天職 三世代×カイジ バカ話 佐原が出てきます
「はー……」
深夜のコンビニ。
隣のレジから聞こえた、わざとらしいほど大きなため息を、カイジは外からの土砂降りの雨音で聞こえないフリをした。
ため息の主は、いかにも深刻そうな面持ちの佐原で、声をかけたが最後、面倒くさいことになるのは明白だったからだ。
「はーー〜〜〜…………」
しかし、シカトされたと気づいた佐原は、先程の倍の大きさと長さのため息で対抗してくる。
「はぁぁぁーーー〜〜〜〜…………」
どうやら、カイジから反応があるまで続けるつもりらしい。
あまりのうざったさにカイジは、あっさり根負けして声をかけてしまう。
「……どうしたんだ」
「きーてくださいよ! カイジさん!」
カイジの言葉に被せるように、かなり食い気味に佐原は話し始める。
「最近、実家の親が毎日電話で、就職しろ就職しろってうるさいんっすわ……! もう、マジ、ノイローゼになっちまいますよ!」
あまりのくだらなさに、カイジはずっこけそうになる。
しかし、前のめりで捲し立ててくる佐原の目付きは真剣そのものだ。
その気迫に若干引きながらも、カイジは言葉を返す。
「まあ……そりゃそうだろ、お前みたいな若い奴がフリーターやってりゃ……
お前、なんで就職しないんだ?」
「えーー……」
冷静なカイジの質問に勢いを削がれ、佐原は眉を寄せてボリボリと頭を掻く。
「……オレ、社会の歯車になりたくねえっつうか、そういう下らない人生送りたくないんすよね。
それにまだ、自分のしたいこととか、なにが向いてるのかとか……要するに『天職』がなにかって、全然わかんねぇし」
モラトリアム学生のような言い訳をだらだら並べ、佐原は思い付いたようにカイジに問いかける。
「カイジさんは、あると思います? 自分の『天職』とか」
カイジは顔をしかめ、ため息混じりに口を開く。
「あのなぁ、佐原よ……」
と。
そこで、ドアチャイムが鳴り響き、ひとりの客が勢いよく駆け込んできた。
「いらっしゃーー」
「あっ!」
佐原の声を遮るように、カイジが客を見て短い声をあげた。
入ってきたのは、学生だった。半袖のカッターシャツ、黒いスラックス。
異様なのは、普通の学生の容姿であるのに、その髪だけが老人のように真っ白だということだ。
「しげるっ!」
「……あれ、カイジさん」
しげると呼ばれた少年はすこし驚いたような顔をして、カイジの方へまっすぐ歩いてくる。
鋭い目付きと、すらりとしなやかな手足。
昔、図鑑で見たことのある、ユキヒョウのような少年だと佐原は思った。
雨に降られたのだろう、少年はバケツの水を頭から被ったかのように全身水浸しだった。少年の歩いた後には濡れた足跡がついており、濡れそぼったカッターシャツの下に黒いタンクトップが透けている。
「お前、びしょ濡れじゃねえか。傘は?」
「雀荘に置いてきた。ねぇ、カイジさんって、ここで働いてるの?」
濡れた髪からぽたぽた落ちる滴もそのままに、少年はカイジに問いかける。
「そうだよ。それよりお前、まずその頭をなんとか
ーーうわっ!」
言い終わらぬうちに、少年がブルブルと頭を振り、獣がするように滴を払う。
「おっ、前なぁっ……!」
まともに水を浴びせかけられて怒るカイジを見て、少年は愉しそうに笑った。
その様子はさながら、ちいさな頃から育てられた飼い主にだけ、猫のようにじゃれつく大型の肉食獣のようだった。
この気難しそうな少年が、人付き合いが苦手なカイジにこうまで懐いていることに、佐原は驚いた。
親戚の子どもかなにかだろうか?
