Dance with  . カイジさん視点





 赤木さんが鳩の群れの中に飛び込んで行ったときのことを思い出していた。
 二年ほど前の、まだ肌寒い春先のことだったと思う。


 ばたばたと空気を打つ羽音と、驚いたように舞い上がる鳥の群れ。
 咥えタバコでポケットに手を突っ込んだまま、悪戯小僧のように笑う赤木さんの笑顔。

 駅前の広場だった。誰かがパン屑でも撒いていたのだろう、たくさん鳩が集まっているその中に、赤木さんは水溜りでも飛び越えるかのような足取りで、軽やかに飛び込んだのだ。

「見ろ、カイジ」

 飛び立つ鳥の体を器用に躱しながら、赤木さんはオレを振り返って目を細める。

 突拍子もない行動に、只々面喰らうしかなかった。
 ひょっとして酔ってんのかこの人、とも思ったが、この人の酔狂は今に始まったことじゃなかったと思い直した。
 子どもみたいなことをする、と呆れつつも、オレはなぜか、その姿に見入ってしまった。

 昼下がりの光の中、一斉に羽ばたく鳥の群れに見え隠れする、真っ白なひと。
 空打つ羽の隙間を縫い、しなやかに動く体。
 子どもの遊びじみたその仕草に合わせて、ジャケットの裾がひらり、ひらりと翻り、彼自身もまるで鳥のようだった。
 心から愉しそうな赤木さんの表情に、つられて笑い出しそうになる。

 敗けた博奕のことや失った金のことで積もりに積もっていた鬱屈までもが、光にさらされて消えていくようだった。

 周りに人がいなくてよかった、と心の底からオレは思った。
 それは鳩の群れの中で笑う酔狂な中年のツレだと思われたくないから、という理由では決してなく、光の中で笑う赤木さんの姿を、誰にも見られたくなかったから。
 独り占めしたかったからだ。真に子どもじみていたのは、オレの方だったのかもしれない。

 ステップでも踏むような軽やかさで鳥たちを躱す赤木さんの姿を見ながら、きっとこの人はダンスも上手いんだろうな、なんて、ぼんやりと思った。
 ダンスなんて絶対にしないだろうけど、きっと造作もなく、泳ぐようにすいすい踊れるんだろうな、と。
 なんでもできる人だったから。気乗りしなければやりたがらないことも、多かったけど。

 砂埃の匂い。舞いあがり、舞い落ちる無数の羽根。
 鳩が飛び去って、しんと静まりかえったあと、それまでの鬱屈などすっかり忘れて見とれているオレを見遣り、赤木さんはニッと笑ったのだった。



 そのときのことを、なぜか思い出していた。
 空の色が今日の日と似ていたからだろうか。

 思い返してみれば、実際、赤木さんは踊るのがとても上手かったと思う。
 
 博奕。退屈。人生。ーーそれから、死。
 まるで古くからの知己のようにそれらと向き合い、声なき相手と対話しながら、相手のペースに惑わされることなく、しっかりと自らの足でステップを踏んできたのだ。
 絶えず澱まず、流れるようにしなやかに、力強く。

 その赤木さんが選んだ結末なら、良いものであるに決まってる。そう思った。
 正しいとか間違ってるとか、そういう基準を持ち出すことすらナンセンスなのだと。

 あの日、光の中、翼が生えたような赤木さんのステップ。
 舞いあがるたくさんの鳥たちと、つられて笑ってしまうような眩しい笑顔。

 オレだけが見ていたそのワンシーンは、誰ひとりとして踏み込めない心の深いところで、今も息づいている。

 オレは赤木さんとは違うから、相変わらず色んなものにふらふらと踊らされてばかりだ。
 だけど、そのうちきっと、地に足の着く日も来るだろう。
 そのときは、自らの意思で決めた次のステップを、力強く踏み出そうと思う。
 たどたどしくても、みっともなくても。明日をも知れないこの人生を、必ず踏破してみせる。


 あちこち欠けている墓石の前で大きく伸びをして、空を仰ぐ。
 あの日と同じ色の空に、羽ばたく鳥のシルエットがくっきりと見えた。






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