その気にさせてみな


「なぁ……赤木さん……」

 低い声で名前を呼ばれ、赤木は対面に座る男を見た。
 あまりの暑さに立ち寄った喫茶店。注文したアイスコーヒーに碌に手もつけぬまま、モジモジしながら自分の顔を窺ってくる若い恋人に、赤木は軽く眉をあげ、それから緩く口角を吊りあげた。
「どうした、カイジ……」
 海千山千の赤木には、目の前の若造がなにを望んでいるのかなんて手に取るようにわかったけれども、敢えて気づかないフリをして、自分のコーヒーを口に運ぶ。

 すると、カイジは真っ赤な顔に汗を滴らせながら、戸惑ったように視線を彷徨わせる。
 黙ったままその様子を見守っていると、やがてカイジは観念したように目を瞑って俯き、口を開いた。
「あの……、したい……です……」
 有線のクラシックに掻き消されそうな声が耳に届き、赤木は笑みを深めた。

 随分と、俺好みになったもんだ。
 猫背をさらに丸めるようにして縮こまっているカイジを、赤木は微笑ましく思う。
 つき合いたての頃こそ、性的なことーー特に、男を受け入れる側に甘んじるということに少なからず抵抗を見せていたカイジだったが、じっくりと時間をかけ、心と体を解きほぐしてやった甲斐があったのか、近ごろではこんなにも素直に欲望を吐露するまでになった。

 赤木は元来、そう気が長いタチではないのだが、この若い恋人のこととなると話は別だった。
 あれこれと試行して固く閉じた蕾を開かせ、自分の下で初々しく淫らに咲いていく姿を見守るのは、新鮮な手応えと刺激を赤木に感じさせた。

 老いらくの恋がこんなにも愉しいものだとは、長生きもしてみるもんだと赤木は思う。
 もしも若い時分に出逢っていたら、こんなにものんびり構えていられなかっただろう。
「怖るる何ものもなし」とは、まさに言い得て妙である。

 しかし、快楽の誘惑に滅法弱い恋人の方はそうではないらしく、うっすら涙を湛えた目で訴えるように赤木の顔を盗み見ては、せわしなく身じろぎを繰り返している。

 さて、どうしたもんかと、赤木は頬杖をつく。
 蚊の鳴くような精一杯のおねだりを、聞こえなかったフリをして意地悪してやるのもいいが、そんなことをすればカイジは臍を曲げてしまうかもしれない。
 子どものように唇を尖らせてそっぽを向く横顔を愛でるのも一興なのだが、今日はべつの方法で遊んでやろうと、赤木は悪い笑みを浮かべてカイジにそっと言ってやる。

「そんなに俺とやりてぇなら、その気にさせてみな……」

 密やかな声に、カイジは大きな目を瞠って赤木を見た。
 縋るような視線を微笑ひとつで一蹴してやれば、カイジは恨めしげな顔で唇を噛む。

 さあ、どう出るか。
 情けない顔で許しを乞うてくるか、ため息つきながら諦めちまうか……

 赤木がその様子を興味深く観察していると、カイジはやがて唇を引き結び、強い三白眼で挑むように赤木を見た。
 予想を裏切るその表情に眉をあげる赤木の目の前で、カイジは机の上に転がっているものに手を伸ばす。
 コーヒーミルクとガムシロップ。赤木が使わなかった二つのポーションの蓋を剥がすと、注ぎ口を重ね合わせるようにして、右手の指の隙間に挟む。
「ちゃんと、見とけよ……」
 赤木を見たままぼそりと呟くと、右手を軽く持ち上げ、ポーションを傾けた。
 白くさらりとした液体と、粘度のある透明な液体。
 二つが混ざり合いながらトロトロと滴り落ちてくるのを、口を開いて舌で受け止める。
 挑発的な視線を赤木の顔に固定したまま、どろりと白い粘液を、赤い舌に絡みつかせていくカイジ。
 唇の隙間から白い歯がちらりと覗き、うまく受け止めきれなかった液体が、口端からつうと滴り落ちていく。

 知らずのうちに、赤木は低く喉を鳴らして笑っていた。
 これだから、コイツは手離せねぇ。
「誘惑」という言葉では生ぬるい。持て余した自らの熱を赤木にも燃え移らせ、焚きつけるような。

 負け犬のような普段の様子からは想像もつかないその行動に、男の本質を垣間見た気がして、赤木は背筋が粟立つのを感じた。

 斬るような視線を真っ向から受け止めながら、ポーションの最後の一滴がぽとりとカイジの舌に落ちるのを見届けたあと、赤木は軽く腰を浮かせてカイジに手を伸ばす。
 顎を掴んで上向かせると、カイジは軽く目を見開いたが、おとなしく赤木にされるがままになっていた。

 薄く開いた唇の中、赤く濡れた舌に白いものをたっぷりと纏わせながら、とろけそうな目で歳上の恋人を見つめるカイジ。
 いかにして効果的に男をその気にさせるか、ということを打算的に考え尽くされた表情に唇を撓め、赤木は静かな声でカイジに命じてやる。
「飲みな」
 すると、カイジは口を開いたまま、喉を鳴らして粘性の液体を嚥下してゆく。
 わざとらしいほどゆっくりと喉仏を上下させる様子からは、そこを液体が伝い落ちていく様子を赤木に想像させようとする、明確な意図が感じられた。


 長い時間をかけ、口内を満たしていたものをすべて飲み込んでしまってから、カイジは赤木に見せつけるように舌を出す。
「クク……、上出来」
 顎まで垂れた白い雫を親指で拭ってやり、赤木はカイジから離れて椅子に深く座り直した。

 ポケットから煙草を取り出すと、え、とカイジは目を丸くする。
「これ吸ったら出ようや。なぁ、カイジ」
 有無を言わさぬ口調で押さえつけると、カイジはひどく不満そうな顔をする。

 赤木が一服する、そのわずかな時間でさえもじれったく思ってしまうほど、昂ってしまったカイジ。
 自らそんな風になってまで仕掛けてきた捨て身の挑発に、むろん赤木もしっかりとその気にさせられていたのだが、だからこそ、ここで性急にその先を欲しがってしまうのは勿体ない。
 すでに前戯は始まっているのだ。
 ゾクゾクするようなこの瞬間を、もっと長く味わっていたい。

 煙草を挟む唇に注がれる物欲しげな視線に目を細め、赤木は殊更ゆっくりと、うまそうに紫煙を燻らすのであった。






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