懐柔 過去拍手お礼



 目の前で自分の作った飯を喰う男を、ぼうっと頬杖ついてカイジは眺めていた。


 具は炒り卵だけのチャーハンと、インスタントの味噌汁。
 そんな質素な夕飯でも、男は特段文句を言うこともなく、黙々と口に運んでいる。

 筋張った白い手でスプーンを動かし、白っぽい焼飯を掬ってはうすい唇の間に運ぶ。
 もぐもぐと咀嚼しながら、また掬う。飲み込んで、次の一口を頬張る。
 ひたすら、その動作の繰り返し。かわいい女の子ならまだしも、野郎が飯を食う姿など面白くもないはずなのに、どうしてか、カイジはアカギの食事風景だけは飽かずにひたすら見ていられるのだ。


 アカギの食事の動作はすいすいと流れるようで、こんな日常の所作ひとつとっても無駄がなく、淡々としている。
 ぽろぽろと飯をこぼしたり、咀嚼中に口を開けたりといったことはないが、かと言って、目を奪われるほど食事の作法が洗練されているというわけでもない。あくまでも普通だ。
 アカギは滅多なことでは表情を動かさないから、とりわけうまそうに食っているわけでもない。
 それなのに、どうしてこんなに長く見続けていられるのだろうと、カイジ自身も不思議に思っていた。


 カイジなりに理由を考えてみた結果、どうやら自分は『赤木しげる』が普通のことをするのが、物珍しいのだという結論に達した。
 アカギとつきあい始めて一年以上が経過しているカイジではあるが、多少、深い仲になっても、アカギはやはり謎めいた部分が多い。
 知り合ったのが雀荘だったから、麻雀を打つときのアカギの人間離れした強さをカイジは知っている。そして、その強さを成り立たせている、人間離れした価値観も。

 そんな超然とした男が、普通の人間の営みに身を浸しているのを、未だにどこか信じられないような気持ちで見てしまうのである。
 そもそも、アカギとは毎日一緒にいるわけじゃないし、下手すると何ヶ月も訪れがないわけだから、飯を喰うといった日常の動作も、カイジにはいちいち目新しく思えてしまう。


 どこからどう見ても人間なのに、人間という枠組みを超えてしまったかのような男が、普通の人間のように飯を喰う。
 言葉にするとややこしいそんな状況を、じっと観察している自分に、カイジは思わず苦笑を漏らした。
 まるで、珍しい動物を餌付けでもしているようだと思ったからである。


 ふっと息を漏らすようなカイジの笑みに、スプーンを口に運んでいたアカギの手が止まる。
 どうしたの、と無言で問いかける切れ長の瞳に、カイジはビールを一口啜り、答えた。
「や、なんか……餌付けしてるみてぇだなって……」
 相手を獣同然に扱うような言い草だが、そんな些末事で気を悪くするアカギではないとわかっているからこそ、素直にカイジはそう言った。
 アカギはスプーンを持つ己の手と、半分ほどになった焼飯を順に見て、それからカイジの顔を見る。

「餌付けどころか、とっくに懐柔されてる気分だったけどね。ずいぶん前から」

 囁くような音量でも、その声は不思議なほどよく通る。
 丸くなった目を瞬くカイジに、アカギはニヤリと片頬をつり上げた。

「あんたの心と、身体で」
 
 面白いほど大げさに、カイジは肩をビクッとさせ、みるみるうちに耳まで真っ赤に染め上げた。
「うまい方法だよな。金もかからねぇし、飯よりずっと、オレのこと繋ぎ止めておける」
「……おい、妙な言い方すんなっ……! 下品なことほざいてる暇あったら、さっさと飯喰えっ……!!」
 肩を揺らして笑うアカギを、カイジは目くじら立ててどやしつける。
 思いつく限りの悪態をアカギに浴びせつつ、カイジは己の鼓動がひどく暴れているのを感じていた。


『心と』身体で懐柔されているのだと、聞き間違いでなければ、アカギは確かにそう言った。飯よりずっと、繋ぎ止めているのだと。
 さも当然のことのように。そんなことをサラリと言ってのけることの重大さに、気づいてすらいないかのように。


 品のない言い回し云々よりも、思いがけず直面したアカギの妙な真摯さが、カイジの心拍を加速させているのであった。
 そんな真実など露も知らないであろうアカギは、焼飯を頬張りながら軽口を叩く。

「まるで茹で蛸だな。喰っていい?」
「……黙って飯も喰えねぇんなら、下げるぞ」

 言うが早いか、残り少ない焼飯の皿を奪おうと手を伸ばすカイジだったが、サッと遠ざけられて恨めしげにアカギを睨みつける。
 茹で蛸のような顔で怒ってみせても、凄みなんてあるはずもなく、アカギは残りの飯と味噌汁を平らげると、すました顔で「ごちそうさま」などと言うのだった。





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