進路希望調査 学パロ いちゃいちゃ


『卒業後の進路希望を、第1〜第3候補まで記入してください。※なるべく具体的に』


 まだ名前しか記入していない調査票を前に、カイジは眉を寄せて唸っていた。
 とん、とん、と空欄をシャープペンで叩く。
 先ほどからずっとそんなことを続けているせいで、まだ一文字も書けていない調査票には、黒い点だけが無数に散らばっている。
 深くため息をつき、カイジは目線をあげた。

 前の席の椅子に浅く腰掛け、窓の外を眺めるアカギの横顔が、燃えるような夕陽に染まっている。
 顔も髪も真っ白なアカギは、他の色が照射されるだけで、まるで別人のようにガラリと印象が変わる。
 陰影の濃い西陽に染まる今は、冷たい印象がやわらぎ、いつもよりぐっと親しみやすくなったように見える。

 不思議な気持ちでその横顔を眺めながら、カイジは尋ねてみた。
「お前、これ出した?」
 アカギはなにも書かれていない調査票に目を遣って、首を横に振る。
 だよなぁ、と呟いて、カイジは頬杖をつく。こんなもの、真面目に提出しているアカギの姿を想像する方が難しい。

 カイジと違って落第しているわけではないから、きっと教師たちも目を瞑っているのだろう。アカギに対しては、なぜか教師でさえも遠巻きに様子を窺うようなフシがある。
 さすがに二度ダブっているカイジはそういうわけにはいかず、能面のような顔で腕組みした担任に『提出するまでは家に帰さない』と通告され、しぶしぶ居残りしているのである。

 調査票と向き合い始めてから、すでに三十分以上が経過している。
 だが、この空欄を埋めることは、正直、カイジにとってどんなテスト問題よりも難しかった。


 シャーペンの尻をがじがじと噛みながら、カイジは憂鬱な顔でアカギを見る。

 ーーお前、どうすんの。卒業したあと。

 そんなことをアカギに尋ねたって無意味だとわかっているから、カイジはその質問を飲みこんだ。
 なんとなく、アカギはこんなちっぽけな空欄におさまるような生き方なんてしないような気がするのだ。
 それが具体的にどんな生き方なのかは、さっぱりだけれど。

 アカギの未来を考えるとき、カイジはじりじりと焦るような気持ちになる。
 オレはそのとき、今と変わらずコイツの隣にいるんだろうか?

 モヤモヤと心を覆う暗雲を振り払うように、カイジは首を横に振った。
 考えたって仕方のないことだ。
 つきあい始めて一年以上経つけど、アカギの考えてることは、まだまだ掴めないことも多い。
 そんなことより、まずは自分の進路だろうが。
 嘘でもなんでもこの空欄を埋めないことには、家にだって帰れやしないのだから。

 カイジは無理やり調査票に意識を戻そうとするが、やはり気もそぞろになってしまう。

 卒業。
 ……卒業、か。

 いまだ実感の乏しいその単語を心の中で転がしながら、カイジは机に突っ伏した。
 調査票と、その下敷きになっていた問題集のページが、かさりと音をたてる。
 空気が抜けた風船みたいにぐにゃぐにゃになったカイジの目端に、一瞬、はっとするほど鮮やかな赤色がよぎった。

 うつろな目を幾度か瞬かせて、カイジはその正体を知る。
 問題集のページの隙間に挟まっていた、試験勉強用の赤いシート。
 まだ一度も使ったことのないそれを、なんとなくつまみ上げ、カイジは目の前にかざしてみる。

 半透明の赤シートを透かして見る世界。
 窓も、黒板も、机も、椅子も、前の席に座る恋人も。
 すべての景色が、夕陽よりずっと深く、人工的な赤に染まる。

 まるで安っぽいSF映画の、終末のシーンのようだ。
 世界の終わりとは、こんな感じなのだろうか。

 そう思うと、ふたりを除いて誰もいない教室というのは、いかにもお誂え向きのシチュエーションだった。
 窓の外から聞こえる運動部の声が、吹奏楽部のチューニングの音が、なんだか急に遠くなる。

 終末、こいつとふたりきり、か。
 なんだか、それも悪くない気がしてきた。

 なにもかもどうでもいいというような投げやりな気持ちが、カイジにそんな妄想を起こさせる。

 明らかに行き詰まっている様子のカイジに、アカギが目を細め、ゆっくりと身を乗り出してくる。
 赤シート越しに近づく顔。ほんのつかの間、唇にやわらかい感触。
「……なにか、見えたかい」
 ささやかに触れただけで離れ、アカギは至近距離で囁く。
 赤シート越しに見るその表情は、なぜかとても穏やかに見えた。
 それだけで、投げやりだったカイジの心が、すうっと凪いでいく。

 見えたかい、と言われたら、たしかに見えた気がした。赤シートの向こうに、自分の望みが。

「オレさ……、お前とずっとこうしていられれば、それでいいかな……」
 ひとりでにカイジの口が動き、そんな言葉を紡いだ。
 ついぞ聞いたことのないくらい素直で、心のこもった声に、アカギの鋭い目がちょっとだけ見開かれる。

 あれ……オレ今、なんか恥ずかしいこと言ったよな。
 でも、まぁいいか……本当の気持ちなんだから。

 いつもだったら自分の失言に気づいて、顔を赤くしたり青くしたりと忙しいはずのカイジが、なぜか今に限っては、とても落ち着いていた。
 静かに赤シートを下ろすと、夕陽に染まった日常の風景が戻ってくる。

 しばらくの間、アカギはカイジの顔をじっと見つめていたが、
「だったら、決まりじゃない」
 ニヤリと笑ってそう言うと、机の上に転がっているシャーペンを手に取って、調査票の第1候補の欄に、さらさらとなにかを書き込んだ。

 怪訝に思いつつその手許を覗き込み、カイジは目を丸くする。
 そこには、漢字とひらがな、合わせて五文字。
 整った字で、カイジがずっと共にありたいと思う人物の名前が書いてあった。

 カイジは言葉を失う。
 ひどく面食らったように口をパクパクさせ、驚き、呆れ、そして最後には噴き出した。
「……ばっかじゃねぇの」
 くっくっと可笑しそうに肩を揺らすカイジに、アカギも唇を撓める。

 夕陽に染まるがらんとした教室に、楽しげな笑い声が響く。
 第1候補だけが埋められた進路希望調査票。こんなふざけた回答を提出すれば、担任から大目玉を食うこと必至で、だからいずれ、消しゴムできれいさっぱり白紙に戻される運命にあるのは確かだった。

 それでも、カイジの笑い声が響いているあいだは、五文字の希望は消されることなく、そこに残り続けていた。





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