泥濘にて・2(※18禁)


 重い扉を押し開けた瞬間、濃い雄の臭気が鼻を掠める。
 それになんら躊躇することなく、アカギは部屋に足を踏み入れた。直後、その背後で物々しい音をたてて扉が閉まる。
 高い足音を響かせながら、すべてのことが終わって襤褸雑巾のように捨て置かれている男のもとへ一歩一歩近づいていく。
 それに合わせ、壁の中でアカギと全く同じ動きをする虚像。

 壁一面のマジックミラーの向こう側では、無数の視線がアカギの動きを見守っている。さっきまでこの部屋で饗宴を演じていた男たちも、今はその中にいるのだろう。

 高額の観賞料を払い、勝負から始まる一連の流れを見物してきた彼らにとって、ここまでのことはあくまで余興に過ぎない。

 敗者が勝者に喰われる。

 冷たい鏡の向こうで連中が舌嘗めずりして待っているのは、その瞬間だった。


 ただ勝負するだけではなく、勝ったら衆人環視のもと、敗者を犯す。
 それも条件に引っくるめての、今回の依頼だった。

 本来なら、スーツの男の言った通り、こんなものは至極つまらない依頼だった。勝負の後のことなどアカギにとっては心底どうでもよく、ましてその後に見世物として退屈なセックスをさせられるなど虫酸の走る話だった。
 相手の名前を聞くだけ聞いて、断ろうと思った。

 伊藤開司。

 裏社会でまことしやかに囁かれる数々の噂のなかで、何度か耳にしたことのある名前だった。
 前々から、 どんな男か興味はあった。
 勝ち負けの噂より、数々の地獄を味わっておきながら何度も何度も怖いもの知らずの勝負を続けているという話の方がアカギを強く惹き付けた。
 だからその名前を聞いた瞬間、アカギはごく自然に依頼を承諾していた。

 アカギは歩みを止め、足元にある男の姿を見下ろす。

 汚れていない部分を探す方が難しいほど、その体は吐き出された欲望にまみれていた。黒い髪も、いまや大量の精液で白く染め上げられている。
 よく磨かれて黒光りする床に、後腔から滴る粘液が静かに広がっている。
 無理な性交で内部が傷ついたのか、その白には赤が混ざっている。
 だがそれ以外に、先程の男たちから与えられたような傷や痣は見受けられない。
 暴力によって体に傷をつくることは禁じられているのだ。

 この体は、明日から大切な『商品』になるのだから。


 どろどろに汚された顔にはおよそ生気というものが感じられず、さっきまで強気に振る舞っていたのが嘘のようだった。
 力なく閉じられた瞼に時折走る痙攣で、辛うじて死んでいないのだと判別できる。

 
「伊藤、カイジさん」

 その名を確かめるように口に出すと、瞼がうっすらと開かれた。
 瞳は虚ろに濁っていて、焦点を結ばない。視界にアカギの姿を留めながら、それを認識していないかのようにカイジは無反応だった。
 汚れた床に膝をつき、アカギはカイジの体に覆い被さる。
 顔の横に手をついて、黒い瞳に映りこむ自分の姿がはっきりと見えるくらいに顔を近づけた。それでも、カイジはぴくりとも動かない。

 ここでアカギの気まぐれな心が頭をもたげ、ふと思いついたことを実行に移してみる。
 縫い目のある耳に唇を寄せ、息を吹き込むように囁く。

「なぁカイジさん。オレがあんたを救い出してやろうか」

 さらに顔を寄せ、音を消した声で続ける。

「あんたが望むなら、オレがその命、買ってやるよ。それくらいの金ならある」

 この男の地獄はこれで終わるわけではない。
 明日から、この男は負債を文字通り体で返すため、どことも知れぬ施設に閉じ込められて有象無象相手に春を売らされることになるのだ。
 その生活の凄惨さを考えれば、アカギのこの言葉は天の助けにも等しいはずだった。


 アカギはゆっくりと顔を離し、カイジの顔を見る。
 純粋な好奇心ゆえの、実験のようなものだった。
 負けた相手によって目の前に垂らされた蜘蛛の糸に、この男はどういう反応を示すのか。
 涙を流してすがってくるのか。それとも――

