色魔・2(※18禁)
数分後。
(うっ、嘘だろっ……!? なんで……どうしてこんなことに……っ!?)
カイジは半ベソをかきながら、パニックになりそうな頭でひたすらそんなことを考えていた。
「そんなにビクビクしなくても、誰にも見られないよ。そういう風にしてあるから」
男の低い声がすぐ耳許で鼓膜を震わせ、カイジはぞわぞわと怖気立った。
カイジは路地裏の、『準備中』の札が掛かった飲み屋の扉に押しつけられていた。
自分よりも大きいその体をいとも容易く腕で囲って動けないようにしているのは、白い男ーー『色魔』と呼ばれる男だった。
男の持つ大金をかけたコイントス。カイジは宙を舞ったコインをキャッチする。
男の顔をちらりと見てから、被せた右手を恐る恐るどけた。
「……!」
「裏だ」
激しい落胆を露わにするカイジと対照的に、まるで自分の勝利がわかりきっていたかのように、男はにこりともしなかった。
カイジは肺の中が空っぽになるようなため息をつく。
もしかしたら、と思ったけど、駄目だったか。
やはりなんの策略もなく、純粋に運だけで勝負してしまったのが悪かった。
「オレの勝ちですね」
仕方ない。約束は約束だ。
へなへなになりながらも、カイジは男の方に、頭を差し出す。
「……ほら、好きなだけもっていけ」
そう言って、カイジは静かに目を閉じた。
どんな風に髪を切られるか、不安がないでもなかったが、負けたのだから潔く腹をくくるしかない。
体を損なうわけではないから、ある意味気楽なものだ。
むしろ、こんなローリスクハイリターンのギャンブルがあるのだと知ることができた、それ自体が大きすぎる収穫だった。
必勝の策を考えて、また出直してこよう。次会うときは必ず、勝ってやる……!
「それじゃあ、遠慮なく」
闘志を燃やすカイジの耳に、静かすぎる声が響き、男の気配がぐっと近づく。
そして。
「……へっ?」
くい、と顎を持ち上げられて、カイジはぽかんとした。
身長は男よりもカイジの方が僅かばかり高かったが、前屈みになっているので、カイジが男を見上げる格好となる。
謎の行動の真意を男に問おうと口を開いたカイジだったが、真近にある男の顔が、よくよく見ると存外整っていることに圧倒され、言葉を忘れた。
細い絹糸の髪に、涼しげな切れ長の目と、通った鼻梁。
酷薄そうな薄い唇は、ほとんど色素のない男の顔の中にあって、唯一肌色と呼べるような色が申し訳程度に乗っている。
白磁の肌には、ほんの僅かなくすみも、小さな黒子さえひとつもなく、眩しいばかりにまっさらで、ただただ白い。
なるほど『色魔』と呼ばれ、淫靡な噂をたてられるだけのことはあると、カイジはヘンに感心する。
顎をすくい上げるなどという、一見すると気障な仕草も、こいつがやるとやけにサマになってんな……などと暢気に考えていると、男の顔が段々と近づいてきた。
すぐ近くで男の瞳を見ることになって、その目の色が、臙脂をかぎりなく薄くしたような淡い赤茶で、硝子玉のように向こう側が透けてしまいそうなほど透明度が高いことに、初めて気がついた。
「……んっ」
男に見とれている間に、唇が重なってしまった。
見た目の印象より硬くはなく、かといって柔らかいわけでもない唇の感触。
ああオレ、キスされてるな……とカイジはぼんやり認識する。
キス。
キス……?
「んぐ……っ!?」
(なんだよコレっ……!! なんでこいつ、オレにキスしてんだよ……!)
カイジはようやく我に返った。
男の行動と、こうなるまで動こうとしなかった自分自身、二つの事柄に対する混乱が、目眩のように襲ってくる。
無理矢理逃れようと顔を動かした瞬間、唇を割ってなにかがぬるりと入り込んできた。
「ーーーー!!」
身の毛もよだつようなおぞましさに、声にならない悲鳴を上げ、カイジは目を白黒させながらもじたばたと必死の抵抗を見せる。
だが、そんなものどこ吹く風と、男の舌はカイジのそれに絡みつき、吸い上げる。
送り込まれる男の唾液はなぜか甘い味がして、幾ばくか抵抗なく飲み下してしまった自分自身に、カイジはひどい吐き気を催す。
ちゅ、と音をたてて唇が離れたときには、強い精神的ダメージでカイジはボロボロになっていた。
大きく二、三歩後じさり、唾液で汚された唇を手の甲でごしごし拭って、酸欠でくらくらしつつも男をギロリと睨みつける。
「……て、めぇ……! どういうつもりだよっ……!」
「どうって。負けた代償を支払ってもらうだけだけど」
男はしれっと答えて、カイジに近づこうとする。
当然、カイジは一目散に逃げ出そうとした。
だがどうしたことか、膝が笑ってしまって足がいうことを聞かない。
いや、それどころか、なぜか頭までぼうっとして、酩酊したように意識がふわふわと定まらなくなってきた。
カイジの額からどっと冷や汗が噴き出す。
『色魔』。こいつになにかされたとしか思えない。
男はくすりと笑って言う。
「オレの唾飲んだだろ。逃げられやしないよ。残念だけど」
カイジの全身からサーッと血の気が引いた。
そうこうしている間にも、男は確実に距離を詰めてくる。
「……う、あ……」
拒絶しようにも舌が縺れて言葉を発することすらままならず、カイジは恐怖に顔を歪ませたままじりじりと後退するしかなかった。
しかし狭い路地裏でのこと、カイジはすぐに追い詰められ、逃げられないように腕で囲われてしまったのだ。
「おい、ちょっと待て……ッ」
迫ってくる男の顔から限界まで顔を背け、カイジは声を絞り出す。
「代償っ、て……髪、じゃなかったのかよ……っ!?」
男はカイジの頬に走る傷をべろりと舐め上げた。
「ひ……ッ!」
「言ったでしょ……オレが欲しいのは、あんたの『黒』だって」
頬をナメクジが這うような気色悪さに鳥肌をたてながら、カイジは叫ぶように言った。
「だ……、から、なんなんだよっ……! その『黒』って……!!」
男はカイジの傷が気に入ったのか、何度も何度も舌先で往復したあと、濡れた傷跡にかぷりとかじりついて、水晶の瞳でカイジの目を覗き込んだ。
「そう焦らなくても、これからじっくり説明してあげますよ。まあ……そんなことしなくても、嫌でもわかるだろうけど」
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