Lots of love. 女々しい話




 不快指数を上昇させる蝉の声にカイジが目を覚ますと、隣で眠っていたはずの男の姿が消えていた。

 寝ぼけ眼で狭いベッドの空白を眺めてから、またか、と眉を寄せる。

 ……あの野郎。出て行くときには声をかけろと、何度も言ったのに。

 首筋に流れる汗を拭いながら、イライラと欠伸を噛み殺す。
 黙って去っていった薄情な恋人と、男の出ていく気配に気づくことすらなく暢気に眠りこけていた自分自身に、同じくらい苛立っていた。


 裸足で床におり、寝巻きのまま玄関に向かう。
 サンダルをつっかけてドアを開け、共用廊下に出る。
 ドアノブに、近所のコンビニのレジ袋が引っかけられていた。

 持ち上げると、ずしりと重い。
 中を覗くと、食べ物やら飲み物やらタバコやら、いろいろ雑多にぎっしりと詰まっている。
 
 カイジは顔をしかめた。考えるまでもなく、誰の仕業かは明白だった。
 
 カイジに黙って出て行った日には、ときおりこんな風に、男からの置き土産があった。
 一見、挨拶もなく去ったことを詫びているかのようだが、『詫びる』などというワードとはいちばん遠いところにいるような男であるから、これはきっと、交わしそびれた別れの挨拶の、代わりみたいなものなのだろう。

 カイジはそっと唇を噛む。
 本当は、わかっていた。男は決して薄情ってわけじゃない。
 こうしてドアノブにかけていくのも、カイジを起こさぬようにと男なりに配慮してのことなのだろう。

 自分のタバコを買うためにコンビニに立ち寄ったあと、わざわざここへ戻ってきて、ビニール袋をドアノブにかけてから立ち去っていく男の背中を、カイジは想像してみる。

 ……らしくねぇ。そんな普通の気づかいめいたこと、お前のガラじゃねぇだろうが。
 けれども、その『らしくねぇ』ことを、あの男があたりまえのようにやっているということが、カイジの胸をきゅっと締めつける。

 ごく、ほんのわずかにーーなにより重要な男の本質である『自由』には障らない程度にーー男は、自分に縛られてくれているのだ。
 どんなに長いあいだ離れていても、必ずまたここを訪ねてくれるみたいに。


 カイジはレジ袋を手探りし、中から一枚の薄っぺらい紙きれを取り出す。
 購入物の隙間に、無頓着にねじ込まれていたレシート。
 無機質な商品名の羅列に、カイジは目を落とす。

 ツナマヨのおにぎり。
 コーヒー。
 マルボロ。
 焼き鳥の缶詰。
 ビール。

 自分の好きなものばかり、雑多に並べられたそのレシートを、カイジはまるで大切な手紙のように眺める。

 ーーほんと、らしくねぇんだよ、こんなこと。

 ふいに、目頭が熱くなってきて、カイジは慌てて目を覆い隠すように、ちいさな紙片を瞼の上にそっと押し当てた。





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