ルービック ただの日常話


 
 かしゃかしゃ、とちいさな音をたて、カイジの手の中でくるくる動く立方体。
「なにしてるの」
 肩に顎を乗せ、背後から手許を覗き込んでくるアカギにも構わず、カイジは熱心に手を動かしながら答える。
「ん、ほら……こないだ、祭りで当たったやつ……」
 おとなの掌で容易に握り込めるくらいの大きさのそれは、ルービックキューブだった。

 カラフルに色分けされた三十六個のマスのひとつひとつに、かわいらしくデフォルメされた動物のイラストが描かれている。
 イヌ、ネコ、ウサギ、リス、クマ、ライオン。

 明らかに子ども向けのそれは、以前、ふたりで近所の夏祭りに行ったときに、気まぐれでやってみたくじ引きで当たったものだ。
 引けば必ず当たる、いわゆる『残念賞』というやつだったが、ゴミに出しそびれているうち、なんとなく手持ち無沙汰なときに触るようになったのだった。

 ふーん、とさして興味なさそうに言って、アカギはカイジを後ろから抱きしめる。
 暑い、離れろとぼやきながら、カイジの視線は相変わらず四角いパズルだけに注がれていた。
 その横顔をじっと見つめてから、アカギはふたたびカイジの手の中に目を落とす。
 カラフルな立方体は、ネコとウサギの二面がすでに完成しているようで、カイジは今、ライオン相手に奮闘しているのだった。

 まれに見る真剣な顔で子ども向けの玩具に向き合うカイジに、アカギは尋ねてみる。
「それ、そんなに面白い?」
「いや、うーん……そういうわけじゃねぇんだけど……」
 モゴモゴと語尾を濁して、明らかな生返事を寄越すカイジ。
「クク……ガキだな……」
「うるせぇよ……」
 いつもなら簡単に噛みついてくる安い挑発も、軽く受け流して乗ってこない。
「……」
 アカギが口をを閉ざすと、急に重苦しい沈黙が部屋に充満する。
 だが、そんなことにも気がつかぬほど、カイジの意識は完全にルービックキューブに集中していた。


 かしゃかしゃ。かしゃかしゃ。
 しんとした部屋に、無機質な音だけが響く。
 カイジ自身、子どもの頃に幾度か触れたことがある程度の玩具に、ここまでハマるとは思ってもみなかった。

 一瞬、完成に近づいたと喜んでも、すぐにバラバラになってしまう。
 一面を完成させるのは容易でも、すべての面を揃えるのは困難だ。

 手が届くと思ったところでするりとかわされ、一面だけ知ることができたとしても、全貌を掴みきることはできない。
 その捉えどころのなさが、誰かさんに似ているような気がして、だからカイジはこうまでムキになって没頭してしまうのかもしれなかった。

 ……その誰かさんが、先ほどから不穏な空気を発していることにも気づかないまま。


 かしゃかしゃ。かしゃかしゃ。
「カイジさん」
 とつぜん耳に息を吹き込まれ、カイジは飛び上がって手の中の玩具を取り落としそうになった。
「び、びった……! んだよ、いきなり……」
「……」
 カイジは非難の声をあげたが、返事はない。
 距離が近すぎてアカギの顔が見えなくて、眉を寄せるカイジの耳許を、低い声が掠めた。
「続けて、どうぞ」
 ぬるり。耳介を軟体動物が這うような感覚。
 ぞわぞわと全身に鳥肌がたって、カイジは反射的にアカギの腕の中から逃れようとする。
「おい、……ッ!」
 じたばたもがいても、ガッチリとホールドされた腕を解くことは叶わず。
 左耳の付け根に残る縫い跡を、ひとつひとつ解こうとするように舌を這わされ、喉奥から潰れた声が漏れる。
「ってめぇ……ッ」
「どうしたの。続けなよ」
 オレも勝手に続けるから。などと本当に自分勝手なことを抜かすアカギに、カイジは太い眉を跳ね上げた。
「こんな、っ、ヘンタイじみたこと、されながらっ……、つ、続けられるわけ……ねぇだろっ……!」
 怒りに震える声で詰るカイジに、アカギの唇がゆるく弧を描く。
「そう。それじゃ……」
 耳の古傷をしつこく舌でなぞりながら、アカギは悪魔じみた声でカイジの耳許を擽った。
「その『ヘンタイじみたこと』されながら、それ完成させられたら、借金チャラにしてあげる……」
 顎をしゃくって手中の六面体を示され、カイジはぴたりと固まる。
「……マジ?」
「『マジ』」
「……」
 茶化すようなおうむ返しの返答に、難しい顔で黙りこくるカイジ。
 だが、その大きな目は誤魔化しようもないほど、きらきらと輝いていた。
「決まりだな」とクスリと笑い、アカギは激励するように、カイジの耳朶を甘く噛んだ。