佐原がまじまじと少年の顔を見ていると、視線に気づいた少年がちらりと佐原を見る。
その視線の乾いた冷たさに、佐原は思わず目を逸らした。
カイジを見る目付きとは、まるで別人のような冷ややかさである。
そんな佐原の様子に気がつかないカイジは、ぶつぶつ言いながらレジの隣に置いてあるビニール傘を一本取り、少年に渡す。
「ほら。コレ持ってけ」
「え、なに。くれるの?」
「いや、売りモンだけど……五百円」
「……」
少年は白けたような顔になる。
「なんだよ、その顔」
「カイジさん、セコい」
「お前だよ! どうせ雀荘で散々むしってきたんだろうがっ……! たかが五百円ケチってんじゃねえよ!」
少年は肩をすくめると、スラックスのポケットからびしょびしょに濡れた万札を一枚だして、レジに置いた。
「またね、カイジさん」
「おい……釣りはっ」
「いらない。カイジさんにあげる」
それだけ言うと少年はビニール傘をひっつかみ、カイジの止める声も聞かずに出ていった。
自動ドアが閉まると、カイジはため息をつきながら、とりあえずレジの上の万札を手に取る。
「ったく……しょうがねえな……」
と、言いながらも、思わぬ臨時収入に喜びが隠しきれないのか、カイジの顔はニヤついている。
しょうがねえのはアンタだよ……と、口に出さずに佐原は思った。
破れないよう慎重に万札の皺を伸ばしながら、カイジは思い出したように佐原を見る。
「で、なんの話だったっけ……?」
「天職の話っす」
ああ、そうだったとカイジは頷き、さっきの続きを話し始める。
「あのなぁお前。オレみたいなーー」
その時。
ふたたび自動ドアが開いて、ドアチャイムが鳴り響いた。
「いらっしゃーー」
「あっ!」
歩いてくる客を見て、カイジがまたもや声をあげる。
「アカギ……?」
「こんばんは、カイジさん」
そう言って、客は薄く笑う。
年の頃は二十代前半くらいの、若い男だ。しかし、さっきの少年同様、きれいに総白髪である。
顔も少年と似ているようだが、服の上からでもわかるしなやかで無駄のない筋肉の乗った体躯と、鋭利な刃物のような目付きは、見るものが見れば一目で只者ではないとわかる。
狼のような男だと佐原は思った。白い毛並みの狼。
狼はユキヒョウと同じように、全身を雨でしとどに濡らしていた。
「お前、なんでそんな濡れてんだよ。傘、持ってるじゃねえか」
確かに、男の右手には閉じたビニール傘が握られている。
すると男は、濡れた傘をずいとカイジの目の前に突き出した。
近くでよく見るとその傘は、ひしゃげて、ボキボキに折れ曲がっていた。
透明な生地を破り、あちこち骨が突き出ている。
「喧嘩相手ボコるのに使っちまって」
その言葉に、カイジの顔がさぁっと青くなり、佐原はドン引きした。
なるほどよく見ると、傘のあちこちに赤錆びた色の、不穏な液体が付着している……
「ほ、ほら、コレ持ってけよ」
気を取り直したように、カイジはまた売り物のビニール傘を手に取り、男に差し出す。
そして、すこし間をおいて、
「……五百円」
と付け加えた。
男は眉を寄せる。
「いらねえ……どうせもう濡れてるし」
「お前なぁっ……!」
カイジは呆れた声を上げ、男に傘を押し付ける。
「いいから持ってけよ、風邪ひくだろっ……!」
男は傘とカイジの顔を交互にじっと見てから、ぼそりと言った。
「おせっかい」
「うるせえっ! お前が自分に構わなさすぎなんだよっ……!」
噛みつくカイジに声を上げて笑い、男は奪うように傘を手に取った。
「それじゃ、また」
「あっ! お前、金っ……! 金払ってけコラ……!」
慌てるカイジの言葉をあっさり無視して、男はさっさと出ていってしまう。
「あンの野郎……っ!」
カイジは深くため息をつき、レジの上に目を落とした。
「仕方ねえ……しげるの釣りから出すしかねえか……」
悔しそうにそう言いながら、カイジはふたたび濡れた万札を手に取る。
そして、はたと思い出したように佐原に問いかけた。
「で……なんの話だっけ」
「天職」
