合わせる
古い扇風機が、キシキシと軋むような音をたてながら首を振っている。
蒸し暑い夏の朝だ。卓袱台を挟んだ向こう側、アカギの対面に座る家主は、噴き出る汗で濡れた髪を生ぬるい風にそよがせながら、大あくびをした。
眠たげな黒い瞳は、テレビの天気予報にーー正確には、そこに映る小柄な女性気象予報士に釘付けになっている。
その横顔、こめかみの辺りから流れた汗がひとしずく、輪郭を這い首を伝って、喉もとの小さな窪みで光っているのを眺めながら、アカギは口を開いた。
「カイジさん」
「……んぁ?」
あくび混じりの気の抜けた返事を寄越すカイジは、アカギの方を見ようともしない。
「チャンネル、変えていい?」
そう続けると、カイジはアカギの方をチラリと流し見たあと、濃い眉を顰めた。
「駄目だ。朝は、このチャンネルって決めてんだから。オレはお前に合わせる気なんて、更々ねぇからな」
きっぱりと、取りつく島もない様子でそう言い放ち、ふたたびテレビに集中するカイジ。
べつに、見たい番組があったわけじゃないし、カイジの反応だってわかりきっていたけれど。
アカギは黙ったまま、目線を下げた。
卓袱台の上には、ふたりぶんの朝ごはん。
白米と、カップ入りの納豆。
インスタントの味噌汁。
すこしいびつな形の、目玉焼き。
いつの頃からだろう。こんな朝食が、当たり前のように用意されるようになったのは。
数ヶ月前までは、トーストだった。きっとその方がカイジにとって楽なのは確かであるはずなのだが、ここ最近は、炊飯器で炊いた白いご飯に、ふりかけや納豆が合わせて出されるようになった。
インスタントだけれど、熱々のみそ汁も用意されている。
目玉焼き。これは、パン食の頃から変わらないメニューだ。だけど、回を重ねるごとに、焼き加減が微妙に変化し続けている。
今朝のは、黄身の表面がつやつやと黄色く、ちょうど固焼きと半熟の中間地点のような焼き加減。
先月訪れたときは、もうすこし黄身が緩くて、箸で持ち上げようとすると破れてしまった。
けれど今回はそんなこともなく、箸で摘んでもしっかりとした形を保っている。
そもそも、カイジがきちんとした朝食を作るようになったのも、アカギが幾度目かに滞在したときからだ。
それまでは、コーヒーや水だけで済ませていたようであるから、朝食を作るようになったこと自体が、一番の大きな変化であると言えるだろう。
食べかけの朝ごはんを一頻り眺めてから、アカギは目線を上げ、向かいに座る家主を見た。
アカギは基本的に、出される食事にあれこれ口を出さない。あるものを、黙って腹におさめるだけである。
しかし、言葉に出さずとも、カイジの作る朝食は、どんどんアカギ好みに変化していくのだ。
相変わらず、カイジの視線は画面の向こうの美女に注がれている。
だけど、そんな気のない素振りを見せながらも、カイジはアカギの箸の進み具合を、こっそりと窺っているのだ。
そう確信すると、自分が食事を口に運ぶときの、ソワソワと落ち着かないようなカイジの気配まで、アカギにはもう、手に取るように感じることができた。
「合わせる気なんて更々ない……、ね」
ちいさな声で呟いて、アカギは喉を鳴らした。
次、ここで食べる目玉焼きは、もうすこし黄身が固くなっていることだろう。
まるで実験だ。アカギの好きな焼き加減を、手探りで見つけ出そうとするような。
「……あ? なんか言ったか?」
笑われた気配を察して、大きなつり目がアカギを睨みつけてくる。
その視線をかわすように目を伏せて肩を揺らしたあと、アカギは意図的に鋭い目を細め、『甲斐甲斐しい』なんて形容が死ぬほど似合わない恋人に向かって、はっきりと言い放った。
「キスしていい、って訊いたんだ」
終
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