ピロートーク 枕の話 痒い


 くたびれた布で覆われた四角い塊から突き出した、細いトゲのようなものを、指でつまんでゆっくりと引き抜く。

 ……コイツが原因か。
 引き抜いた灰色の羽毛を眺めながら、カイジはチクリとした痛みの残る首筋を左手で撫でた。


 この枕も、そろそろ限界かもしれない。
 もうかれこれ何年使っているかも定かでない安物の枕を、多少の汚れには目を瞑りながら、騙し騙し使い続けてきた。
 だが、抜けかけの羽毛でたびたび眠りを妨げられては、いかな慳貪なカイジであっても、そろそろ我慢の限界に達しつつあった。

 いよいよ年貢の納め時か、とナゾの悔しさに唇を噛むカイジだったが、よくよく見ると枕の周りを中心に、ベッドのあちらこちらに羽毛が散らばっているのを発見すると、さすがに閉口した。

 カイジはそのまま、視線を巡らせる。
 男がひとり、壁側を向いて眠っている。

 穏やかな寝息に上下する、やや丸まった裸の背中。
 病的な痩せ型というわけでもなく、筋肉もしっかりついているというのに、皮膚が薄いせいなのか、背骨のラインがくっきりと浮き出ている。
 体の真ん中を走るその線を、挟むように浮き出ている肩甲骨。
 ちょうどそのあたりを境にして、背骨は丸みを帯びた隆起の連なりに変化し、鎖のように首の後ろまで繋がっている。
 
 すべらかな白い背のそばにも、灰色の羽が無数に散らばっていた。
 まるで、男の背から落ちたものであるかのような錯覚を覚え、カイジはぼんやりと瞬きを繰り返す。

 ーー白い羽だったら、もっと映えただろうに。
 ちょっとだけ惜しく思いながら、半分寝ぼけた目で、男の背を眺めるカイジ。
 だが、やがて意識がハッキリと覚醒してくるにつれ、その表情がゲンナリしたものへと変化していった。


 アカギの容姿はこういう、妙な気分を起こさせることがままあった。
 特に、こうして静かに眠っている姿は、普段の皮肉な笑みや辛辣な口ぶりと完全に切り離され、起きている時とは完全にべつの生き物にさえ思えてくる。

 哺乳類でも爬虫類でも魚類でも鳥類でもない。
 どんな種族の枠にも当てはまらない、白くてきれいな生き物。


 くだらない妄想を打ち消すように首を振り、カイジはため息をつく。
 苦虫を噛み潰したような顔のまま、男の寝顔を上から覗き込むと、規則正しい寝息を繰り返す高い鼻を、羽毛でコチョコチョと擽ってやった。
 変な気分にさせられたことへの、腹いせのようなものである。

 男は顔を顰めたが、なかなか起きようとしない。
 それでも、悪い顔をしたカイジがしつこく鼻先を擽っているうち、短い呻き声とともに、薄い瞼がゆっくりと持ち上げられた。

 自分の鼻に悪戯したちいさな羽を、蘇芳の瞳でぼんやりと見つめ、男は緩慢に寝返りをうってカイジの方を向いた。
「……なに、この羽」
 起き抜けの掠れた声に、カイジは指先で羽を弄びながら、
「枕から抜けたやつ」
 と、小学生みたいな答え方をする。

 アカギは「……あぁ、」と呟いて、ベッドの上に散らばる羽に目線を落としたあと、カイジの顔をまっすぐに見た。

「てっきり、あんたの落としものかと思った」

(……は?)
 ぽかんと口を開けたまま固まるカイジ。
「お前、寝ぼけてんじゃ……」
 ねーぞ、と続けようとして、カイジは言葉を飲み込んだ。
 アカギは至って平生どおりの怜悧な表情で、カイジをじっと見つめ返していたのだ。

 カイジは静かに混乱する。
 これがいつもの軽口なら、「バカ」だの「アホ」だの毒づくこともできるのだが、今のアカギにはカイジをからかう様子がこれっぽっちも見受けられないのである。

 こいつ、まさか本気で言ってやがんのか……っ!?
 さっきオレがこいつの背中を見て思ったようなことを、こいつも思ったってことなのかっ!?

 ぞわぞわと腕に鳥肌がたち、変な汗をかきながら、カイジは辟易する。
 突拍子もないアカギの台詞に、咄嗟にどんな言葉を返せばいいのか思いつかなくて、口をパクパクさせているうちに、アカギはふたたびカイジにくるりと背を向けてしまった。

 へどもどしているカイジの目の前で、白い背が微かに震えだし、やがて、くっくっと押し殺した笑い声が聞こえてきた。


 一瞬で、カイジの顔が茹で蛸のようにかぁ〜っと赤く染まる。
 涙目をつり上げて枕を引っ掴むと、カイジは白い背中に向かって全力で投げつける。
 ぼすっと鈍い音をたてて枕は命中し、笑いに震える男の肩甲骨のあたりから、たくさんの羽がふわりと舞い上がったみたいに見えた。





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