終末、半ば 薄暗い ただの日常話 カイジさん視点




 裏番組の競馬が見たいな、と思いながら、ブラウン管が映し出すワイドショーを眺めていた。
 訳知り顔のコメンテーターが何事か喋っているが、厨房から聞こえるなにかを焼いたり炒めたりする音が煩くて聞き取れない。

 満腹を越えて苦しくなった腹を摩りながら、空になったチャーハンの皿と対面に座る赤木さんを交互に見る。
「あの」
「ん?」
「本当になんも頼まねぇの」
 赤木さんは首を振り、コップの水を一口飲んだ。
 腹が減ってないのか。それならこんなとこに付き合わせて悪かったなと思う。

 赤木さんがなにか食べるところを、そういえば最近見ていない。元々、食に対してがっついたところのない人だけど、最近は霞でも喰って生きてんのかってくらい、食の細さに拍車がかかってる気がする。
 赤木さんなら主食が霞だったとしてもオレはさして驚かないけど、最近特に暑いから、流石に心配になる。
「ぶっ倒れますよ。ちゃんと喰わねえと」
 言ってすぐ、おせっかいだったかなと後悔する。
 おふくろみたいなこと言っちまったと急に恥ずかしくなってきて、オレは水をちびちびと舐めながら窓の外を見遣った。

 今日は朝から天気が悪く、外はすでに黄昏時のように暗い。暑いのに空気がジメジメしていて、不快指数が高い。今にも一雨きそうな、重く垂れ込めた暗雲を眺めていると、おどろおどろしいBGMが耳に飛び込んできて、室内に目を戻す。
 調理の音が途切れ、テレビの音声が明瞭になったのだった。
 眉間に皺を寄せたコメンテーターを映し出すワイドショー。『あの大予言を徹底検証!!』という、殴り書きのような字体のテロップが映し出されている。

『1999の年、7の月』も半ばにさしかかり、こういう特集を組むテレビ番組が増えた。
 恐怖の大王の正体だとか、アンゴルモアがどうだとか、日がなどうでもいいようなことばかり垂れ流している。
 気難しげな自称専門家が語る世界の終末よりも、オレにとっては今日のレースの結果の方が遥かに大切なのに。

 そんなことを考えながら、ふと、世間話のようなつもりで、目の前の人に訊いてみる。
「赤木さん」
「ん?」
「明日、世界が終わるとしたら、なにしますか」
 本当に単なる思いつきの、軽口みたいな質問だった。
 荒唐無稽だが、誰しもが一度は思いを巡らせたことがあるだろう、取るに足らないこの問いかけ。
 神域の男ならどう答えるのか、ちょっと興味があった。
 突拍子もないオレの質問に、赤木さんは細い眉をあげたが、すぐにワイドショーの内容に気がつくと「ああ、」と納得したように呟いた。

「世界が終わるとしたら……、か」
 テーブルの上に指を組んで、赤木さんは思案するような顔つきになる。
「お前はどうなんだ、カイジ」
 思いがけず質問を質問で返されて、一瞬、きょとんとしてしまった。
「え……オレ? オレ、は……」
 目線を上に投げながら考える。
 頭を過るのは、憎んでも憎みきれない因縁の相手の姿。
「とりあえず……殴りたい奴がいるから、殴りにいく……」
「へぇ……それから?」
 赤木さんが面白そうに促してくる。
 でも、その他は、って考えると、これといって思いつくこともなかった。
「……べつになにも。いつもどおり過ごすだけだと思うけど……」
 自分から投げかけた質問だというのに、消化にエネルギーを費やしているせいか頭がうまく回らず、真面目に考える気のないようなふわっとした返答になってしまった。
 赤木さんは「そうか」と呟き、白い瞼でゆっくりと瞬く。
 それから、ひっそり笑って、
「……そうだな。俺も、いつもどおりの俺のまま、終わりを迎えることにするよ」
 すこし嗄れた低い声で呟き、軽く睫毛を伏せた。

 ゆくりなく、言い知れぬ不吉さが胸の底を掠め、オレは慌てて目を逸らした。
 いやに穏やかなその表情に、見てはいけないものを見てしまったかのような、禁忌に触れてしまったかのような。
 取り止めのない、他愛もない、ただの会話に過ぎなかったはずだ。
 それなのになぜ、そんな風に思うのか。自分の心のことなのに訳がわからないまま、オレは窓に目を向ける。

 どんよりとした空から、細かな雨粒が落ちてきて、窓に張り付いてはひっきりなしに伝いおりていく。
 窓に映った赤木さんの横顔。その白い頬のあたりを流れていく雫が涙のように見えて、ますます騒めく心を落ち着ける術もないまま、オレはぬるい水をひたすら喉に流し込む。
 手を伸ばせば届く距離にいるはずの赤木さんが、果てしなく遠い人のように感じる。

「カイジ」
 名前を呼ばれ、ギクリとする。赤木さんの顔が見られないままでいると、口の端になにか、ひんやりとしたものが触れて飛び上がりそうになった。
「飯粒」
 ニヤリと笑って指で摘んだ飯粒を見せてくる赤木さんは、いつもどおりの飄々とした赤木さんで、それでもオレはなんだか落ち着かない気分のまま、ぼそぼそと礼を言う。
 窓の向こう、遠くの空から、くぐもった雷鳴が聞こえてきた。






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