たいへんよく生きました 頭を撫でる話 短文
初めて会ったとき、捨て犬のようだと思った。
傷だらけの体、野性的な面差し、伸びっぱなしの髪。
人を遠ざけるぶっきらぼうな態度は、人との関わりを極端に忌避している証左であるように思われた。
つり上がった大きな双眸が、こちらの腹を探るようにじっと注視してくる。
男は俺のことを噂かなにかで聞き知っていたようだったが、俺は男のことを知らなかった。
このところ、裏の世界で知名度を上げている鉄火打ちだとは聞いていたが、第一印象があんまり捨てられた犬コロそのものだったので、俺はつい、笑ってしまった。
笑われたことで、男が身構えたのがわかった。
そんなに固くならなくても、と苦笑して、俺は改めて男を眺める。
いまにも噛みついてきそうな、強い光を宿す三白眼。
その真っ黒な瞳の向こうに、男が失ったもの、失えなかったもののいくつかが、透けて見える気がした。
強くて、やさぐれていて、突き刺すように哀しい目だった。
その目と対峙しているうち、自然に手が伸びて、気がついたら、男の頭を撫でていた。
黒い髪に触れた瞬間、男の体が強張った。
殴られるとでも思ったのか、いっそう濃くなった警戒の色が、頭をひと撫でするごとに、困惑にすり変わっていく。
「っ、な、に、なんで……」
あまりに予想外の行動だったのか、もともと大きな目をさらに見開いて、動揺に吃っているのが可笑しくて、口角が上がる。
「ん? なんとなく」
この行動にさして意味などなく、『犬に似てたから』なんて言ったら怒らせるだけだと思ったから、適当にごまかして、俺は黒い髪をかき混ぜる。
よしよし、なんて口に出して言いながら、わしゃわしゃと頭を撫でていると、俺の手の下で男が気まずそうに目を逸らすのが見えた。
その目から、ちいさな雫がぽろりとこぼれ落ちてきて、思わず手を止めた。
俺の方を見ないまま、ふてくされたように唇を噛んで、男は静かに涙を流していた。
こんな涙は不本意なのだと無言で叫んでいるような、若者らしい、屈折した泣き方だった。
男の本来の姿を、垣間見た気がした。
ああ、きっと死に物狂いで生きてきたであろうこいつに、こんなことをしてやったやつなんて、今までひとりもいなかったんだな。
髪の間で籠った熱が、指先をじんわりとあたためる。
今、俺が撫でているのは、こいつの心なのだと、そう思った。
そんなこともあったっけな。
心の奥底で眠り続けていたはずの記憶が、ゆっくりと目を覚ましていく。
スカスカになった脳が震えるように、つかの間、目の前が霞んだ。
三白眼を真っ赤に泣き腫らした男が、無骨な手で俺の頭を撫でている。
初めて会ったときと逆の目線。
男はもうやさぐれた捨て犬のようではなく、俺が男を置いていくことに決めた、その話さえ我慢強く聞いていた。
話を終えると、静かに涙を流しながら、男は俺の頭に手を伸ばしてきたのだ。
その仕草と体温で、初めて会った日のことを思い出した。
やさしい手つきで髪をくしゃくしゃにかき混ぜられ、思わず苦い笑みがこぼれる。
俺はこいつと違って、こんなことで泣いたりはしない。
でも不器用なこいつが、ありったけの気持ちを込めて、こんなことをしているのだけはわかった。
頑張ってよく生きてきたな、偉かったなと、ちいさな子どもを褒めてやるような仕草。
こんなことが、お前は本当に嬉しかったんだな。
だから、今、俺に同じことをしてくれてるんだろう。
そうだな……、どうせなら、もっとたくさんお前にこうしてやればよかったな。
ありがとよ。と言うと、男は涙でぐちゃぐちゃになった顔を歪めた。
笑ったんだと気づくまでに時間がかかって、俺はさらに笑みを深める。
無骨な掌から伝わる熱が、初めて会ったあの日と同じように、ただじんわりとあたたかかった。
終
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