年賀状 カイジさんの親戚関係捏造注意
いとこに子供が生まれたらしい。
と、いうことを、送られてきた写真つきの年賀はがきで、カイジは初めて知った。
カタン、とちいさな音をたててポストに落とされた、たった数枚の年賀はがきの中に、それは混ざっていた。
親子三人の写真である。
ふっくらと丸い頬の赤ん坊が、年若い母親に抱かれ、あどけない寝顔を晒している。
母子の傍らに立ち、赤ん坊の父親は、撮られているということを意識しすぎているような、ぎこちない笑顔で白い歯を見せていた。
寒い玄関先で突っ立ったまま、カイジはしばらくその写真に目を落としていた。
写真の中のいとこは、去年の結婚式で見たときよりも恰幅が良くなり、その分、黒いスーツが着映えしているように見える。
赤ん坊の父親とカイジは取り立てて親しい間柄ではなく、年賀状が来るのなんて、小学生のころ以来のことだった。
芳名帳に従って、結婚式の出席者全員に送っているのだろう。
『今年もよろしく』という手書きの社交辞令を感慨なく眺めたあと、カイジは一緒に届いた他の年賀状に目を移す。
実家の母親からと、行きつけのパチンコ屋二件から一枚ずつ。
慣れ切ってしまったこの現実について、カイジはもはや、侘しいとも虚しいとも思わない。
ただ、パチンコ屋以外には返事出さなきゃいけねぇかな、面倒だな、とやや憂鬱になりながら、裸足で床を踏んで居間へと引き返した。
卓袱台の上に年賀状をまとめて放り出し、欠伸しながらタバコを取り出す。
ゆるゆると煙を吸ったり吐いたりしながら、カーテンの隙間から覗く青い空を眺めていた。
外は快晴だ。東京の元旦はなぜか晴れることが多くて、毎年、初詣や挨拶回りに出かける客で、カイジのバイト先のコンビニもそこそこ混み合う。
年明け早々面倒なことが多い、などと苦々しく思いながら、短くなったタバコを灰皿に押し付け、カイジはもう一度、大きな欠伸をした。
年賀状がポストに落ちる音に起こされたが、出かける準備をするにはまだ早い時間だ。
二度寝しようとベッドに向かって一歩踏み出したところで、カイジはピタリと足を止めた。
狭いベッドに沈み込むようにして眠る、男の存在を思い出したからだ。
足音で起こしてしまわぬよう、そろそろと歩いて傍に寄る。
どうやら、よく眠っているようだ。
背を屈め、穏やかな寝息をたてる白い顔を、なんとなく、そっと覗き込むようにして眺めた。
昨夜遅く、その男はカイジの部屋へ転がり込んできた。
大晦日だというのにあちこち傷だらけの薄汚れた姿でやって来て、傷の手当てはおろか、カイジがなにか尋ねる隙すら与えず、家主の体温で温もるベッドに潜り込んでしまったのだ。
そのまま、すやすやと眠りに入ってしまった男に呆れながらも、こんな傍若無人な振る舞いにも慣れっこになってしまったカイジは、ベッドを占領する男の体を壁際に無理やり押しやると、その隣にどうにか潜り込んで寝直したのだった。
ただでさえ狭いベッドの窮屈な隅になど押しやられながら、男は昨晩とまったく同じ体勢で仰向けのまま、深々と眠り込んでいるようだ。
朝の光の下で見ると、その肌色はいよいよ透けるように青白く、目許や口許に乾いてこびり付いている赤錆色とのコントラストが、目に焼きつくようだった。
あまりに穏やかな寝姿なので、死んでいるのではないかと不安になるほどだ。カイジは思わず耳をそばだてて、ごく微かな寝息を確認してしまう。
わずかに疲労の色が滲むその寝顔は、いつもより眠りが深いせいか、ひどく無防備に見える。
それを眺めているうち、なんの脈絡もなく、今しがた見たばかりの写真つきの年賀状が、カイジの脳裏をふっと過ぎったのだった。
写真の中の、幸せそうな親子。
両親の間で安心しきった寝顔を見せている、幸福の象徴のような幼い命と、傷だらけの体で昏々と眠り続ける男を、なぜだか重ね合わせてしまう。
