ふたりあやとり アカ←カイ カイジさん視点
ぜったい運命だって。赤い糸で結ばれてるって。
えーっ、そんなわけないじゃん。
とか言って、まんざらでもないんでしょ? 顔にそう書いてあるって、わかりやすすぎ。
あぁもぅ、うっさいなぁ。面白がってんでしょ、あんた。
甲高い女の笑い声が、机に突っ伏しているオレの耳を通り過ぎていく。
心なしかいつもより店の空気が浮ついているように感じるのは、今日が二月十四日だからか。たまんねぇ、こんな空気。と、唾を吐き捨てたい気分になる。
恋愛に関わるイベント特有の、このテンションが苦手だ。今日は花金、たまたま明日はバイトも休み。だからせっかく呑みにきたっていうのに、隣のテーブルでの女子会が鬱陶しくてかなわねぇ。
むくりと起き上がると、人、人、人でごった返す光景に酔眼が眩んだ。対面に座る男は、水割りのグラスを静かに傾けている。こんなにうるせえ店の中なのに、男の佇まいはどこまでも静かで、それに引きずられるように、男の周りの空気だけが深海に沈んでるみたいにしんとしている気がした。
オレと目が合うと、男はグラスを置いた。
「目、覚めたかい」
呼吸するついでみたいに穏やかな声が、鼓膜を微かに震わせる。眠気を誘う声だ。つい、欠伸が漏れた。もうすこし聞いていたいと思った端から、ギャハハと女の爆笑が耳をつんざいた。
「……もう出ようぜ、アカギ」
ガンガン響く頭に思いきり顔を顰めながら席を立つ。するとアカギも立ち上がりざま、テーブルの上の伝票を取った。そうするのが当たり前かのような、慣れきった仕草。こいつとサシで呑むのは五回目だが、出会ってから今までの飲み代は、すべてアカギ持ちだった。そういうことの積み重ねが、まるで当然みたいにアカギに伝票を取らせているのだと思うと、情けなさで心がジクジクした。
外に出ると、空気が生あたたかかった。ここ数日、昼間は春みたいな陽気が続いていて、それが夜にも尾を引いてる感じだ。
ぐっと背筋を伸ばして、軽く息を吐く。
そこまで酔いが回ってないことを確かめて、オレは足を踏み出した。
アカギはオレの隣を歩く。金曜の夜、街行く人々の表情は心なしかいつもに比べて明るい。今日は人が多いから、アカギはこころもち、オレの近くを歩いている。
肩が触れそうで、触れない。
この距離感にも、ずいぶん慣れたつもりだ。
アカギとは、雀荘で出会った。人だかりのできている雀卓があって、すげぇ打ち手がいるって騒がしかった。ちょっと覗き込んでみたら、もう、すげぇ、なんて言葉じゃ役不足だった。人間離れしてた。時には悪魔、時には神さま。オレもぜんぜんうまく言えねえけど、それくらい凄かったんだ、アカギの麻雀は。
どうしたらそう、強くなれるのかが知りたくて、決着がついたあと、声をかけた。ちょっと近寄りがたい見た目に反して、話してみるとアカギは意外なほど普通のやつだった。オレはなんだか嬉しくなって、アカギを呑みに誘った。それから、同じ雀荘で偶然会ったときなんかに、ふたりで呑みに行くようになったんだ。
どうにかして強さの秘密を探りたいだけだった、最初は。
それだけだったんだ。本当に。
アルコールのせいか、取り留めのない回想ばかり浮かんできやがる。頭を振ってそれを振り払い、オレは口を開いた。
「うるさかったな、さっきの店」
「ああ」
「呑み直したいよな、静かなとこで」
たとえば、オレのうちとか。
短く息を吸い込んで、そう提案しようとした、けれど。その前に、アカギが首を横に振った。
「今日はもう、行くよ」
淡々と返されて、みるみるうちに心がしぼんだ。途方もない脱力感に背中を丸めながらも、
「そっか」
と、なんでもない風に答える。
駅はオレのアパートへの道中にあるから、それからしばらく、アカギと無言で歩いた。オレはひたすら落ち込んでいたけど、それを知られたくなくて、必死に会話の接ぎ穂を探した。
