さらさら
波打ち際に打ち上げられて、寄せては返す波の音を聞くような夢をみていた。
あたたかい息を項に感じて、カイジは覚醒する。
さらさらと、絹を撫でるような音。外で霧雨が降っているのだ。
それが波音に似ていたから、あんな夢をみたのかもしれない。
ぼんやりと霞んだ目で、カイジは虚空を見つめる。
雑然とした自分の部屋。灯りを消しているので、今は暗い。
いつの間に眠ってしまっていたのだろう。時間が気になったけれど、気怠くて身動きする気になれない。
項に当たる吐息は静かだが、背中に密着している体は、まだ火傷しそうな熱を持っている。
腹の前に回された白い腕も熱い。その体温で、カイジは自分が眠りに落ちていたのがほんの一瞬のことだったのだと知る。
「……起きたかい」
カイジが目覚めたことを敏感に察知したかのように、後ろから囁くような声がかけられる。
身じろぎすらしていないのに、どうしてわかってしまうのだろう。
不思議に思うカイジの心をも読み取ったかのように、男はクスリと笑う。
「だって、ここが動いたから」
腰を押しつけられて初めて、カイジは男と繋がったままだったことに気づく。
腹の中をあたためる液体や、芯を持った棒のような異物の感触にも。
オーガズムの直後、意識を飛ばすようにして眠ってしまったのだ。
やや恥ずかしくなりながら、カイジは男の名前を呼んでみる。
「アカギ」
なに、と問い返す声は低く、耳にやさしい。密着し、一部で繋がっている体の内側にまで、沁み渡るように響く。
窓の外、しとしとと降る細雨の音と重なって、カイジは深く息をついた。
まるで、雨音に抱かれているみたいだ。
今の時期の冷たい雨ではなく、春の雨。
しっとりと地面を湿らせて草木を芽吹かせるような、やわらかい雨に包まれている。
アカギと寝たあとはいつも、カイジはそんな気分になる。
激しい嵐の只中に放り出されるように抱かれたことが嘘のように、穏やかに凪いだ時間。
そんなとき、重なり合う体温のうちに、うっすらと感じる匂いがある。
涼やかさのなかに温もりを秘めた、掴みどころのない匂い。
かぎりなく無臭に近いのに、一度嗅ぐと記憶から消せない、矛盾に満ちた匂い。
まるで、雨が降る直前に吹く風のような。
それは裸で抱き合うときだけに感じられる、濃く染みついたハイライトの匂いに邪魔されることのない、アカギそのものの匂いだ。
アカギが服を脱ぐときには、嵐の予兆のように胸をざわつかせるその匂いが、事後になると打って変わって包み込むようにやさしいものに感じられる。
匂いは変わらないはずなのに、状況によってこれだけ印象が変化するのである。
不思議な奴だ、とカイジはつくづく思う。その匂いまでもが、静謐に謎めいている。
だからアカギと交わるとき、カイジは赤木しげるというひとりの男ではなく、大きな自然に抱かれているかのような、広々とした不思議な気持ちなるのだった。
雨音を聞きながらアカギの匂いに包まれていると、また段々と瞼が重くなってきた。
吐息混じりのアカギの声もまた、雨垂れによく似て穏やかだから、カイジはそれを聞きたくて、もう一度、アカギ、と呼んでみる。
。
だけど、アカギは今度は返事をせず、代わりに自分が放ったものをかき混ぜるように、ゆっくりと腰を揺すった。
「ん……馬鹿……、あっ、」
ちいさく喘いで体を丸めながら、カイジは瞼を閉じる。
体の中で硬く熱を持っていくものの感触さえ心地よくて、気を抜くとこのまま眠ってしまいそうだ。
まどろみの淵を揺蕩いながら、カイジは背中越しに声をかける。
「はぁ、……っ、途中で、寝ちまったら……っ、ごめんな……」
すると、アカギはカイジの片脚を大きく持ち上げ、耳を軽く噛んだ。
「謝ることねぇよ。そんなこと、させないから……」
そんな不敵な台詞でさえ、やはり雨垂れのように耳をくすぐる。
カイジは、ふふ、と笑いを漏らしながら、裸で雨に打たれるような気持ちで、アカギに身を委ねる。
さらさらと絹を撫でるように、外でも雨が降っている。
終
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