 カイジの体がぴくりと動いた。
 漆黒の瞳を一度だけ瞬かせ、カイジは微動だにしなかったその頭をそろそろと持ち上げる。
 次の瞬間、アカギは咄嗟に顔を背ける。勢いよく吐きかけられた唾液は、それでもアカギの頬をわずかに掠めた。

 濡れた頬を指でなぞり、アカギは凍るような瞳でカイジを見下ろす。

 
 カイジの瞳は、虚ろな色を完全に消していた。

 アカギを睨めつける強い眼差し。
 その奥にあるのは、純度の高い憎しみを糧に燃え上がる、どす黒い怒りの炎だった。

 向けられる剥き出しの殺意に、アカギの背筋がぞくりと粟立つ。


 数時間前、ほぼ負けが確定し、その顔を蒼白にしながらも、最後まで『まだ勝負は終わってねえ』と叫んでいた。
 負け惜しみではなく、本気でそう言っているのだということは、目を見ればすぐにわかった。
 諦めるという言葉を知らないような向こう見ずな色をしたその瞳は、狂気を孕んでギラギラと光っていた。
 裏社会で聞いていた噂が本当なのだと、その目を見ただけですぐにわかった。

 アカギの顔に笑みが浮かぶ。
 そう……そうだ。
 そうこなくては。
 やはりこの勝負、引き受けたのは間違いではなかった。


 ファスナーを下ろし、取り出した自身をおざなりに扱く。
 体を突き抜ける衝動の赴くまま、まだ半勃ちのそれで、ぐずぐずに融けた後孔を一気に貫いた。

「うあぁ……ッ!」

 苦しげな声は、先刻喘ぎすぎたせいで掠れていた。
 自由のきかない体がびくびくと跳ねる。
 だが赤く染まった目許が、その反応が苦痛によるものだけではないことを物語っていた。

 接合部から溢れ出してくる他の男の精液の感触に、アカギは眉を潜める。快感を遥かに上回る圧倒的嫌悪感。だが、アカギは律動を開始する。

 こんな行為のもたらす肉体的快楽など、始めから眼中にない。
 ただ、カイジの心に憎しみを植えつけ、自分という存在を深く刻み込むため。
 アカギにとって、それだけがこの行為の意味だった。

 激しい抽送で新しく傷ができたのか、やがてアカギのものに鮮やかな赤が絡んだ。中を満たしているものが、空気を含んでごぼりと泡立つ。

 汚されれば汚されるほど、鋭さを増して自分を射るカイジの視線に、アカギは笑いだしたくなるほどの興奮を感じて身震いする。

 この男なら、きっとどんな地獄からも必ず自力で這い上がってくる。

 そして、いつか必ず自分の前に姿を現すだろう。


 それは確かな予感であり、アカギの願望でもあった。

 一度地獄を潜り抜けたこの男と、もう一度本気の勝負がしてみたい。
 体の裡に潜む互いの狂気を、空になるまでぶつけ合ってみたい。
 死ぬことになったって構わない。
 この男に殺されるなら本望だ。

「ん、っく……」
 噛み締めている歯列を無理やりこじ開け、口内に指を突っ込む。
 すぐに食い千切らんばかりに噛みつかれるが、それすら甘い刺激に変わった。
 罰を与えるように大きく掻き回し、触れてもいないのにだらだらと透明な液を溢す先端に指を押し込む。
 苦痛と快楽に歪むその瞳に、強く自分の姿が焼き付くことだけをアカギは望んだ。
 まるで恋のような、純粋な感情だった。
 こんなにも、他人に執着するのは久しぶりだった。

 忘れるな。
 あんたを地獄に突き落としたのは、このオレだ。
 必ず這い上がってきて、オレを殺しに来い。


 狂おしいほどの欲望を込め、アカギはカイジの喉に歯を立てる。
 それに応えるかのようにカイジがひときわ鋭く声を上げ、放たれた白いものが、二人の体を接着するように滴った。






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