逆ナン カイジさんが逆ナンされる話 キャラ崩壊注意
「お兄さん、イケメンですねぇ〜!」
「私たち、これから新宿まで出ようと思ってるんですけど、一緒に遊びませんかぁ〜?」
七月、日曜の最寄り駅前。
サポートベンチに腰かけたカイジは、制服姿の女子高生ふたりを前に、辟易していた。
ぼうっとタバコをふかしながら人待ちをしていたところに、声をかけられた。
いわゆる、『逆ナン』である。
確かに、カイジは顔立ちは悪くないし、タッパだってある方だ。
それなりに身だしなみにも気を使っているし、清潔感だってあるのだが、むさ苦しく伸びっぱなしの髪と丸まった猫背のせいか、女性にモテた経験など皆無であった。
正真正銘、カイジにとって、これが人生初の逆ナンである。
女子高生たちはカイジの容姿を、値踏みするようにじろじろと眺めている。
きっと大人の男というだけで、魅力的に見える年頃なのだろう。
あるいは、金目当てか。だとしたら、これほどそぐわない相手はいないだろうにと、カイジは自虐的に思う。
歳下の少女たちの勢いに圧倒され、派手な化粧を施した顔から目を背けると、短めのスカートから惜しげもなく伸びる脚が目に入り、カイジはさらに俯いた。
「いや、オレは……、人待ってるんで……」
マルボロを咥えたまま、くぐもった声で答えると、女子高生たちは甘ったるい声をさらに甘くして不満をあらわした。
「えーっ! 彼女さんですかあ〜?」
「い、いや……」
「じゃあ、お友だちですかぁ?」
正確には『お友だち』ではないのだが、まさか本当のことを答えるわけにもいかず、カイジはこくりと頷く。
すぐさま、目の前から黄色い声があがった。
「お兄さんのお友だちなら、きっとカッコいいですよね〜!」
「じゃあじゃあ、お友だちさんも一緒に、四人で遊びに行くのはどうですかぁ〜?」
行きましょうよぉ〜、と舌ったらずな声で誘われ、カイジの額に変な汗が滲む。
行き交う人々から向けられる、好奇の視線が痛い。
針のむしろとは、まさにこの事である。
ジワジワと鳴く蝉の声が、焦燥を加速させていく。
ハッキリしない態度に焦れ、真っ赤な付け爪の付いた手が、媚びるようにカイジの腕を掴む。
剥き出しの腕に高めの体温が伝わり、バニラのようなコロンの匂いが鼻先を掠める。
あまりの強引さに、さすがに抗議しようと口を開きかけたカイジだったが、それより一瞬早く、カイジの腕を掴む手がピクリと固まった。
「カイジさん」
聞き慣れた涼やかな声に、カイジはパッと顔をあげる。
そこに立っていたのは、白い髪と肌を持つ男。
待ち人である、赤木しげるだった。
すらりとしたアカギの立ち姿を見て、女子高生たちは嬉しそうに顔を輝かせたが、夏だというのに冷えきった瞳で睥睨され、すぐさま笑みを凍りつかせた。
非凡な男の放つ不穏なオーラに気圧されたのか、カイジの腕をパッと解放し、そそくさとその場から逃げていく。
「なんなの、あいつ……」
「なんか怖っ」
負け惜しみのように囁き合う声が離れていって、カイジはホッと息をついた。
「助かった……、つぅか遅ぇんだよ、このアホっ……!」
約束の時間を三十分も過ぎてから、ようやく姿を見せた待ち人を、カイジは恨めしげに睨みつける。
そもそもアカギが時間を守ってさえいれば、こんな面倒なことに巻き込まれずに済んだのだ。
しかし、いつもなら心の伴わない謝罪か、女子高生相手にたじろぐ様子を鼻で笑うくらいのことはしてくるアカギが、鬼をも殺せそうな仏頂面のまま、押し黙っている。
その視線は、女子高生に触れられていたカイジの腕に注がれていた。
そのまま、カイジの顔には一瞥もくれずに、アカギはさっさと歩きだしてしまう。
「!! おいっ、待てよっ……!」
カイジは慌ててタバコを揉み消すと、アカギの後を追って人の波に飛び込んだのだった。
雑踏をものともせずにすいすい歩いていくアカギを、カイジはすれ違う人にぶつかりながらも必死に追いかける。
「待てってっ、アカギっ……! なんか怒ってんのかよっ……?」
一向に歩くスピードを緩めようとしない背中めがけて、苛立ち混じりに声を投げる。
さっきの仏頂面といいカイジを無視する態度といい、アカギの虫の居所が悪いのは明白だった。
だが、カイジにはアカギがなぜこんなにも機嫌を損ねているのか、理由がさっぱりわからないのだ。
傍若無人という言葉が人の形を取ったような後ろ姿を、カイジは呪わしげに睨めつける。
そもそも、遅刻したのはアカギの方だし、ここはむしろ、オレこそ怒るべき場面なんじゃねぇの……?
