夕陽



 傾く太陽が、空を眩い金色に染めている。
 輝く水平線。紺色の海。白い砂浜。

 視界はそのすべてを、きちんと捉えている。でも、今だけだろうな、と赤木は思う。
 やがて、この視野は闇に侵食されはじめるのだろう。そのことを、悲しんだり嘆いたりする赤木ではない。
 ただ、その狭くなった視界に、こいつの姿が映ることはもうないのだと、漠然と思いながら、隣に座る年若い恋人を見た。

 コンクリートの石段に腰掛けて、カイジはぼんやりと海に沈む夕陽を眺めている。
 どこへ行きたい、と問いかけても、カイジは首を傾げるばかりで、結局、この海で半日、なにもせずに過ごすことになってしまった。
 
 横顔の輪郭が、金の光で縁取られている。
 黒い瞳にも、とろりとした光が揺らめいている。
 かすかな離れがたさが、赤木の胸底を掠める。だが、それはほんの一瞬のことで、波打ち際の泡のように、すぐに跡形もなく消えていく。
 仮にも恋人に対して、あまりに薄情だろうと自身に呆れもしたが、とかく背景を持たず、身一つで生きてきた赤木にとっては、当たり前すぎる心の動きだった。

 赤木はポケットからタバコを取り出し、火を点ける。
 それでも。
 それでも、これが最後なのだと思うと、消えゆく泡沫を戯れに掬するような気持ちで、赤木は恋人の名を呼んだ。

「なぁ、カイジ」

 夕陽に見惚れていた双眸が、赤木の方に向けられる。
 赤木は片頬をつりあげ、悪戯っぽくニヤリと笑ってみせた。

「帰り道、忘れちまった」

 軽く見開かれる、大きな瞳。
 唖然としたその表情を愉快な気持ちで眺めながら、赤木は波の音を聞き流す。

 馬鹿なこと言ってんなよ、とか、オレが覚えてるから大丈夫です、とか。
 呆れた顔でそんなようなことを言ってくるだろうと赤木は予想していたが、カイジは夕陽に向き直ると、ひとりごちるように、ぼそりと呟いた。

「……なら、べつに帰らなくたっていい」

 やさしく囁く波の音。沈みゆく黄金の陽。

 自分の言ったことに照れたのか、やや顔を背けるようにして遠くを眺めているカイジを、赤木はじっと見つめる。

 それもいいかもな。
 ふっと心をよぎった言葉を、短くなったタバコとともに赤木は揉み消した。

 そんな軽口、気休めにもならない。
 この先、自分がしようとしていることが、カイジにとってどれほど残酷なことなのか、赤木にはわかっていた。
 なにも告げずに去るということ。それが、裏切られたに等しい痛みをカイジに与えるということが、赤木にはわかっていた。

 わかっていたからこそ、赤木は今さら、どんな気休めも言うつもりはなかった。
 どんなに甘い言葉だろうとも、それが必ず嘘になる限りは、決して口にしない。
 それが赤木なりの、最後のカイジへのやさしさであり、愛情であった。

「そろそろ行くか」

 赤木が言うと、カイジはちょっとだけがっかりしたような顔で、顎を引いて頷く。
 ああ、この顔も覚えていようと目を細め、スーツの裾についた砂を払うこともしないまま、赤木は立ち上がった。




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