キス・1


 また空振りか。
 なんの反応もないドアの向こうの気配に、アカギはノックの形の手を下ろした。
 そのまま踵を返し、部屋の前から立ち去る。

 錆びた階段を降りながら、ぼんやりと、これで何度目だろうかと考える。
 最後にこのアパートに泊まったのが半年前。大体、月に一度は訪ねているから、おそらく五、六回は空振っている。
 タイミングが悪いのか、いつも部屋の主の留守中に訪問してしまう。アカギの訪れは気まぐれではあるけれども、いつも深夜の同じ時間帯に訪ねているので、主の生活パターンに変化があったのかもしれなかった。
 事前に連絡するどころか、そもそも男の携帯電話の番号すらアカギは知らない。ある賭場で偶然出会った、ちょっとした顔見知り程度の関係なのだから、まぁこういうこともあるだろう。


 今夜の塒のことを考えながら、アカギはタバコを買うため近くのコンビニに入る。
「……らっしゃい、」
 ドアチャイムとともに聞こえてきた腑抜けた声が不自然に途切れたので、アカギがレジの方を見遣ると、そこにいた店員がコソコソと逃げるようにレジ裏へ引っ込もうとしていた。
 見覚えのある長い黒髪、特徴的な傷痕。
「カイジさん」
 咄嗟にアカギが名を呼ぶと、猫背をビクッとさせたあと、バックヤードの扉に手をかけたまま、観念したようにその店員は振り返った。
「……よぉ」
 ぼそりと挨拶にもならないような短い返事を呟く、その男こそがアカギの訪ねた部屋の主であった。

 アカギはレジに近づき、カイジに話しかける。
「ここで働いてたんだ」
「ああ……」
「何時に上がる?」
「……四時……」
 アカギが店内の時計を見ると、針は三時半を示している。
「今日、泊まってもいい?」
「っ……、お、おう……」
「じゃ、先に行って待ってる」
 カイジが頷くのを見て、アカギはレジ前から離れたのだった。



 酒やつまみや軽食、それにハイライトの入ったレジ袋を片手に提げ、アカギは来た道を引き返す。
 暗い夜道の先を見つめながら、先ほどのカイジの様子を思い出す。

 明らかに動揺していた。目はウロウロと泳ぎ、事務的な問いかけにもしどろもどろといった風に答えていた。
 アカギが近づいた分、後ずさりしていたし、泊まっていいかと尋ねたときには体をビクッとさせていた。
 
 ーー避けられている。

 諸々の異様なカイジの反応を顧みて、アカギはそう断定した。
 そう考えると、入店した際の妙な行動にも説明がつく。アカギを見た瞬間、バックヤードへ逃げようとしたのだろう。

 無論、たまたま入店したコンビニのレジにカイジの姿を見つけた瞬間から、アカギはその態度の異様さに気づいてはいた。
 ストレートに問い糺すこともできたが、隣のレジから興味津々といった目つきで見つめてくる金髪の店員の手前、なんとなくやめておいた。
 その男に会話を聞かれるのを、カイジが嫌がると思ったからだ。
 せっかく塒の算段をせずに済みそうなのに、ここで家主の機嫌を損ねてしまうのは得策ではないと考え、その場は必要最低限の会話に留めたのである。

 なぜ避けられているのか。思い当たる節がまったく無いアカギは内心首を捻ったが、まぁ、あとで本人に訊けばわかることだからと、とりあえず忘れることにしたのだった。
 


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