かつて。
かつてこの男も、あんな風な赤ん坊だった頃が、あったのだろうか。
なんだか不思議な感慨が湧いてきて、カイジは息を潜めるようにして男の姿を見続ける。
年賀状には、夫婦の名前の隣に、見慣れぬ小難しい漢字の名前が、ふり仮名付きで書かれていた。
それは新しい命に幸多かれと願う両親の、ありったけの慈しみの気持ちが込められた文字の連なりだ。
赤木しげる。
男がこの世に生を受けたとき、名前をつけた人間が、確かにいたはずだ。
いったいどんな願いを込めて、この名前をつけたのだろうか。
幼い我が子の将来に思いを馳せ、その幸福を、なによりも望んでいたのだろうか。
この男にも、生まれてきたことを祝福され、慈しんで育てられた時期があったのかもしれない。
ぐっと胸に迫るものがあり、カイジは感情に突き動かされるまま、そっと手を延べ、男の真っ白な髪に触れる。
赤ん坊の黒々とした髪とは正反対の、晒した絹糸のような白い髪。
生まれつきこの色だったのかもしれない。だが、もし後天的なものなのだとしたら、若くして髪の色素のいっさいが抜け落ちてしまうような、一体どんな人生を送ってきたというのだろう。
そんなこと、知る由もない。
だけど、すこし運命が違っていたら、この髪は白くなることもなく、アカギは普通に笑ったり泣いたりしながら大きくなって、裏社会で『悪漢』などと呼ばれることなどない、ごく普通の大人になっていたのかもしれない。
そんな、ごくあたりまえの可能性の存在に、カイジは今、初めて思い至ったのだった。
……もしも、アカギが、今とまったくべつの人生を歩んでいたとしたら。
決まった塒も帰る家も持たず、大晦日に不穏な傷を体中に拵えてやって来て、疲れた様子で眠り込んでしまうような生活とは、無縁の人生を送っていたとしたら。
そうしたらきっと、自分と出会うこともなかったかもしれない。
自分に出会う人生と、出会わない人生。
……いったいどちらのほうが、アカギにとって幸福だったのだろうか。
人に依って立つことのないこの男が、人並みの『幸福』なんてものにこだわっているとも思えなかったが、それでも、カイジはそのことに思いを馳せずにはいられなかった。
さらさらした細い髪をやわらかく撫でているうち、透明な雫が、ぱた、と音を立てて男の白い頬の上に落ち、弾けた。
細い眉がきつく寄ったあと、瞼が細く開く。
眠りを妨げられて不機嫌そうな瞳がカイジの顔を捉え、そのまま、ゆっくりと見開かれていった。
「……なんで、泣いてるの」
問いかけてくる掠れた声は、起き抜けであるせいか、淡々としているのにまるでちいさな子供のように素直に響く。
溢れてくる涙を拭うこともしないまま、カイジはアカギを睨むようにじっと見据えた。
「これっきりしか言わねぇから、よく聞いとけ」
重々しくそう告げてから、軽く息を吸い、空気に乗せて気持ちを音にする。
「オレは、お前が、好きだ」
「……」
「お前に会えて本当によかったって、思ってる」
「……」
「そんだけ」
ぐす、と鼻を啜り、カイジは大きく息をついた。
なぜ、こんなことをいきなり口にしたのか、カイジは自分でもよくわからなかった。
だが、どうしても今、ちゃんとアカギを愛している人間がここにいるってことを伝えなきゃいけない気がして、伝えなきゃ後悔するような気がして、頭で考えるより先に、口が動いていたのだ。
嗚咽も漏らさずに涙を流す恋人と、唐突すぎる告白。
それらをどう受け取ったものか、アカギは赤く濡れた大きな目を、瞬きもせず見返していたが、
「……知ってる、よ」
ぽつりとそう呟いて手を伸ばすと、昼の光のなか濡れ光るカイジの頬を、指先でそっと拭ったのだった。
終
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