わるい夢 神域没後、うじうじするカイジの話 カイジ視点 暗い


 夢をみた。


 そこは強い風が常に吹いているのに、不気味なほど静かで、とても涼しい場所だった。
 見上げた空はくっきりと青く、千切れた白い雲がものすごい速さで流れていく。

 そこに、赤木さんとオレはふたりでいた。
 赤木さんとオレ以外、誰もいないし、なにもない空間だった。

 赤木さんはオレに柔らかいまなざしを注ぎ、しずかに笑っている。
 夢の中のオレはそれが無性に嬉しくて、同じように微笑むと、赤木さんは腕を広げてオレを抱き締めてくれた。

 白いスーツと髪が、強風にはためき靡き、乱れている。
 赤木さんの体にしみついた煙草の匂いがふわりと漂った。

 赤木さんの、喉を擽るような低い笑い声にオレの笑い声を重ね、その体を抱き締め返そうと両腕を伸ばした瞬間、
 赤木さんは青い空をのこし、
 跡形もなく、消え去ってしまった。


 そこで目が覚めた。


 闇に沈む視界に、天井に向かって伸ばされた自分の腕が映る。
 抱き締めるかたちの腕の中はからっぽで、ちょうど人ひとりぶんの空間がぽっかりとあいていた。

 虚しくのびた腕を、しずかに降ろす。
 冷えきった床にそっと足を降ろし、流しへ向かった。


 寝起きのためか、口のなかが苦い。
 それは、まるで夢の後味そのもので、切るようにつめたい水を両手で掬い、口の中をゆすいだ。
 それから、同じように掬った水で、今度は顔を洗う。
 心に落ちた一点の曇りを洗い流すように、なんども、なんども。




『どんな夢だったか、俺に話してみねえか』

 ……昔。
 悪夢にうなされて飛び起きたオレに、赤木さんが寝物語に語ってくれたことがある。

『昔からよく言うだろ。わるい夢やこわい夢は、ひとに話して逆夢にしちまえばいいんだよ』

 そんな話聞いたことがなかったから、悪夢の余韻に息を弾ませながらそう言うと、赤木さんは軽く眉をあげ、そうか、と言った。

『俺もなぁ、遠い昔に聞いた話だからな。今はもう、古い迷信なのかもしれねえなぁ』

 そう言いながら、赤木さんは汗に湿ったオレの背中を、落ち着かせるようにさすってくれた。
 その赤木さんの手が心地よくて、オレは、見た夢のことを赤木さんに話した。

 オレがうなされる夢というのはたいてい、もう既に起こってしまった過去の経験に関わる夢だから、逆夢には絶対にならない。
 それでも、赤木さんに話していると、呼吸が静かになり、気分も楽になった。

 それから、わるい夢に起こされるたび、赤木さんにその夢のことを話すようになった。
 赤木さんはオレの話を、相槌もうたずに、ただ黙って聞いているだけだったけど、いつだって、オレが落ち着くまでそうしていてくれた。

 なんども夜中に起こしてしまい、その度にとりとめもない話を聞かせてしまうのが申し訳なくて謝ると、赤木さんは笑いながら、柔らかく言ってくれたのだ。

『構いやしねえよ。お前が楽になるなら、いくらでも聞いてやるさ。俺がお前のそばにいる限り、ずっと』



 しかし、今。
 そう言ってくれる人は、もういない。



 なあ赤木さん。
 わるい夢やこわい夢は、ひとに話せ。あんた、そう言ったろう。
 でも、あんたを抱き締め損ねる夢、なんて。
 とてもじゃないけど、あんた以外に話せやしないだろう?

 だから、後生だから会いにきて下さいよ。
 そしたらこんな夢、あんたにぜんぶ話すから。いつもみたいに聞いてもらって、それで、逆夢にしてしまうから。

 そこまで考え、あまりの馬鹿馬鹿しさに、少し笑う。

 だって、赤木さんはもういないのだ。

 この夢は、赤木さんの死を知った日から、繰り返しみるようになった。
 赤木さんは病気のことや自分が死を選んだことなど、なにもかもオレに隠していた。隠して、死んでいった。
 だから、赤木さんの死に目に、オレは会えなかった。
 代わりにあの日からずっと、オレは夢の中で非現実的な赤木さんとの別れを繰り返す。なんども、なんども。


 水を溢れさせる蛇口を、力一杯きつくきつく締める。
 顔から滴る水に二筋、熱いものが混じり、流れていった。




『お前は難儀な奴だなぁ』

 ……終始、黙ってオレの話に耳を傾けるだけだった赤木さんが、一度だけ、オレの話が終わったあとに、ぽつりと呟いたことがある。

『どうしてそう、逆夢にできねえような過去の夢ばかりみちまうんだろうな』


 赤木さんがいた頃は、それでもよかった。
 逆夢にできなくても、どんなに苦しくて目が覚めても、そこに赤木さんがいて、聞いてもらえるだけでよかったんだ。

 しかし、その赤木さんがいなくなってしまった今、胸がつぶれるような思いだけが溢れる。

 どうしてオレは、逆夢にできない夢ばかりみてしまうのだろう?
 どうしてオレは、赤木さんが生きているときに、この夢をみなかったのだろう?

 どんなに泣いても、血を吐くように慟哭しても、赤木さんはもう二度と、オレの前に現れることはないし、夢の話を聞いてくれることもない。

 だから、このわるい夢は、永遠に。
 永遠に、逆夢にならないまま。






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