「あぁそう、天職。だから、オレみたいなクズにーー」
カイジが話し始めたその時。
またまたドアチャイムが鳴り響き、
「よぉ、カイジ」
壮年の男が、黒い傘を閉じながら、ゆったり歩いて店に入ってきた。
「赤木さんっ!?」
派手に驚くカイジの様子に、佐原は男を見る。
派手なピンストライプのスーツに、虎柄のシャツ。
やはり、髪は見事なまでに白いが、先の二人の客とは違い、見た目の年齢が年齢なだけに、違和感はない。
物腰も、一見してあの二人よりもずっと柔和である。
しかし、只者ではないという雰囲気は、三人の中でもっとも強い。
圧倒的強者の余裕というものが、全身から滲み出ている。
鷹揚に構えているように見えるのに、まったく隙がない。
シャツの柄どおりの、虎のような男だという印象を佐原は抱いた。
レジに近づいてきた男に、カイジは驚きと嬉しさの入り交じった表情で話しかける。
「どうしたんですか? 珍しいですね、こんなとこに来るなんて」
「どうしても、お前に会いたくってなぁ」
男がさらりと言った言葉に、カイジは耳まで真っ赤になる。
「やめて下さい、そうやってからかうの……」
「からかってねえよ。お前に会うついでに、タバコ買いにきたんだ」
男の言葉に、カイジはすこし、むっとした顔になり、後ろの棚からタバコを取り出しながら言う。
「違うだろ……タバコのついでが、オレなんでしょう」
ぶっきらぼうに言うカイジを、男は目を細めて眺めている。
「お前は本当にかわいいなぁーー」
そして、隣のレジの佐原に目線を向ける。
「なぁ、兄さんも、そう思わねえか?」
「ぅえっ!? あ、あっハイ! 思います!」
突然話を振られ、動揺した佐原は何度も頷いてしまう。
カイジは呆れ顔でため息をつき、男に赤マルを手渡した。
「関係ない人間まで巻き込んで、面白がるのはやめてください」
たしなめられ、男は悪戯好きの子どものような顔でニヤリと笑う。
「いくらだ?」
内ポケットを探る男に、カイジはすこし考えてから、
「……いいですよ。アンタのことだ、どうせ小銭なんてもってないんでしょう」
と言った。
男は目を丸くする。
「いいのかよ?」
「ええ……丁度このレジ、九千円ほど過金も出てるし」
カイジは手元にある皺くちゃの一万円札をちらりと見る。
「そうか。なら甘えるかな」
男は深く追求せずにカラリと笑うと、内ポケットに買ったばかりのタバコを捩じ込む。
……おいおい、いいのかよ、勝手にそんなことしてーー
佐原は内心ツッコんだが、男を心底慕っている様子のカイジを見ていると、口に出すのは憚られた。
「ありがとな。今度飲みにいこうぜ。奢るよ」
「高い店、連れてって下さい」
はははっ、と声を上げて笑い、男はひらひらと手を振ってコンビニを出ていった。
嵐のようにやってきた三人の客が去り、佐原はなんだか妙に凝った感じのする肩を揉む。
時間にして、たった十分かそこらの出来事。
特に疲れるようなことはなにもしていないのに、一日働き通したかのように、疲労感がどっと押し寄せてきた。
カイジの方は、どうやらこんなことに慣れっこのようで、何事もなかったかのように、途切れたままの話の続きを始めた。
「ーーさっきの話の続きだけど……、オレみたいなクズに、『天職』なんてあるわけねえだろ」
自嘲気味にそう言って、また万札の皺を伸ばし始めるカイジの横顔を、佐原はまじまじと見つめる。
「猛獣使い」
「……は?」
ぼそりと呟かれた言葉に、カイジは怪訝な顔で佐原を見る。
が、佐原はすぐにいつもの、調子のよい笑みを浮かべて言った。
「カイジさぁん、その金でなんか奢ってくださいよ〜!」
「はぁ!? なんでオレが……」
カイジが文句を言いかけたその時、またドアチャイムが鳴り響いた。
「いらっしゃいませー!」
入ってきたのは、見るからにごく普通のサラリーマンで、そのことにほっと胸を撫で下ろす佐原を、カイジは不審げな目で眺め続けるのだった。
終
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