温泉へ行こう(※18禁)・1 甘々 ふたりとも変態



 海を臨む小高い丘の上、その建物はひっそりと佇んでいた。
 創業五十年の温泉宿。夏は観光客や海水浴客で賑わうのだろうが、オフシーズンの平日は人影もまばらで、がらんとしている。
 雪混じりの強風が吹き付ける中、入り口前のロータリーに停車した黒い車から、降り立ったのはふたりの若い男。
 
 一人は、スカジャンにジーンズ、頭にはキャップを被った、長い黒髪の男。
 もう一人は、季節感のない紺色の薄いシャツとジーンズ、片手にボストンバッグを提げた、白髪の男。
 
 どう見ても宿の雰囲気には不似合いのふたり。
 白髪の男が、運転手に向かって「明日の十時に」と伝えると、サングラスの男が静かに頷き、車はゆっくりと走り去っていった。

「いいのかよ、アカギ。こんな……ヤーさん、足に使っちまって」
 黒い車を見送りながらキャップの男が言うと、白髪の男は、
「構わねえだろ。向こうが言い出した事なんだから」
 しれっとそう答える。
「入ろう、カイジさん」
 さっさと踵を返し、スタスタと自動ドアへ向かうアカギを、カイジは慌てて追いかけた。


「ようこそ、お越しくださいました」
 フロントにいる眼鏡の男が、にこやかに声をかけてくる。
「二名様でお越しの赤木様ですね。こちらにサインをお願いいたしますーー」
 アカギが入館の手続きをしている傍らで、カイジはぼんやりと辺りを見渡す。

 天井の高い、古い洋館風のラウンジだ。中庭に面した窓からは、しんしんと雪の降り積もる日本庭園が見えた。

 アカギからこの温泉旅行に誘われたとき、カイジは耳を疑った。『温泉旅行』というワードが、普段のアカギのイメージに、まるでそぐわなかったからだ。

 なんでも、代打ちの依頼を引き受けたある組の組長が、アカギの打つ博奕と、その爽快な生き方をいたく気に入り、約束の金を支払うだけでは気が済まないから、礼になにか贈らせてくれと懇願してきたらしい。
 不要だと断っても大人しく引き下がるような相手ではなかったし、それじゃ……と、アカギが要求したのが、カイジとペアでの温泉旅行だった。

『あんた、行きたがってただろ。温泉』

 淡々とした声でそう言われたとき、カイジはちょっと感動した。
 確かに、アカギとふたり、アパートでぼんやりテレビを観ているときなど、鉄道会社のコマーシャルで温泉が映し出されると、行ってみたいとぼやいたことがあったかもしれない。

 そんな些細な呟きを、アカギが覚えていてくれて、自分を誘ってくれたのが恥ずかしくも嬉しくて、カイジはそのことを思い出すだけで、頬が緩みそうになる。

 日常から離脱する解放感に、カイジの心は浮き立っていた。
 この旅行でかかる費用はすべて件の組持ちで、金の心配をせずに心置きなく温泉や旨いものを楽しめるのも、カイジのテンションを高まらせていた。


 宿泊の手続きが終わると、部屋に案内される。
 エレベータで二階に上がり、廊下をしばらく進んだところに、ふたりの泊まる和室があった。

 スタッフが開錠した部屋に中に入ったカイジは、思わず感嘆のため息を漏らした。
 ふたりで泊まるには、広すぎるくらいの和室。
 真新しい畳から立ちのぼる、いぐさのにおいが瑞々しい。
 部屋の奥には障子戸、その向こうには小さな机を挟んでソファがふたつ。
 そして、正面にある大きな窓は、舞い散る雪を飲み込んでうねる真冬の海を一面に映し出していた。

「今の季節は、『青い空に青い海』というわけにはいきませんが、この厳しい景色が好きだと、毎年冬に御来館くださるお客様もいらっしゃるんですよ」
 男はにこやかにそう言った。
「当旅館の目玉である温泉に浸かるにも、いい季節ですし……」
 そう言って、男は窓の横にある、ガラス戸を開ける。

 大人ふたりが余裕で入れるほどの大きさの、黒い岩で囲まれた浴槽の中に、なみなみと湯が注がれている。
 そう。
 この部屋には、露天風呂がついているのだ。

 凍える外気の中、まるで毛嵐のように、湯面からもうもうと湯気が立っている。
 ぱぁっと子どものように顔を輝かせるカイジを見て、アカギはクスリと笑った。
「この露天風呂は、二十四時間、いつでもご利用いただけます。また、一階にございます大浴場には、露天風呂はもちろん、薬湯やサウナなどもございますので、是非ご利用くださいませ」
 そのあと、簡単に部屋の設備の説明をして、男は部屋を出て行った。

 とりあえず荷物を下ろしながら、カイジはアカギに話しかけた。
「なんか、すげぇ部屋だな……」
「そう? 気に入ってくれたなら良かった」
 相変わらずふわふわしながらも、カイジはなんだか気恥ずかしくなってきた。

 思えば、アカギとふたりで旅行なんて、これが初めてだ。
 いつもは気にならないはずの沈黙さえ落ち着かなくなってきて、カイジは窓の外に目をやる。

「この天気じゃ、外には出られねぇかな……」
「まぁ……周りには、土産物屋くらいしかないみたいだし、ここにいる間はずっと、館内で過ごしてもいいんじゃない」
「そうだよなっ……! 大浴場もすごそうだし、料理も有名らしいしなっ……!!」
 頷いて笑うカイジのはしゃいだ様子に、目許を和らげるアカギ。


 今回の宿選び、アカギはすべて、件の組に一任してあった。
 ただし、その際、アカギは希望する宿の条件を、先方にいくつか伝えてあった。

 この季節、雪に覆われる場所であること。
 旅館のそばに、魅力的な観光スポットがないこと。

 つまり、一泊二日の間、外に出る必要がなく、館内にとどまってゆっくりと温泉に浸かるほかに、あまりできることのない宿。
 なおかつ、それでも満足度の高い宿を選ばせたのだ。

 アカギは観光などにまったく興味がなく、カイジとゆっくり過ごせれば、それでいいと考えていたからだ。
 しかし、こんな条件を出した、本当の理由は他にあった。


「さっそく風呂入ろうぜ風呂っ……! 部屋付き露天風呂っ……!!」
 うきうきとガラス戸を指差すカイジに、アカギは静かに頷いてやる。
「うん。一緒に入ろう」
 わざと『一緒に』を強調するように言い換えてやると、カイジはすこし頬を赤くして、それを誤魔化すかのように、いそいそと浴衣の準備を始める。

 温泉に浸かる以外に、できることのない宿。
 それでも、一泊二日ずっと一緒にいれば、ヤれることはたくさんあるのだ。

 自分に背を向けて入浴の準備をする恋人の、腰から尻のラインを視線でなぞり、アカギは人知れず、悪い笑みを浮かべた。



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