羽衣 カイジさんが女々しい


 ジッポの蓋を閉じる金属音。漂ってくるマルボロの匂い。
 呆れたような低い声が、オレの背中に投げられた。
「なぁ。いい加減それ、返してくれねぇか」
 オレは返事をせず、抱えているものを離すまいとするように、よりきつく抱きしめる。
 ガキみたいだと自覚してはいる。だが、これでお別れだと思うと、どうしてもこの幼稚な行動を止められなかった。

「弱ったな。このままじゃ帰れねぇだろうが」
 切羽詰まった台詞の内容にそぐわない、のんびりとした声に神経が逆撫でされる。

 本当にこれがなきゃ帰れない、ってわけでもないくせに。
 いざとなれば、こんなもの置いて、あっさりここを出ていってしまうくせに。

 やれやれ、とため息をつくついでのように、苦笑する気配。
「天女の羽衣じゃねぇんだから」
 茶化すような台詞に、オレはボソリと言い返した。
「……これがなきゃ帰れないっていうんなら、ずっとここにいればいい」
「天女みたいに? お前とずっと、ここに二人で?」
 思いもよらないとでも言いたげな、びっくりしたような声に、勝手に傷つく。
 ……あんたの頭をよぎりもしなかったってことかよ、その選択肢は。仮にも恋人だっていうのによ。
 それでも、半ば意固地になりながら頷くと、ちょっと思案するようにしばらく煙草をふかしたあと、
「……それも、いいかもな」
 柔和な声が、ぽつりとそう呟くのが聞こえた。

 ふいに視界が歪んできて、下唇を噛み締める。
 嘘つき。
 本当はそんなこと、これっぽっちも思ってないくせに。
 どうせオレのことなんか置きざりにして、違う世界に行っちまうくせに。

 熱い涙が千切れて、抱えた白い布地にぽたぽたと落ちる。
 しゃくり上げる声が耳に入ったのか、困ったように喉を鳴らして笑う声が聞こえてきた。
「まぁ、いいや……どうせ冥土にゃ持ってけねぇんだ。お前にやるよ、それ」
 煙草を揉み消す音。立ち上がる気配。
「今まで世話になったな。……あんまり死に急ぐなよ、カイジ」
 今生の別れにしては、あまりにもあっさりとした最後の言葉。
 遠ざかっていく足音に、オレは腕の中のものを強く掻き抱いて嗚咽を漏らす。

 結局、あんたの羽衣になんざなれやしねぇんだな。
 この世の誰ひとり、なにひとつ。
 あんたを引き止めることなんて、できやしねぇんだ。
 
 畜生。
 そんなことなんてとっくにわかってて、覚悟だって決めてた筈じゃねえか。
 だから……、せめて最後くらいは、潔く。

 白い布地に顔を埋め、深く息を吸い込む。
 よく馴染んだ煙草の匂いに埋もれる、あの人の匂い。

 涙を振り払うように勢いよく立ち上がり、オレは玄関に向かった。


 ドアを開け、白っぽい外の世界へ今にも出て行こうとする、虎柄シャツの後ろ姿。
 憎たらしくて愛おしい、己の意志をまっすぐに貫き通そうとするその背中に、すっかり皺になってしまった白いスーツを、投げつけるように頭からかけてやる。

 ちょっと驚いたような顔で、白い布地の下からオレを振り返ったあと、赤木さんは鷹揚に笑った。
「ありがとよ」
 そして、白いスーツに袖を通し、惚れ惚れするほど様になる仕草でサッと着方を整えたあと、軽く右手を上げてから外の世界へ踏み出していった。

 迷いなく光の中へと歩み出るその姿は、本当にこの世のものじゃない、天の世界の住人みたいだった。

 
 ぱたんと静かな音をたてて扉は閉まり、オレと赤木さんの世界は隔てられた。

 溢れてくる涙を止められなくて、オレは強く目を瞑る。
 白い光とともに瞼の裏にくっきりと焼き付いてしまった最後の笑顔は、しばらく離れてくれそうにもなかった。





[*前へ][次へ#]

25/33ページ

[戻る]