真っ赤な嘘
カイジさんの作った夕飯を食べてビールを飲み、だらだらと過ごして日付の変わるころ、
「最後に、させて」
とねだると、カイジさんは『なにを?』とでも言いたげにきょとんとしてから、ようやくオレの言ったことに理解が及んだのか、徐々に顔を赤くしていった。
オレは、『今回の滞在の中では』最後って意味で言ったのだけれど、カイジさんは赤くなった顔でオレを睨みつけて、
「最後とか、言うな」
って怒った。
それでも、伸ばした腕にちゃんとその身を委ねてくれて、体ぜんぶでオレを受け入れてくれた。
幾日も夜をともに過ごして、硬く閉じていたカイジさんの体はすっかりオレの体に沿うようにやわらかくなっていたけれど、なるべく負担のないように開いていくのを口実に、じっくり時間をかけて、ねちっこい愛撫を繰り返した。
この行為ごと、オレの存在がしつこくカイジさんの中に残るように、遠く離れてもこの記憶に縛られ、引き摺られてオレのことを思い出すように、なんども、なんどもカイジさんの奥深くへと己を刻み込んだ。
そんなことしなくても、この人はオレのこと思い出してくれるってわかってたけど、なんとなく、そうせずにはいられなかった。
カイジさんはずっと泣いていた。息をつく暇もないほどの責めが苦しかったのか、それともべつの要因のせいかは、わからない。
繋がったまま体を震わせ、羞恥も忘れたようにしどけなく乱れていたけれど、ひっきりなしに唇から零れ落ちる甘い声は、どこか哀しげだった。
胡座をかいた足の上にカイジさんを乗せたとき、自重で深くなる挿入にふるりと体を震わせてから、カイジさんは手を伸ばし、オレの額に触れた。
毎日きちんと貼り替えてくれていた、白いガーゼをちょっとだけ剥がし、
「もう、傷、塞がっちまったな」
と、安心したような、でも寂しそうな声で言い、ガーゼを完全に剥がして、そこに唇を寄せた。
いつの間にか、窓の外が白んでいた。
ひっそりと静まり返った部屋の中、頬を染めて息を整えているカイジさんの髪を梳き、ベッドから抜け出る。
脱いだ服を身につけていくと、カイジさんがもぞもぞと起き上がってオレを見た。
カイジさんにもらった藍染のジーンズに足を通し、もの言いたげな瞳と視線を合わせる。
「このジーンズさ。やっぱり腰回りは緩いし、丈は足りないみたい」
「……あ?」
途端にガラの悪くなるカイジさんにクスリと笑い、「だからさ、」と続ける。
「新しい替えを手に入れたら、これ、返しに来るから。それまで、貸しといてよ」
熱の余韻に潤んでいる目が、大きく見開かれていく。
嘘だった。本当は、たとえ安物のジーンズの一本でも、この人がオレにくれたものを、返す気なんて更々ない。
これは言わば、必要のない口実だった。
また、この人に会いに来るための。
ついでに言うと、昨日、厄介な連中に追われてるってカイジさんに言ったのも、嘘だった。
オレの額に傷を作ったあのチンピラ集団が、白昼堂々何者かの襲撃に遭ったのだという噂を、他の組のヤクザから聞いていた。
料亭で食事を共にした男は、どうやら早々に有言実行したらしい。
昨日から、オレはカイジさんに嘘ばかりついている。
そんなことをしてまで、この人と離れようとするのは、本能的に危うさを感じたから。
退屈な日常も、この人といると鮮やかな色に染まって見えた。
とても居心地が良くて、だからこそ、いつまでもここに留まっていてはいけないと思った。
それでも、返すつもりのないジーンズを返しに来るなんて嘘の口実まで作って、オレはきっと、またこの人に会いに来てしまうのだろう。
離れては、また近づいて。こんなサイクルを繰り返しながら、オレはずっと、カイジさんと生きていくのだ。
ゆるく細い、見えない鎖で繋がれているような気分だ。
自由は奪われていない。どこへでも行ける。
でも、必ずまたここへ戻ってきてしまうような、やさしい束縛。
こんなにも絆されてしまっては、逆らうことはもはや不可能で、オレは深く息を吐くと、しょうがない、って苦笑いした。
「なに、笑ってんだよ」
カイジさんが、赤くなった目を不審げに眇める。
確か六日前、ここを訪ねたときに、カイジさんに向かって同じ台詞を吐いたなと思い出し、オレは低く喉を鳴らした。
「また、来るよ。」
真っ赤な嘘ばかりの中で、これだけは、ただひとつの本当。
その言葉を大切に受け取るみたいに、カイジさんはゆっくりと瞼を伏せると、子供のようにこくりと頷いた。
外へ出ると、薄暗い街に朝靄が立ち込めていた。
ひんやりと湿っぽい空気の中、オレは歩き始める。
もうじき日の出だ。今度はどこへ向かおうか。
これから暑くなるだろうから、北の方を目指そうか。
新幹線に乗ってもいいし、鈍行で向かってもいい。
駅に着いて、いちばん早くきた電車に乗り込むことにしてみようか。
しばらく歩いてから、ふと振り返る。
白い朝靄の中、一週間を過ごした古いアパートは、幻のように霞んで佇んでいた。
あの扉の向こうに、カイジさんが住んでいる。
きっといつだって、オレを待っている。
二階の一室のドアをしばらく見上げたあと、オレはゆっくりと踵を返し、駅に向かって歩き始めた。
終
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