それなのに、なんであいつがあんなにーー
そこまで考えて、カイジは大きく目を見開いた。
気づいてしまった。
ぜったいにありえないような、たったひとつの可能性に。
(いや……でも、まさか、な……)
にわかに信じがたい気持ちで、カイジは青いシャツの背中を見る。
でも、考えれば考えるほど、理由はそのたったひとつしか思い浮かばなくて、カイジは急に、どぎまぎしてきた。
相変わらず、アカギはハイペースでカイジから遠ざかろうとする。
とりあえず追いつかなければと、カイジはほとんど息を切らしながらその背に呼びかけるが、アカギはちらとも振り返らない。
通常なら腸が煮えくり返るような横柄さだが、今のカイジにはこれっぽっちも怒りの感情が湧いてこない。
その代わり、戸惑いに似たなんとも形容しがたい感情が、胸をソワソワと浮かせていた。
兎にも角にも、まずはアカギを引き止めなければと、カイジは歩幅を広げて小走りで駆ける。
人いきれを抜け、大通りからひっそりとした路地に出た瞬間、カイジはアカギに向かって思いきり手を伸ばした。
しつこく逆ナンされて困ってただけで、オレはまったく、あいつらに興味なんてなかったけど。
……もうずっと前から、オレの興味を引くのは、たったのひとりだけな訳だし……
つぅか、そんなこと、お前には見透かされてるって思ってたんだけど……、違ったってのか?
悪漢と呼ばれるお前が、まさか、そんな他愛もない理由で、不機嫌になってるっていうのか?
近づく距離。じわじわと高ぶっていく気持ち。
アカギの気を引きたい、振り向かせたいという願望と、周囲の人気の少なさが、カイジをちょっとだけ大胆にさせた。
しなやかな肩に手をかけ、力任せにぐいっと引く。
きつく寄せられた細い眉。苛立ちを隠そうともしない半眼。聞こえよがしの舌打ち。
振り返った凶相を碌に見もしないまま、カイジは思いきり身を乗り出して、引き結ばれた薄い唇に、己の唇を押しつける。
その一瞬、間近で見たアカギの鋭い目は、ちょっと驚いたみたいに瞠られていた。
ぶつかるようにキスして、すぐに離れる。
ようやくアカギの足を止めることに成功して、カイジは大きく息をついた。
いくら人影が疎らだとはいえ、ここは公道だ。自分のしたことに羞恥を感じないわけではなかったが、アカギを振り返らせることができたことへの充足感の方が、遥かに上回っていた。
まるで、大きな博奕にでも勝ったような気分だ。
「お前なぁ。なにーー」
怒ってんだよ、とアカギに詰め寄ろうとして、カイジは言葉を飲み込んだ。
立ち止まり、とりあえず話を聞く姿勢は見せたアカギだが、その目は相変わらずカイジの顔から逸らされている。
しかしーー、悪魔じみた仏頂面に変わりはないのだが、なぜだろう。
さっき振り返った瞬間の凶相と比べると、刺々しさのようなものが、多少なりと抜け落ちている気がしてならないのだ。
それは、水も漏らさぬ仲であるカイジにしかわからないような、微細な変化だったけれども、カイジはまじまじとアカギの顔を覗き込む。
「ひょっとして……今ので機嫌、なおった?」
「……」
みるみるうちに白い眉間にくっきりとした皺が寄り、アカギは忌々しげにカイジから目を逸らした。
図星を指されてイラついているようなその表情に、カイジは目を丸くしたあと、思わずぷっと噴き出してしまう。
あんな不意打ちのキスひとつで、悪魔のようなこの男から険を削げてしまうとは。
「お前、かわいいとこあんじゃねぇか……!」
圧倒的な可笑しさと、ほんのちょっぴりの優越感と、ふわふわしたような奇妙な嬉しさ。
いろんな気持ちが綯い交ぜになって、カイジが笑いを止められないでいると、アカギの顔がますます凶暴に歪む。
「……そりゃどうも。ベッドの上でのあんたには、敵わねぇけどな」
「!! ばっか野郎っ、妙なことデカい声で言ってんじゃねえっ……!!」
先ほどの大胆さはどこへやら、カイジが慌てて嗜めると、アカギは溜飲が下がったのか、いつもの皮肉な笑みに唇を撓める。
さっき女子高生に触れられていたカイジの腕を、筋張った白い手が掴んで引いた。
「これから、思いきりかわいく鳴かせてあげるから。ふたりきりで、たっぷりと、ね」
耳をくすぐる吐息に、カイジは口をへの字に曲げる。
それでも、やっぱり綿飴みたいにふわふわした気持ちは消えなくて、カイジはついまた笑ってしまい、ふたりきりのベッドの上で、声が枯れるまで鳴かされてしまうのだった。
終
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