草の匂い
雲ひとつない青空が広い。
爽やかな風の吹く土手の上を、アカギとふたり、並んで歩いている。
パチンコで、負けた。
一日バイトが休みで、早起きして朝から意気揚々と出かけていったのに、これでもかというくらい、完膚なきまでに叩きのめされ、ぺしゃんこに押しつぶされた。
財布もオレの頭も空っぽで、今ならタンポポの綿毛みたいに、初夏の風に乗ってどこまでも飛んでいけそうである。
ああ、もう、いっそ飛んでいってしまいたい。
我ながら覚束ない足取りでふらふらと歩いていると、急に、隣からヌッと顔を覗き込まれた。
「ッ、なんだよ……っ」
すぐそばにあるシャープな面立ちに、ちょっと体を引きつつ問いかけると、切れ長の瞳に覗き込まれる。
「手でも、つないでみる?」
「はぁっ……!?」
声がひっくり返ってしまった。
今回、コイツが来てからまだ四日目だっていうのに、オレはもう何度もこんな声を上げさせられている。
……とっくに向こう一年分くらいは、驚き呆れさせられてるんじゃないだろうか?
昨夜だって、帰りがやけに遅いと思ったら、顔面血まみれで現れやがるし。
前髪の隙間から覗くアカギの額には、オレが貼った白いガーゼが、チラチラと見え隠れしている。
「あんた、なんかつまらなそうだったから」
面喰らっているオレなどお構いなしに、アカギは淡々とそう続けた。
その言葉で、気づく。
ひょっとしてコイツ、オレに気ぃ使ってんのか。
休日の朝からふたりで出かけるなんて、たとえ行き先がパチンコ屋だったとしても、オレたちは一応、つき合ってるわけだし。
デート……という言葉にはかなりの抵抗があるけれど、まぁ、そう表現できなくもない。
すくなくとも、アカギの中でこれは立派なデートであると認識されているのだろう。
そう考えると、さっきの唐突な提案にも、なんとなく合点がいく。
デート中に、パチンコに負けたオレがつまらなそうにしてるから、手ぇつないでみるか、とか、そういう妙な気遣いを、コイツなりにしてみせたのかもしれない。
もちろん、そんなのはオレの勝手な憶測に過ぎないけれども、でも、あながち間違ってもいないような気がして、一見冷淡そうにも見えるポーカーフェイスを、オレはじっと見つめる。
コイツ、オレと恋人同士だって自覚、あったんだ。
一年のうち、一緒にいる期間は本当に短くて、来たと思ったらあっという間にいなくなっちまうから、今までわからなかったけど。
気分がちょっと上向きになってきて、表情が自然と和らぐ。
『手でも、つないでみる?』か。
なんでもないことみたいに言いやがって。ズレてんだよ、お前。
短く息を吐いて顔を上げ、隣の恋人に向かって、短く促す。
「手」
さすがに照れて、口調が変に無愛想になってしまった。
アカギは細い眉をちょっと上げたけど、笑ったり茶化したりしないで、素直に手を差し出してくる。
きっと多くの人が憧れたり、妬んだり、自分のものにしたがったりしているであろう、奇跡のような博奕を打つその右手を、コイツはオレの左手とつなぐためだけに、すんなりと差し出す。
恋人同士だから。
鳩尾のあたりがじんと熱をもって、オレはそれを誤魔化そうとするみたいに、アカギの手を強く掴み、ずんずん歩く。
パチンコ負けて一文無しでも、今は、隣にコイツがいる。
それだけで十分じゃないか、なんて、柄にもないことを思っちまう。
きっと、一時的な感情なんだろうけど。
それでも、さっきまでの憂鬱はもう、どこかへ吹き飛んじまったみたいだ。
自分の現金さに、思わず苦笑が漏れる。
横顔に、不思議そうなアカギの視線を感じて、ますます可笑しくなった。
深呼吸して、涼しい空気を肺いっぱいに取り込む。
みずみずしくて青くさい、初夏の草の匂い。
今の気持ちにぴったりな、その匂いが全身に行き渡って、本当にふわりと飛んでいけそうなくらい、体も心も軽くなった。
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