十二月の街
終電を降りると、十二月の夜中の空気が頬を刺す。
疲れた顔で歩く疎らな人影に混じって、アカギは改札を出た。
駅前に、大きなクリスマスツリーが置いてある。この時間なのでイルミネーションは消え、今は眠るように闇に沈んでいる。
以前、この駅で降りたときは、七夕飾りが置いてあった。鮮やかな色彩と笹の葉の青い匂いに包まれながら、アカギは恋人にキスをしたのだ。
夜風に葉をざわつかせる巨大な樹を横目に、アカギは歩を進め、駅を後にする。
すこし寂れたような街の風景は、夏に来たときの記憶とさほど変化はない。それでも、空気のつめたさをやけにはっきりと感じるのは、昨日まで南の方にいたという理由だけではないとアカギは思った。
数ヶ月ぶりの訪問。季節がすっかり切り替わってしまうまで訪れなかった人間に、都会の空気はどこかよそよそしく、ツンとそっぽを向くようにつめたい。
果たして、恋人はどうだろうか。長い間訪れなかった自分を、どのように出迎えるだろうか。
笹の葉と七夕飾りに見え隠れする、不貞腐れたような横顔を思い出す。
『お前のことなんて、忘れちまうところだった』
葉擦れにかき消されそうな呟きが、耳の奥に蘇ってくる。
つめたく、素っ気ない耳触りの言葉。
だけど、よそよそしさを装いながらも、そうなりきれない情の深さが滲んでいて、男の性質がぎゅっと凝縮されたようなその呟きを、アカギは耳でしっかりと覚えていたのだった。
薄暗い路地を抜けると、見えてくる安普請のアパート。二階の一室の窓には、あたたかな光が煌々と灯っている。
コンビニのアルバイトは、今日は休みなのだろうか。錆びた階段をのぼりながら、タイミングがよかったなとアカギは思う。
合鍵を持たされているわけではないので、もし留守なら部屋の前で待っていようと思っていた。別段、待ちぼうけを食うのが嫌だというわけじゃないけれど、会いに来たからには、やはり早く顔が見られるに越したことはない。
なんといっても、恋人同士なのだから。表に出さないだけで、それくらいの気持ちは、アカギにだってあるのだ。
古ぼけたドアをノックして、数秒。返事はない。
同じことをもう一度繰り返したあと、アカギはドアノブに手をかけた。
軽く捻ると、ドアは開いた。
薄暗い玄関。ぼんやりと光の漏れる部屋の奥から、男女数人の笑い声が聞こえてくる。テレビの音だ。
アカギは靴を脱ぎ、部屋に上がる。居間に続くガラス戸を開け、アカギはわずかに目を細めた。
家主であるカイジが、卓袱台に突っ伏して寝ているのだった。
卓上に転がっているビールの空き缶や、中途半端に食べ散らかされたつまみに取り囲まれながら、丸くなった背中を、ゆるやかに上下させている。
耳をすませば、テレビの音に紛れるようにして、健やかな寝息が聞こえてくる。
ひとりで呑んでいるうちに、眠ってしまったのだろう。
アカギは床に鞄を下ろし、カイジの傍に座る。
寝顔を見たくて、顔の横に落ちかかる長い髪をさらりと掬いあげてみたが、腕を枕に顔を伏せているので、継ぎ接ぎのある耳だけしか露わにならなかった。
その耳がほんのりと赤いのは、きっと酔いのせいだろう。
掬いあげた髪を耳にかけてから、アカギはカイジの肩に手をかける。
強めに揺さぶると、くぐもった唸り声があがる。
煩わしげなその声に構うことなく、しつこく揺らし続けていると、やがてアカギの手を払い除けようとするように、突っ伏していた体がむくりと起きあがった。
顔をあげた男は、傍に座るアカギに気づかず、とろんとした寝ぼけ眼で騒がしいテレビをぼんやりと見つめていた。
長い髪はボサボサだが、髪を耳にかけたので、アカギの側からはその横顔がスッキリとよく見える。
頬が熟れたみたいに上気し、変なクセがついた前髪が持ち上がっている。ずっと顔を腕に押しつけていたせいか、露わになった額にはくっきりと赤い跡がついていた。
「こんなとこで寝てたら、風邪ひくぜ」
アカギが声をかけると、カイジの肩がピクリと震えた。
ようやくアカギの方へ向けられた顔に、驚きの表情が浮かぶ。
ひどくゆっくりと瞠られる目。ぽかんと開いたままの唇。
アカギが予想していたとおりの、無防備で間抜けな顔。
だが次の瞬間、それがくしゃりと歪んだので、アカギは眉をあげる。
「お、前……っ、今までどこをほっつき歩いてたんだよ……っ」
黒い眉を寄せ、きつく吊った目から大粒の涙をぼろぼろと溢して、カサカサに乾いた唇を戦慄かせながら、男はいきなりアカギにかじりついてきた。
「ず、ずっと連絡もしてこねぇでっ……、心配したんだぞっ……!」
わぁわぁ泣き喚きながらのし掛かるようにして抱きつかれ、予想外の動きにアカギはその体を受け止めきれず、カイジもろとも背中から床へと倒れ込んだ。
「……カイジさん、」
名前を呼んでも返事はなく、代わりに、グスグスと鼻を啜る音が、鳩尾のあたりから返ってくる。
「う、うぅ……、よかった……いきて、て……」
「……」
心の底からホッとしたような呟きのあと、ふつりと声は途絶え、代わりに、すうすうと規則正しい寝息が聞こえてくる。
アカギはふっと息をつき、天井を見上げた。
タバコを取ろうと鞄に伸ばしかけた手を止め、酔っぱらい、と心の中で毒づいて、のしかかる体に腕を回した。
数ヶ月ぶりの訪問者に、よそよそしい都会の街。
しかしそこに生きるこの男は、そんなよそよそしさとは無縁に、いつだってアカギを迎え入れる。
捻くれていて不器用で、拗ねているみたいな態度で。
だけど、酔いに緩んだ意識のなかで垣間見せた、さっきの反応こそが、きっと掛け値なしのカイジの本音なのだろう。
七夕飾りに見え隠れしていた、子供みたいな横顔を、アカギはまた思い出す。
きっと明日の朝には、この人はなにひとつ覚えちゃいないんだろうけど。
アカギは体の力を抜き、目を閉じる。
心臓の上をそっとあたためるような寝息に、ひたすら耳を傾けていると、テレビの声がすこしずつ、すこしずつ遠のいていく。
体温の高い恋人の体を乗せたまま、アカギはいつしか、穏やかな眠りに落ちていったのだった。
終
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