ヴァンパイア ただの日常話



 アカギはタバコに火を点けるとき、どこか不機嫌そうな顔つきになることがある。
 それは、軽く伏せられた瞼と、ほんのわずかに顰められた細い眉のせいだ。
 温度を感じさせないポーカーフェイスが標準装備であるアカギは、ほんのすこし顔の筋肉が動くだけで、機嫌を損ねているのではないか、などと見る者に一抹の不安を抱かせる。
 もちろん、本人は至って普通にしているつもりらしい。それなのに、勝手に周囲が威圧されて、腫れ物に触れるように、おっかなびっくりご機嫌取りをしてくれるのである。

 得なのか損なのか、よくわからない癖だけれども、本人は誰にどう見られたって構いやしない性分なので、泰然自若としている。
 結果、周りにいる者だけが、この悪漢の不興を買ったのではないかとあせあせしているという、珍奇な構図が出来上がるのであった。


 ヘンな癖だよな。
 自らも紫煙を燻らしながら、カイジは白い煙の向こうの、不機嫌そうなアカギの顔を眺めていた。
 ふたりして吸うと、狭い部屋の中はあっという間に煙で白く濁る。

 気怠い夏の昼下がり。金がないくせに『貧乏暇なし』という言葉とは無縁の生活を送っているカイジは、そのダメさ加減に自らの脳も白く澱んでいくような気持ちで、舌に絡みつく苦い煙をひたすらスパスパやっていた。
 不機嫌に見える顔で俯き、一服吸い付けるアカギをぼうっと眺めていたカイジは、顔をあげたアカギが煙を吐くのに、おや、と思い、その唇を注視した。

 かさついた唇には、色素というものがほとんど乗っていない。そこに一点、ぽつりと滲んでいる赤。
 乾燥した下唇の端が切れ、血が出ているのだ。
 真夏の昼でも薄暗い部屋の中で、その赤は鮮烈にカイジの網膜に焼きついた。

 白く澱んでいた脳が、ビリビリと痺れる。
 カイジはごくりと唾を飲み込んだ。

 しょっちゅう喧嘩で物騒な傷を拵えてくるアカギの血など、カイジは見飽きるほど見慣れている。
 だけど、こんな平和な昼間に、不意打ちのように視界に飛び込んできたアカギの血の色は、喧嘩のあとのひどい出血より、かえって生々しく感じられた。

 乾いた唇が切れて血が滲む。いたって普通の現象なのに……、いや、いたって普通の現象だからこそ、『赤木しげる』も普通の人間なのだと改めて認識させられるようで、カイジの腹と胸のちょうど中間あたりがムズムズと疼く。

 薄い唇に挟まっているフィルターに、赤い血が付着していて、カイジは兆した。もよおした。昂った。ムラついた。
 早い話が、欲情したのである。

 タバコじゃなくて、自分を咥えてほしいと思ってしまった。その生々しい唇で。
 当の本人はカイジの劣情など預かり知らぬ様子で、目を細めてうまそうに紫煙を喫んでいる。
 そのことがなおさら、カイジをたまらなくさせる。

 もうもうとした白い煙で濁っている脳味噌に、一滴の赤い血が垂らされて、ぐるぐるとしたマーブル模様を描く。
 気持ちいいんだか悪いんだか、まるで悪い酒に酔ったみたいで、カイジはアカギの唇しか見えなくなった。

 飢えた獣みたいに、呼吸が浅くなる。
 視界にチラつく、白くて細い棒が邪魔だ。
 ーーそんなに苦味が欲しいなら、与えてやる。喉に絡みつくような濃いやつを。

 まだ長いタバコを揉み消すと、カイジはゆらりと身を乗り出し、アカギの唇からタバコを抜き取って、そこに滲む血をぺろりと舐めあげた。
 塩気の強い鉄の味が、カイジをますます酩酊させる。

 沈黙。
 アカギは切れ長の目を瞬かせ、カイジの顔を見る。
 レッドアンバーのような瞳に映る、飢えた目をした自分の顔をカイジが見つめていると、
「……吸血鬼ごっこ?」
 クスリと笑って、アカギが茶化してきた。
 自分もおどけて返そうと思ったカイジは、一瞬考えたのち、犬歯を剥き出し、低く喉を鳴らして唸ってみせた。
 それはこの寸の間にカイジが思いついた限りの、精一杯『吸血鬼っぽい振舞い』だったのだけど、アカギは
「あ、違った。犬の真似だった」
 と言って笑った。

 カイジはちょっとムッとしたけれど、アカギがめずらしく声をあげて笑ったので、まぁいいか、と思い直して、その唇に噛みついたのであった。




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