「そ、だ……お前、起こせよっ……」
絞り出すような呟きに、アカギがオレの顔を見る。
切れ長の目に見つめられて、ちょっとクラリとした。
「さっきみたいなとき。寝ちまったオレが悪ぃんだけどよ……、せっかくふたりで呑んでんのに。つまんなかっただろ、お前」
捲し立てるように言うと、アカギは無表情のまま、わずかに首を傾げた。
「あんた、疲れてるみたいだったから。べつに、つまらなくなんてなかったし」
飾り気のない、まっすぐな声。
『あんた』って呼ばれて、心臓が変な風に跳ねた。他のやつに『あんた』なんて言われたってカチンとくるだけなのに、アカギのそれはちっとも嫌じゃない。抑揚がないくせに、アカギの声には妙な色気があるから、たぶんそのせいだと思う。
「あ、そう。変わったヤツだな……」
なんて素っ気なく言いながら、オレは項垂れるように俯いた。
なんで、と思った。
なんでこんなに、普通にやさしいんだよ、って。
どこまでもシビアな麻雀の打ち筋と同じに、もっと悪魔めいて非情なヤツだったらよかったのに。
そしたら、オレはこんなにぐちゃぐちゃな気持ちにならなくて済んだのにって。
どうにかして、強さの秘密を探りたいだけだった。
それだけだったんだ、最初は。
なのに、こいつがあまりにも、普通の人間みたいに、やさしいから。
知らず知らずのうちに、雀荘に足を運ぶ回数が増えた。
会えるだけで嬉しくて、会えなかったらガッカリして、こいつの一挙手一投足に、喜怒哀楽を左右されるようになってた。
そんなオレの気持ちなんて、どうせ知らねぇんだろ、お前。
毒々しいネオンが落とす、アカギの黒い影を見つめる。
こんなドロドロのオレを、アカギに知られてなくてよかったと思う。でも同時に、ちょっとだけ、なんにも知らないアカギに苛立ったりもする。
アカギに知られたいのか知られたくないのか、自分でもよくわからない。ただ、あの赤木しげるでも、知らないことが自分の中にある。そう思うと、ほんのすこし、乾いた笑いが漏れた。
声とも言えないような、掠れた吐息のようなオレの笑い声は、都会の音に掻き消され、アカギの耳には届かなかったようだった。
駅には、すぐに着いてしまった。アカギはオレの方を見て、
「それじゃ、また」
って呟いた。
味も素気もない別れのあいさつ。だけど、『また』って言葉がアカギの口から出たことが嬉しくて、
「おう。またな」
念を押すような気持ちでそう返すと、アカギは微かに頷いて、駅の方へ歩いて行った。
人ごみに紛れて遠ざかっていく背中を見ながら、なぜか、居酒屋での女たちの会話を思い出す。
運命の赤い糸、なんてものが本当に存在するのだとして。
きっとアカギの足首に巻きついたそれは、まかり間違ってもオレとは繋がっちゃいないんだろう。
当たり前だ。オレもアカギも、男同士なんだから。アカギはきっと、オレみたいなクズなんか眼中にないんだろうから。
だったら、そんな糸なんてぶった切ってやりたい。
お前の糸も、オレの糸もぶった切って、輪っかにして繋げて、あやとりでもしてやろう。
オレなら、他の誰よりうまく、お前の糸を掬い取ってやれるから。
お前のこと、こんなに好きなんだから、ずっと見てたんだから、オレにはきっとそれができる。
そこまで考えてから、ハッと我にかえって、それからゾッとする。
思ったより酔いが回ってたみたいだなんて、自分に言い訳しながら、それでもオレの両目は、アカギの背中を見失わないように追っている。
まったく、嫌になるよな。柄にもなく一途でよ。心の中で自嘲するけど、遠ざかる背中がぼやけていく。
溢れそうになるものを堪えようと、大きく息を吸い込むと、生ぬるい空気が肺に流れこんできた。
冬が遠くなっていく。
終
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