あいのいろ




「腹減った……メシ、食いに行こうぜ」


 テレビを見ながらゴロゴロしていたカイジさんが、寝返りをうってオレの方を見た。
 頷くと、立ち上がって寝巻きを脱ぎ始める。


 飯を食いに行くと決めたときの、カイジさんの着替えは早い。
 でも、パチンコか競馬に行くときの方がもっと早くて、今の二倍のスピードでテキパキと行動するさまは、普段とまるで別人のようだ。
 逆に遅いのは、バイトに行く前。日付が変わってしまうんじゃないかってくらい、遅刻ギリギリまで布団の中でグズグズしている。


「お前も、着替えろよ」

 すっかり出かける支度を済ませてしまったカイジさんは、オレを見下ろして促す。
 その段になって、オレは気がついた。

「……あ」
「あ?」

 眉を寄せるカイジさんの顔を見て、呟く。

「……ジーンズ、あれ一本しかない」

 あれ、と言いながら、窓の方を指さす。
 物干し竿で揺れている黒いジーンズを見て、カイジさんは大きな目をさらに大きくした。

「……はぁぁっ!? あれ、昨日穿いてたやつだろっ……?」

 頓狂な声に、オレはただ頷く。

「でも、お前昨日、他にも服持ってるって……」
「あれは、シャツの話でしょ」

『このシャツしか持ってねえの?』って問いかけは否定したけど、ジーンズのことまで尋ねられた覚えはない。

 そう言うと、カイジさんは呆れ顔でため息をついた。

「お前なぁ……」
 オレさっき洗っちまったぞ、お前の一張羅。

 そんな責めるような言い方をされても、そう、としか答えようがない。

 オレだって大概、ジーンズの替えの一本くらいは持ち歩いている。
 ただ、最近ちょっと面倒な連中とやりあって、そのとき穿いてたのを派手に汚しちまって、洗うのも新しいのを買うのも面倒で、処分したきりそのままになってただけなのだ。

 ……が、その言い訳は、さらなる小言を呼ぶこと必至だと思ったので、オレが黙り込んでいると、カイジさんは「ちょっと待ってろ」と声をかけ、引き出しの中からなにかを引っ張り出してきた。


「……ほら、」

 差し出されたのは、一本の青いジーンズ。
 インディゴブルーの、まだ新しいジーンズだった。

「それ、やるから。ジーンズの替えの一本くらい、いつも持ち歩いとけ」

 オレは顔を上げ、カイジさんを見る。
 まるでだらしない子供を見るかのような目で、オレを見つめるカイジさん。
 カイジさんの穿いている薄青のジーンズは、オレのたった一本しかない黒いジーンズに負けじと色褪せ、今にも擦り切れそうなほど年季が入った代物だった。


 オレに差し出しているインディゴブルーのジーンズの方が、カイジさんがいま穿いているのより、新しいのは明白だった。
 きっとまだ、数回しか足を通していないであろうそのジーンズを、カイジさんはオレに譲ろうとしている。
 おかしな人だ。素寒貧のくせに、こういうときはいっさい、ためらいを見せない。


 ジーンズ買う金くらい持ってるよ、と断ろうとして、オレは口を噤んだ。
 素直に手を差し出し、真新しいジーンズを受け取る。

 硬く、ごわごわした生地の感触。海のように深く、濃い藍色。
「ありがとう」と呟くと、カイジさんは、おう、と言って、ちょっとだけ照れ臭そうに笑った。


 カイジさんに借りていたスウェットのズボンから、さっそく穿き替えてみる。
 オレとカイジさんは体型が似ているから、そのジーンズはすんなりと穿くことができた。

「どうだ?」
「腰回りがゆるい。あと、裾が短い」
「……やっぱそれ、返してくれねぇ?」

 苦虫を噛み潰したような顔になるカイジさんを、

「礼に好きなものおごるよ。行こうぜ」

 とあしらって、新しいジーンズに包まれた足で、オレは歩き出したのだった。





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