 十分後。ルービックキューブを回す、かしゃかしゃという音が鳴っている。
「んっ……、ぅ……っ」
「ふふ、頑張るじゃない……」
「ぁっ! ど、どこ、触って……ッ」
「ん……、ほら、手許に集中しなよ……」
「くそ……っ、う、うぅっ……」

 二十分後。無機質な音に、嬌声が混じるようになってくる。
「あっ! ぁ、あっ……」
「クク……カイジさん、手が止まってるぜ……?」
「だ、って……、んぁっ! ……ンなとこ、舐めん、なぁっ……!! あっ、あ、っ……」

 三十分後。もはやルービックキューブを回す音など完全に途絶え、狭い部屋いっぱいに甘い喘ぎ声だけが響いていた。
「あッ……はぁっ、くぅ……ッ! も、もう……っ、ア、あぁッ……!!」
「あらら……、もうギブアップ?」
 アカギはくつくつと肩を揺らしながら、しどけなく開かれたカイジの足の間から、淫らな粘液にまみれた手をゆっくりと引き上げる。
 わざとらしく舌を這わせてそれを舐め取りながら、アカギは目を細める。
 ちゅ、ちゅる、と妖しい音が耳許で鳴り響き、カイジは涙目で歯を食いしばった。

 手の中には、三十分前とほぼ変わらない、未完成のルービックキューブ。
 だが、汗まみれのカイジの体からはくったりと力が抜けてしまい、これ以上続けることなどできないのは明白だった。

 いつの間にかカイジはほぼ全裸のような状態にさせられており、たっぷりといたぶられた左右の乳首と足の間の男根が、三ヶ所とも同じようにツンと硬く勃起している。
 濡れた唇から赤い舌をだらしなく覗かせ、はっ、はっ、と浅い呼吸を繰り返すカイジに、アカギの顔に性悪な笑みが浮かぶ。
「まるで犬だな。カイジさん」
 嘲るように言い放ち、アカギは震える手の中から四角い玩具をそっと抜き取ってから、この期に及んで睨みつけてくる気丈な恋人に食らいついたのだった。


 
 はっ、とカイジが目覚めると、すでに外は明るくなっていた。
 カーテン越しの陽の光。のどかな雀の声。
 一瞬、昨晩の記憶が綺麗さっぱり飛んでいたカイジだったが、寝ぼけ眼でぼんやりと瞬きを繰り返すうち、いろいろなことをすこしずつ思い出してきた。
 蘇ってくる記憶の断片が、口に出すのも憚られるようなものばかりで、起きて早々悶絶していると、
「おはよう」
 隣から声が降ってきて、カイジの口から派手な悲鳴があがった。
「ヒィッ……! ぁ痛ぅっ……!!」
 反射的に逃げ出そうとして体に激痛が走り、もんどりうってカイジはベッドに沈み込む。
 タバコをふかしながらその様子を面白そうに眺めていたアカギは、潤んだ目でキッと睨めあげられてふっと笑った。
「タバコ、買いに出てくる」
 言うが早いか、空になったハイライトのパッケージをゴミ箱に投げ入れると、立ち上がって床に散らばった服を身につけ、アカギは風のように出て行ってしまった。
(逃げやがったな……クソ野郎が……)
 あまりの素早さに文句を言いそびれたカイジは、口の中で罵詈雑言をモゴモゴと転がしながら、ふと、枕許に目をやった。

 そこには、起き抜けの目に鮮やかなルービックキューブ。
 よく見ると、カイジが苦労して完成させたはずの二面が見る影もなくバラバラにされており、代わりにのんきなイヌの顔だけが、九つ並んでカイジをじっと見つめていた。

『まるで犬だな。カイジさん』

 嘲笑まじりの台詞が耳許で蘇り、カイジは今、ここにいない男に向かって、本物の犬のようにぐるると唸る。


 なかなか解けないパズルのような男が持つ、意外なほど単純な一面。
 それは、自分をほっぽって玩具に熱中する恋人を邪魔するようなガキくさいもので、間違いなくカイジにしか見せたことのない一面なのだが、カイジがそのことに気づくのは、まだ当分、先のことになりそうだった。






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