君帰す朝 過去拍手お礼


 
 寝巻きのまま、カイジは静かに窓辺に立った。
 真っ白に曇った窓に数秒、掌を押しつける。

 手を離すと、掌のあとがくっきりと残る。
 カイジの掌のかたちに切り取られた、うら枯れた冬の風景。
 そのなかを歩いていく、ひとりの男の後ろ姿を、濡れた掌をスウェットの裾で拭いながらカイジは眺めていた。


 夜明け前。冬の朝は曖昧な、白っぽい灰色をしている。晒したような男の髪が、すっと溶け込んでしまいそうだ。


 男は今しがた部屋を出ていった。カイジを起こさぬよう身じたくをして、なにも告げぬまま。

 出ていくときは声をかけろと、何度も言ったのに。
 憎たらしい男だ。こんな些細なことですら、なにひとつこちらの思い通りにはならない。

 カイジは渋い顔で、自分の掌のあとの中を歩く男の姿を見る。
 空気の凍る季節に男が訪ねてきたときは、玄関のドアがそっと閉じられたあと、カイジはいつもこうしてベッドを抜け出し、結露した窓に掌を押しつけては、手形の中を歩く白い後ろ姿を見送っていた。

 遠くにちいさく見える男の姿が、なにひとつ思い通りにならない恋人が、束の間でも自分の掌のかたちの中におさまっている。
 そんな風に見えるから、カイジはこうやって男を見送るのが好きだった。


 この薄情者。声をかけろと、あれほど言ったのに。
 どうせ、次も半年後かそこらだろう。
 ……ちゃんと生きてまたここへ来ねえと、承知しねえからな。


 憎たらしい背中に向かって、心の中で毒づいていると、突然、男がくるりと振り返ったので、カイジは目を見開いて硬直した。


 笑っているように見えた。
 遠すぎて表情などわからないはずなのに、なぜだかそんな気がしたのだ。


 男は立ち止まって数秒、カイジの方を見つめていたが、すぐにまた歩き出す。
 カイジは無意識にホッと息をついて、それから苦虫を噛み潰したような顔になった。


 本当に腹の立つ野郎だ。
 なにもかも、見透かしたような顔しやがって。


 ぶつくさと文句を垂れていたカイジだったが、やがて、鼻を鳴らして笑いを漏らした。
 諦めたような呆れたような、脱力しきった笑いだった。



 掴みどころのない男は、カイジの掌のあとをあっさりと抜け出して、その背はやがて白い世界の中に消えていった。






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