埋めた。
 犬歯に突き破られた血の跡は丸く、乾いて茶色くなっていた。ちろちろと、猫のように血を舐め取ったあと、カイジは軽くそこを吸い上げた。
 するとアカギが、急にカイジの肩に手をかけてその体を押し倒した。ギシリとベッドが軋んで黒い髪が乱れ、カイジは状況がつかめなさそうに目をしばたたく。

 アカギは不機嫌な顔でカイジを見下ろす。
 こんな行為に興奮してしまった自分がすこし、忌々しかった。
 その心中を読み取ったかのように、カイジが呆れ声で漏らす。
「お前……とんだ変態だな」
 うるさい口を唇で塞ぎ、アカギはカイジの下履きに手をかける。
 行為中はあんなに抵抗するくせに、黙って脱がされるままになっているカイジを鼻で笑い、その耳許を擽るようにアカギは囁いた。
「あんたこそ」





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