万華鏡




 厳しかった残暑をようやく脱ぎ捨てた十月の街を、ひんやりとした風が通り抜けていく。
 陽の光を受けて金色に輝く銀杏並木の下、行き交う人々もみんなすっかり秋らしい装いだ。
 その中でくっきりとした白はやたら目に眩しく、明らかに街なかで浮いていた。

 人の世界の中に一匹、ヒトじゃないものが混じってるみたいな。
 そういう違和感は、少年に出会ったばかりの頃はよく感じていたけれど、もう慣れてしまったのか、最近はあまり気にならなくなっていた。
 それなのに今日はなぜ、こんなに少年が浮いて見えるのかというと、たぶん半袖の開襟のせいだとカイジは思った。

 暑がりのカイジでさえ、ここ最近の急な冷え込みに慌てて長袖のシャツを引っ張り出してきたというのに、目の前を歩く少年は季節をどこかに置き忘れてきたかのような夏の装いのまま、スラックスのポケットに手を突っ込んで平気な顔して歩いている。

「寒くねぇの」と問いかけると、少年はわずかに振り返って首を横に振った。
 本人が寒くないのならそれ以上なにも言えず、カイジは黙るしかない。
 変なヤツだ、と思う。ただ歩いているだけなのに、こんなにも目立ってしまう。当の本人がなにひとつ気にした様子もなく、飄々としているのも妙に可笑しかった。
 まるで真夏の化身が、ちょっと秋というものをお試しに来たかのような。
 浮世離れした少年自身の雰囲気も手伝って、もうそんな風にしか見えなくなって、カイジはちょっと笑う。
 
 と、ふいに、樹々がざわめいた。凍るような風が正面からまともに吹き込んでくる。その鋭さに思わず目をぎゅっと瞑ってしまってから、カイジはそろそろと瞼を持ち上げた。

 突風に散らされてひらひらと舞い落ちる金色の葉。とろりとした蜜のような秋の陽光の中、白い後ろ姿は夏の名残の雲霞のようだった。
 幻のような光景に、カイジは幾度も瞬く。

 半袖のシャツ。そこから伸びる細い腕。どちらも洗い晒しのような白さで、その境目がわからない。
 無意識のうち、カイジは確かめようとするように、そこへ手を伸ばしていた。


 掴んだ腕は陶器のようなのに、ちゃんと体温を感じられて、なぜかカイジの腕にぞくりと鳥肌がたった。
 少年が振り返る。秋波、という言葉が胸をよぎるほど、凛と澄み渡って涼しくて、それでいてしっとり濡れたような色を含んだ目つき。

 その目が今までとはっきり違っていることに、カイジは気がついてしまった。
 ほんのわずかに傾けるだけでガラリと模様が変わる万華鏡のように、危ういバランスの上で自分たちのなんでもない関係が、成り立っていたのだということも。

 少年の細い腕に触れてしまった今この瞬間、ふたりの関係がガラリと変わってしまったのをカイジは感じていた。
 なんの前触れもなく、唐突に。
 もう後戻りはできない。後悔の中にほんのすこしの昂揚が斑に入り混じった、不思議な感情が胸に押し寄せる。
 さわさわと揺れる木立の音が、己の血汐の騒めきのようで、カイジはにわかに落ち着かない気分になりながら、ただ呆然と少年と見つめ合っている。

 ひらりひらりと舞い落ちる黄金の葉。
 刻一刻と、世界の様相までも鮮やかに、目まぐるしく変わっていくような感覚に、うっすらと目眩を覚え、カイジは咄嗟に、縋るように少年の腕を掴む手に力を込める。
 すると、少年はわずかに目を細めた。笑ったのか、そうじゃないのか、わからない曖昧な表情で、色素の薄い唇をそっと開く。
 僅かな隙間からちらりと覗く舌の赤みと艶やかさにクラクラしながら、カイジは自分に向けて発せられる言葉を、怖いような逸るような気持ちで、息を潜めて待つのだった。




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