Man Always Remember Love Because Of Romance Only 離れたあとの話 短文



 愛されていた。


 真新しいスーツに袖を通し、封を切ったばかりのタバコに火を点ける。
 立ちのぼる苦くて甘い香りとともに、アカギはゆくりなく、ある人物のことを思い出した。


 その男が吸っていた銘柄だということに、火を点けるまで気づかなかった。その男とアカギの人生が交わっていたのは、十年以上前の、ほんのひとときのことだったからだ。
 今日、気まぐれに乗り換えたばかりのタバコの香りが強烈なトリガーとなって、記憶の底に眠るように沈んでいた男との日々が、白い煙の向こうに呼び起こされる。
 アカギは煙を肺に取り込むこともせず、薄い唇にタバコを挟んだまま、ゆらゆらと揺蕩いながら空気に溶けていく煙を眺めていた。


 強い男だった。だけど、泣いてばかりいる男だった。
 不器用な男だった。無骨な手を差し伸べようとして、ためらいながらこちらを窺っているような、やさしい男だった。
 そのやさしさが疎ましかった。だから、その手に気づかないふりをしていた。
 すると、男はいつも何気ない風を装って、伸ばしかけた手を引っ込めた。きまりが悪そうに視線を逸らし、ほんのすこし背を丸めて。

 離れたのは、どちらからだっただろう。そんなことすら、アカギは覚えていなかった。
 ただ思い出されるのは、男が向けてくるぎこちないやさしさと、それが空振りしたときの、まるで子どもみたいな俯き顔だった。

 ずっと点けっぱなしにしていた、ジッポの炎の熱がじんわりと指先に伝わる。
 愛されていたのだ。ずっと。
 出し抜けにそんな実感が、あの頃、男が燻らせていた香りとともに、ふっと迫ってきたのだった。

 息を漏らすように笑うと、煙は揺らぎながら複雑に形を変化させる。
 タバコの香りみたいに、苦いような甘いような、力の抜けた笑い方。
 こんな笑い方は、男とともに過ごしていた頃のアカギは、ぜったいにしなかった。

 こういう変化も、多少なりと男の影響を受けているのかもしれないとアカギは思う。
 男のことはずっと忘れていたけれども、己の心や仕草の端々に、自覚なく男に愛されていた日々が、やさしく溶け込んでいるような気がした。

 アカギは目を細め、懐かしい香りを大きく吸い込む。
 それから、遠い過去の面影に手を振るように、パチンとジッポの蓋を閉じた。






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