冷たい人 短文 カイジさんにメロメロなアカギさん


 閉店間際の店を出ると、白いものがちらついていた。
「げ、雪かよ……」
 白い息を吐き出しながら、カイジは空を見上げて眉を寄せる。
 ダウン越しに沁み入るような寒さにぶるりと胴震いしてから、隣に並ぶアカギの顔を見た。
「ハシゴすんのはやめて、コンビニで酒買って帰ろうぜ」
 カイジの提案にアカギは頷き、ふたりは降り始めの雪の中を並んで歩き出した。


「今年はまぁまぁ暖かかったけど、ついに降ってきたかぁ」
 漆黒の空を見上げながら、カイジは呟く。
「去年の初雪も、お前と見たっけな。そういや」
 そうだっけ、と答えながら、アカギは記憶を手繰ってみたが、去年の冬どう過ごしていたかなんて、まったく思い出せなかった。
 その代わり、頭に浮かぶのはさっき見たばかりの恋人の様子ーーバイト先のコンビニに顔を出したときに見せた驚いたような表情や、夢中になって口いっぱいに好物の焼き鳥を頬張る顔つき、酒気が回ってふやけた笑顔や弾む笑い声ーーばかりで、自分もだいぶ酔っているのかもしれないと思いながら、アカギは軽くため息をつく。

 この人と過ごすようになって、ずいぶん経った。
 四六時中一緒にいる訳じゃなくて、気が向いた時だけ会いに行く。
 ベタベタすることを嫌うアカギならではの距離感は、遠距離恋愛と呼べるかどうかすら危ういくらいドライだけれども、「たまには連絡くらい寄越せ」と文句を言いながらも、カイジはこの手前勝手な関係を受け入れてくれている。
 
 そのことに甘えている自覚もアカギにはちゃんとあって、誰かに甘えるといった経験のないアカギには新鮮にも、些か窮屈にも感じられるが、カイジ相手でしか得られない充足感が何物にも勝るから、こうしてカイジの所へ通うのである。

 ーーといってもやはり、圧倒的にその頻度が少ないのは事実だ。
『ほんま、呆れるほど冷たいお人やわ。かわいい人に愛想尽かされても知れへんよ』
 水商売の女の高い声が、耳に蘇る。

 代打ち後に連れて行かれたクラブで、酔っ払った依頼主に執念く根掘り葉掘り詮索されるのが鬱陶しくて、カイジとの関係の上っ面だけを言葉少なに話した際、盛大なため息とともにぶつけられた台詞。
 あまりにも素っ気なく、自分勝手なアカギの態度に、年増の美人は顔も知らない『かわいい人』への同情を滲ませ、瞼の上できらきら輝くグリッターさえ霞むほどの強い瞳でアカギを睨めつけたのだった。


 そんなことを思い出したせいか、なんとなく、隣を歩く恋人にちょっかいをかけたくなって、アカギは空を見ながら歩くカイジに声をかける。
「まるで子どもだな」
 ふわふわ舞い落ちる粉雪に気を取られ、ポケットに入れることさえ忘れている様子の左手をぐいと掴み、引き寄せるようにして握る。
「そんなに上ばかり見てたら、転ぶぜ」
 繋いだ手は冷え切っていたが、それに輪をかけて冷たい己の手が、カイジの体温を吸い取っていくのをアカギは感じる。
 氷水に手を浸されたかのようにぶるりと震えたあと、カイジは酔眼を瞬いて、繋がれた手をまじまじと見た。
「……手が冷たいヤツは心があったかい、とか言うけどさ、」
 アカギは黙って続く言葉を待つ。
 巷でよく耳にする、くだらない迷信だ。どうせ、当たってないとかなんとか言って、貶すつもりなんだろう。
 
 しかしアカギの予想を裏切り、カイジはニッと笑った。
「あながち、間違いじゃねえな」
 アカギは細い眉を上げる。不意をつかれたように歩調がわずかに鈍るが、カイジは気にした風もなく、アカギの手を引っぱって歩き続ける。
 さっきまで肩を並べて歩いていたカイジが、一歩前を歩いているのがなんとなく面白くなくて、アカギはカイジの隣に並ぶと、その横顔を睨んだ。
 打算も計算もない、とろけるようにただ愉しげな横顔。
「……酔ってんな」
「酔ってねえよ」
 いひひ、と笑ってカイジはアカギの手を握ったまま、ダウンのポケットに突っ込む。
「こういうの、本当は彼女とかにするんだよな。まぁ、お前とは付き合ってるわけだし、これも間違いじゃねぇか」
 カイジはそう言って、ひとりでクスクスと笑う。
 ーーあんたが『彼女』役の方が適任だけどね。
 頭に浮かんだそんな下品な揶揄すらも、機嫌よく鼻歌など歌っているカイジには効きめがない気がして、ひたすら調子を狂わされっぱなしのアカギは、ため息ついでに苦く笑う。

『冷たいお人やね』と言い放った関西訛りの女の声が、やや調子外れの鼻歌に掻き消されていく。
 この『かわいい人』は、どうやら自分のことを冷たいなんて微塵も思ってないし、愛想を尽かす気も更々ないらしい。

 しっかりと繋がれたまま、カイジのポケットの中をぎゅうぎゅうに満たしているふたりの手は、ほんのりとぬくみを取り戻しつつある。
 世にも珍しい、困ったようなアカギの笑顔を、明るく笑いながら歩くカイジが見ることはなかった。







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