幸福な夢 短文


 アカギが目を覚ましたとき、時計の針は午前五時をさしていた。
 カーテン越しに射しこむ早朝の青い光が、部屋の中を水中のような色に染めあげている。
 日中あれほど騒がしい鳥やセミの声は、まだ聞こえない。車のタイヤがコンクリートを滑る音さえ、どこか密やかに響く。
 
 アカギは寝返りを打ち、隣で眠る男を見る。
 この季節、カイジは悪魔にうなされることが多い。
 原因はロクな冷房器具もない熱帯夜の寝苦しさと、それから過去のとある経験だ。
 為す術もなかった数多の喪失の記憶を、夏の暑さとともに無意識が掘り起こすのだろう。

 眠りの浅いアカギは、この季節、カイジの呻き声で起こされるのが常だった。
 たいていは静観しているうち、いつしか寝息が穏やかになっていくのだが、そうじゃないときは文字どおり叩き起こしてやったりもする。
 もう慣れてしまったが、だからといって気分のよいものでもない。

 昨夜は珍しく、そういったことがなかった。
 アカギは汗びっしょりで眠るカイジの顔を覗きこむ。
 黒々とした睫毛をときおり微かに震わせ、すやすやと寝息をたてる姿は、うなされている時とはまるで別人のようだ。

 なんとなく、アカギがその姿に見入っていると、男はもぐもぐと口を動かし、眠ったまま笑った。
 まるでくすぐられた赤ん坊のような、いとけなく無垢な表情だった。

 アカギはすこし眉をあげる。見たことのない寝顔だった。
 いったい、どんな幸福な夢を見ているのやら。札束の海で、溺れているのかもしれない。
 やや呆れたようなアカギの目の前で、緩んだままの男の唇がうっすらと開き、吐息まじりの声を漏らした。

 あかぎ、と。

 かそけきその声は、幻のように空気へ溶け消えていく。
 アカギは黙ったまま、カイジを見つめていたが、やがて腕を伸ばして、夢のなかをたゆたう恋人を捕まえるようにして抱きしめた。


 数刻後、「あつい」とぼやいて目を覚ましたカイジは、体に絡まる白い腕に思いきり顔をしかめた。
「……離れろ、暑苦しい」
「おはよう、カイジさん」
「朝っぱらからなにニヤついてんだよ。なんか腹立つな……」
 ぶつくさ言いながら欠伸をするカイジが、この季節には珍しくよく寝足りたような顔をしていたので、アカギは腕により強く力を込めたのだった。





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