ドライブ



 住宅街の路地を抜け、国道を走る。
 アクセルを踏み込めば、街の風景がどんどん後ろへ流れていく。
「こんな車で、どこいくんすか」
 ぼそりと呟く声。赤木はハンドルを握ったまま、助手席に目を向ける。

 若い男が、長い髪を風に靡かせながら窓の外を眺めている。
 馴染みのヤクザから借りた高級外車を『こんな車』呼ばわりか。赤木は苦笑する。
 こういう車には、やはりいい思い出がないのだろう。
 本革シートの乗り心地は悪くないはずなのだが、どうやら虫の居所が悪いらしい。
「どこだって連れてってやるよ。お前の行きたいとこ」
 世の女性が聞きたら黄色い悲鳴をあげそうな甘い台詞にも、男はそっぽを向いて黙ったままだ。
 赤木は軽くため息をつき、目線を前に向ける。

 アパートで男を乗せてから、ずっとこんな調子だ。
 ご機嫌とりをするつもりもないが、せめて顔が見たかった。

 ウインカーを上げ、ハンドルを右に切る。とたんに視界が開け、青い空にたなびく白い雲が目に眩しい。
「こないだは、悪かったな。約束、すっぽかしちまって」
 素直に謝ってみても、返事はない。
 逢瀬の約束を破ってしまったのには、赤木なりの事情があったのだが、それを話す気などなかったし、言い訳じみたことを言う気もなかった。
 開けっぱなしの窓から、風を切る音が入ってくる。それ以外には音というものが絶えてなく、赤木は肩をすくめた。
「なぁカイジ、機嫌直せよ。せっかくのデートなのに」
 掻き口説いてもカイジは頑なに口を閉ざしたままだったが、しばらくののち、ぽつりと呟いた。
「……あんた最近、なんか変だ」
 風に掻き消されそうな低い声。赤木は助手席に視線を流す。
「こういう……罪滅ぼしめいたことなんて、するような人じゃないと思ってたのに」
 相変わらず赤木の方を見ないままカイジはそう言って、ふつりとまた黙った。

 赤木は真顔になる。どうやら、カイジはなにかに気づきかけているらしい。
 幸いにして、まだ車の運転に支障をきたすほどではないし、ぜったいに悟らせない自信もあるが、なかなかの勘の鋭さだと、赤木は場違いに感心した。

 赤信号で停車する。ますますしんとする車内に乗じて、赤木は密やかに囁いた。
「さあな。お前が俺を変えたのかもしれねぇぜ」
 片頬をつりあげる赤木をちらりと横目で見て、カイジは窓枠に肘をつく。
「……ごまかされねぇからな。オレは」
 ふたたび車窓の風景に向き直ってしまったカイジに、これは思ったより手強いと、赤木は愉快そうに喉を鳴らした。


 信号が青に切り変わる。アクセルを踏み込む。
 建物の数がまばらになり、空気に潮の匂いが混じってくる。

 快適な速度で車を走らせつつ、赤木は視界の端に、男の姿をずっと捉えていた。

 これが最後になるだろう。
 助手席にふてくされた若い恋人のいる風景を、覚えていられる限りは、覚えておこうと思った。
 それは限りなく甘く、すこしだけほろ苦く、胸を焦がすような恋愛の風景だった。


 濃くなった潮の匂いを大きく吸い込み、赤木は隣に声を投げる。
「見ろ、カイジ。海だぜ」
 左側の窓いっぱいに広がる水平線を顎で示すと、えっ、と短い声とともに、大きな目を少年のように輝かせたカイジが、ようやく赤木の方に顔を向けた。
 ふてくされた気分が、一瞬にして吹き飛んでしまったかのようだった。

 眩しいほどの笑顔に目を細め、海を見ようと身を乗り出してきたカイジに、赤木はそっと唇を押し当てるようにキスをした。





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