シチュー



 小ぶりの丼の中いっぱいの、白い液体。
 もうもうと立ち上る湯気からは、ほんのり甘いミルクの匂い。
 
 目の前に置かれた丼の中を見ながら、しげるはこれ以上ないほどきつく眉根を寄せた。
「……カレーか肉じゃがだと思ってたのに」
 腹をすかせたしげるがこの家を訪ねたとき、覗き込んだ鍋の中では肉とじゃがいもとにんじんと玉ねぎが、湯の中でぐつぐつと煮えているだけだったのだ。

 何にだってなれる可能性を秘めていたあの鍋の中身が、よりにもよってこんな姿に変貌を遂げるとは思ってもみなかった。
 盛大にため息をつくしげるに、卓袱台を挟んで座るカイジも太い眉を寄せた。

 …… そういやコイツ、これ苦手だったっけ。
 寒くなってくるとたまに作るくらいだから、忘れてた。

「なんだよ。べつにいいだろ。最近寒ぃし」
 そう言うと、しげるは白い湯気越しにカイジを見る。
 恨めしそうなその目つきに、カイジはますます顔を顰めた。
「言っとくけどな、お前が来る前からメニューは決まってたんだよ。恨むんなら己のタイミングの悪さを恨め」
 にべもなくそう言って、カイジはスプーンを手に取った。

 小さく煮崩れたじゃがいもの欠片を、とろみのある液体ごと掬う。
 食欲を誘う匂いの湯気を幾度か吹き飛ばし、口に運ぶ。
 広がるのはよく煮込まれた肉と野菜の旨みと、やさしいミルクの味。

 寒くなると時々無性に食べたくなるんだよな、これ。おふくろも、よく作ってくれたっけ。
 なかなかうまくできてるじゃねえかと自画自賛しながら、カイジはあたたかな夕食を味わう。
「おい。食わねぇなら……、」
 対面に向かってそう言いかけて、カイジは言葉を途切らせた。
 スプーンを持つ白い手が目に入ったからだ。

 思わず食事の手を止め、カイジはじっとしげるを凝視する。
 緩慢な動作で丼の中身を掬い、ものすごく嫌そうな顔で口に運ぶ。
 もそもそと咀嚼し、鼻の上に皺を寄せながら嚥下する。

 まるで苦行を強いられているかのようだ。ただの食事風景なのに。
 記憶する限り、しげるのこんなひどい顔なんて見たことがーー
 いや、確か去年の冬も見たな。今とまったく同じシチュエーションで。

 デジャヴを感じながら、カイジはしげるの様子を物珍しげに観察する。
 喧嘩で傷だらけになって訪ねてきた時ですら、ここまで表情を歪ませることはなかった。

 それでも、しげるは渋々またスプーンを動かし、カレーでも肉じゃがでもない、白い料理を口に運ぶ。

 不機嫌そうな顔をしながらも文句ひとつ漏らすことなく、ただ黙々と丼の中身を胃の中におさめていくしげるに、カイジは肩透かしを食ったような顔をしていたが、やがてちょっと嬉しそうに顔を綻ばせた。

「なぁ。まあまあ、うまいだろ?」
「……熱くて白くて、どろどろしてる……」
「おい。いかがわしい言い方すんな」
「感想を言っただけなんだけど。いかがわしいって何?」

 くだらない応酬を挟みつつ、しげるとカイジは淡々と食事を進めていき、ついに丼の中身を平らげた。
 猫のように唇を舐め、物憂げに後ろ手をつくしげるを卓袱台越しに見ながら、カイジは尋ねてみる。
「おかわり、いる?」
 気だるい目で『なにをわかりきったことを』とでも言いたげに睨まれ、カイジはヘラリと笑った。
「だよなぁ」
 なんだかやたらニヤニヤしているカイジに、しげるはますます不機嫌そうな顔をする。
「……なに」
「いや? なんとなく」
 そう誤魔化しながらも、カイジはやはり頬が緩むのを止められないでいた。

 このワガママで傍若無人な悪漢が、嫌々でも苦手な食べ物を平らげた。
 その事実に、カイジは勝手にしげるの愛情を感じ、嬉しくなったのだ。

 きっと、自分の手作りでなければ、しげるはこれを完食なんてしないだろう。
 なんの根拠もないけれど。でも、恋人同士だから。
 カイジはちょっと自惚れてしまうのだ。

「今度は、グリーンピース入りにしてやるよ」
「そんなことしたら、二度とこの家に来ねえから」

 ぴしゃりとはねつけられ、カイジは愉しそうに笑う。
 来年の冬もまた、この仏頂面が見られたらいいな、と思いながら。





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