掃除日和 ただの日常話


 バイトの深夜勤明けだというのに、珍しく早起き(といっても、すでに昼近いが)をすることができた。
 桟を軋ませながら窓を開けると、空は雲ひとつなく晴れ渡っている。冬の日差しが燦々と地表に降り注ぎ、気温もあたたかい。
 おまけに今日はバイトも休みで、一日予定もない。

 よし、今日は掃除をしよう。

 胸いっぱいに清々しい空気を吸い込みながら、カイジはそう決意した。





 見かけに寄らず綺麗好きなカイジの部屋は、いつだってそこそこ片付いてはいるものの、夜の勤務が多い都合上、どうしても本格的な掃除はおろそかになりがちである。
 今日はこんな掃除日和だし、部屋の隅々まで徹底的に、とまではいかないまでも、掃除機をかけて布団を干すくらいのことはできそうだった。

 そうと決まれば気分の変わらないうちにと、カイジはさっそく部屋中の窓を開け放つ。
 アルコールの臭気や煙草の煙やらで淀んでいた部屋の空気が、ひんやりした外気であっという間に洗われていった。

 まず手始めに、棚や机の上の埃を取り除く。
 久しぶりの掃除なので、降り積もった埃はあちこちでうっすら白い層をつくっていた。
 ハンドモップを使ってそれを丁寧に落としたのち、部屋の隅にある掃除機を引っ張り出してきて、コードを差し込む。

 手元のスイッチを入れ、ごうごうと轟音を響かせながらフローリングの床を掃除していると、しばらくして、カイジの耳に微かな異音が飛び込んできた。
 それは人の声のように聞こえたので、カイジは掃除機を動かしながら、奥の部屋へ声を投げる。

「なにか言ったかー?」

 返事はない。

 スイッチを切り、掃除機をゴロゴロひきずったままベッドに近寄る。
 すると、こんもりと膨らんだ布団の下から、寝癖だらけの頭をしたアカギが顔を出した。
 不機嫌な目を覗かせて、無言で掃除機を睨み『それやめろ』と訴えてくる。

 だだっ子のような表情に、カイジは呆れた。

 赤木しげるは掃除機が嫌いである。
 厳密に言うと、朝、掃除機の音で起こされるのが嫌いなのである。

 そんな顔をされても、こんなに晴れていて、休みの日で、しかも早起きできる日なんて滅多にないのだから、カイジだって掃除しないわけにはいかないのである。
 それに、もうすでに日は高い。
「そんなに嫌なら、いつもみたいに早く起きればよかったじゃねえか」
 ため息混じりのカイジの言葉に、アカギはさらにじとりとした目付きになる。

 そう。いつものアカギなら、カイジより一時間は早く起きているはずなのである。
 だが不思議なことに、こういう掃除日和に限って、アカギはときどきカイジより寝坊してしまうのだ。

 よって、カイジが掃除をするときは大抵、こういった光景が繰り広げられることになる。

 カイジももう慣れたもので、アカギの凶相にすこしも動じることなく、
「お前、起きたならベッドから出ろよ。布団も干したいから」
 さらりとそう言い置くと、掃除機を引きずってさっさと掃除に戻ってしまう。




 アカギは布団から目だけ覗かせたまま、熱心に掃除をするカイジの姿を睨んでいた。
 性分なのか、カイジは部屋の隅の方へ行けば行くほど、きっちりと掃除機をかけている。やけに力強く掃除機を操るカイジの背中からは、気迫というものすら感じられた。
 どうやら、かなり気分がノっているらしい。
 生まれてこの方部屋の掃除などしたことのないアカギの目から見ても、終わるまでまだまだ時間がかかりそうだということだけは見て取れた。


 カイジはフローリングに掃除機をかけ終え、カーペットにとりかかる。
 スイッチを切りかえたのか、吸引音がさらに半音高くなった。
 アカギは部屋に響くような舌打ちをするが、すさまじい機械音に負けてカイジには届かない。

 すこし、声を張って言ってみる。
「カイジさんがそれやめないなら、出ていこうかな」
「はー?」
 間延びした返事に、声量を上げて返す。
「だから、それやめねえと出てくってば」
「なんだってー? もっとでかい声で言ってくれねえと、わかんねえよ」
 そう叫び返しながら、カイジは掃除機を止めようとしないし、アカギの方を見ようともしない。
 アカギは目を閉じ、ため息をつく。
 起き抜けで滅多に出さない大声を出したせいで、無駄に疲労感が増しただけだった。


 アカギはのろのろとベッドから起き上がると、物憂げに手を動かして昨夜脱ぎ散らかした服を身に付け、立ち上がる。

 本当にここを出ていくつもりではない。
 この不快な音が止むまで、どこかで暇をつぶしてこようと思ったのだ。

 アカギが玄関で靴を履いていると、突然、背後で鳴っていた騒々しい音が止んだ。
 振り返ると、カイジは掃除機を床に放り出し、やけに慌てた様子でアカギに近づいてくる。

 ……怒って出ていくと思ったのだろうか?

 そんなことを考えていると、カイジはアカギのすぐ側までやってきて、口を開いた。

「アカギ、お前……」

 深刻そうに眉をぎゅっと寄せた顔で、続ける。

「……鏡見ろよ。いくらお前が身なり構わねえからって、その頭のまま外に出るのはどうかと思うぞ」
「……」

 黙りこくるアカギの頭に無骨な手が伸ばされ、寝癖であちこち跳ねている髪をなでつけていく。

 申し訳程度に髪が整うと、カイジは思い出したように、へらりと笑って一言。

「煙草買いに行くんだろ? ついでにオレのも頼む。ちょうど切らしちまっててさ」

 それだけ言うとカイジは掃除機のもとへ戻る。
 そしてまた始まる、騒音。

 言いたいことは言ったとばかりに掃除に集中するカイジの姿に、アカギは自分の思考が浅はかだったと思い知る。
 アカギに出ていってほしくないから掃除をやめる、なんてこと、カイジは絶対しないのである。

 結局、アカギは渋い顔をしつつ、嫌な音のする部屋から尻尾を巻いて退散するしかなかった。



 本人は気がついていないが、掃除日和の朝だけは、カイジはアカギよりほんのすこしだけ、強い。







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