思案の外 短文
きっと今日も、お前はどこかで生きている。それだけでいい。
そう思って生きてきた。
ちょっとやそっとのことで、くたばっちまうようなヤツじゃないってことはわかってる。どこか一か所にずっと、留まるようなタマじゃないってことも。
水のように風のように、流れていくからこそお前は強い。
どこまでも流れていけ。留めることなど、誰にもできはしない。
どこか遠い地で、きっと今日もお前は生きている。そう思えるだけで充分だ。たとえ二度と会えなくたって、オレと離れたあともお前は飄々と生きていくだろう。
お前はオレのことを忘れるかもしれない。だけどまぁ、それは仕方のないことだから。オレがお前のことをずっと忘れないでいられれば、それでいいんだ。
もし、次、があったなら。
そのときは、普通に笑って『よぉ』って声をかけよう。
何年も会わなかったのが嘘みたいに、気軽に言葉を交わして。『でかくなったな』なんて、ちょっとからかってやったりして。
湿っぽいのは、なんか白けるし。オレとお前らしくない。
いかにも『再会』って感じは要らない。普通でいいんだ、普通で。
そう、思ってた……はずだったのに。
「久しぶり」
その姿を見た瞬間、いろいろごちゃごちゃ考えていた心がたちどころに溶けだして、言葉といっしょにすべて透明な液体に変わり、目から出て行ってしまった。
心配なんてしてなかったはずなのに、どこかで必ず生きているって自分に言い聞かせてたはずだったのに、お前の顔を見たら本当に本当に、死にそうなくらいホッとして、全身から力のいっさいが抜け落ちてその場に崩折れそうになるのを、震える両足で支えるので精一杯だった。
次から次へ、ぼろぼろと溢れ出してくる塩辛い水が音をたてて床に落ちるのを、目で追うように深くうつむいた。
役立たずな心だ。お前を前にしたらなにひとつ、自分の体さえ思い通りにできない。
情けない。カッコ悪ぃ。オレは、お前よりずっと年上なのに。
視界がぼやけてお前がどんな顔をしているかなんてどうせ見えやしないけれども、きっと呆れた顔してるに決まってる。
両目が、痛いくらい熱い。ままならない心と体が歯がゆくて、唇をぎゅっと噛み締めていると、ふいに顎を持ち上げられ、顔を上げさせられた。
記憶の中より、ずっと鋭さを増した双眸。
予想に反して、そこには呆れも失笑も滲んではおらず、揺れない水面のような瞳が、ただ静かに、オレを映し出していた。
なにか、なにか言わなくてはと口を開きかけると、みっともなく戦慄く唇の上に、お前はそっと唇を乗せるようにして、言いかけた言葉を奪っていった。
頭が真っ白になって、ただ間抜けに瞬きを繰り返すことしかできない。
こんなにもやさしいキスの仕方を、お前はいったい、いつ、どこで覚えたのだろう。
嗅ぎ慣れないタバコの匂い。
会わなかった時間の途方もない長さが、急にハッキリと眼前に立ち現れたみたいで、気の遠くなるようなそれに、クラクラと眩暈がした。
「……いきなりこんなことするつもり、なかったんだけどな」
唇を離すと、お前はぽつりと呟いた。
抑揚の乏しいテノール。それは数年前によく耳馴染んだ記憶の中の声と変わらない。
「どうも……あんたを前にすると、自制が利かなくなっちまうらしい」
諦めたようにため息をつき、そう言ってお前は苦く笑う。
心とは、体とは、呆れるほど現金なもののようだ。
あれだけ止めようもなく溢れていたはずのオレの涙は、いつの間にか、嘘みたいにピタリと止まっていた。
終
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