月の夜(※18禁)・5



 濃い精の匂いが残るベッドの上で死んだように眠るカイジを、しげるは暫し、見つめていた。
 相当疲れていたのだろう。繰り返される穏やかな呼吸は、深い眠りに落ちた者のそれだ。
 きっと、夢も見ないほど深く眠っているに違いない。
 カイジの目尻に引っかかっている涙の粒を眺め、しげるは薄い唇を吊り上げる。

「ねぇ、カイジさん。吸血鬼に血を吸われて、吸血鬼にならない『人間』なんて、本当にいると思った?」

 独り言のように呟くと、しげるは立って寝室のカーテンを開ける。
 窓の外には丸い月。その明かりを浴びるしげるの瞳は、血よりもずっと鮮やかな緋色に変化していた。


 忌むべきものとして恐れられ、夜の世界でその身を隠して生きているのは、なにも吸血鬼に限った話ではない。
 しげるは『淫魔』と呼ばれる存在である。
 ヒトの精気を糧に生きる魔の者。それも、カイジのように人間の血が混じっているのではなく、夜の闇から生み出された、言わば生粋の悪魔だった。
 
 数ヶ月前、しげるは偶然カイジに出会った。その姿を見た瞬間、吸血鬼だと見抜くのは、生まれながらの悪魔であるしげるにとっては、息をするように容易いことだった。
 しかも、カイジの話から推測するに、吸血鬼の血は隔世遺伝で、つい最近覚醒したばかりだという。

 しげるはカイジに興味を持ち、血液を与える対価としてカイジを犯し、その精気を吸うようになった。
 しげるから見たカイジは、普通の人間よりも『人間らしさ』を色濃く匂い立たせていたのだ。

 カイジはしげるを人間の子供だと信じて疑わず、たとえ取り引きだとしても本当は吸血などしたくないのだと、いつも苦悩している。
 その子供の手によって、こんなにも酷い目に逢わされているにも関わらず、カイジはしげるの身ばかりを案じているのだ。

 ある日突然吸血鬼の血に目覚めた人間を、しげるはこれまでにも何度か見たことがあった。だが、カイジほどその血に抗い、『人間らしさ』を保っている吸血鬼は、他にいない。
 普通なら、どんなに逆らおうとしても吸血鬼の本能には抗えず、すぐにヒトを襲ってしまうのが常なのだ。
 吸血衝動を抑えるのはそれほど難しいことなのに、カイジはギリギリのところで踏み止まっている。

 本能に身を任せてしまえば楽になれるのに、そうしないで、苦しみながらヒトとして生き続けているカイジ。
 その体から発せられる精気の味は極上だった。
 カイジが苦悩すればするほど、『人間らしさ』がより際立ち、性交によって吸い上げる精気に味わいをもたらす。

 生への欲求と吸血への罪悪感の間で懊悩するカイジの心を、しげるは愉しんでいるとも言えた。


 しげるはひらりとベッドから飛び下りると、足音を立てずに寝室を出る。
 しばらくして戻ってきたしげるの手には、注射器と赤い液体の入ったバイアルが握られていた。
 ベッドに腰掛け、注射器でバイアルの中の液体を吸い上げる。
 それからカイジの右腕を取り、青い静脈の浮き出る腕の内側に、慣れた手付きで針を刺した。

 生粋の悪魔であるしげるの体には、当然、ヒトの血など流れているはずもない。
 行為の中で、カイジがしげるの血を飲んだときに感じた味や、空腹が満ちていく感触は、言わば幻覚。
 しげるの手によって創り出された、まやかしの感覚で、実際、カイジはこれまで一滴もヒトの血など吸ってはいないのだ。

 しかし、ヒトの血を体に取り入れなければ吸血鬼はその身を保っていられない。
 だからしげるはこうして、カイジが眠ったあと、人間の血液を注射することでカイジを生かしている。


 もちろん、このことをカイジは知る由もない。
 この人がすべてを知ったら、いったいどうなるのだろう、としげるはときどき思う。

 自分が淫魔に騙され、利用されていたのだと知ったら。
 自分を生き長らえさせているのが、見知らぬ人間の血液なのだと知ったら。
 その血液を、悪魔であるしげるがどんな手段を使って手に入れているのかを知ったら。

「きっとアンタは、オレを許さないだろうね」
 クスリと笑って、しげるはカイジの腕から注射針を抜く。

 こうしてカイジの精気を奪い続けるのも悪くないが、いつかカイジが真実を知ってしまう、その日のことを考えると、しげるはゾクゾクするのだ。
 きっとカイジは怒るだろう。自分を殺したいと思うだろう。
 その鮮烈な怒りの矛先が、まっすぐ自分に向けられるその時を、しげるは心待ちにしているのだ。
 いつもは怯えたように見開かれているその黒い目が、自分への深い憎しみに満ちる瞬間を想像すると、しげるの中の魔族の血は、沸騰するように熱くなるのだった。


 窓越しの月の光を浴び、カイジは眠り続けている。
 今はまだ、なにも知らない無防備なその姿を愛でるように眺め、そこを濡らす涙を吸い取るように、しげるはカイジの目尻にそっと口づけた。





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