もてる 短文


 淡雪のように溶けていく白い息の向こう、ショーウィンドウの中の鮮やかな色目を、カイジは見るともなしに眺めていた。

 ジーンズにセーター、スニーカーという出で立ちのマネキンが、気取ったポーズで立っている。
 カジュアルな服装だが品良く魅力的に見えるのは、上から下までハイブランドで統一されているからだということを、店に入るまでもなくカイジは知っていた。

 マネキンの側に、男性向けファッション誌が開いた状態でディスプレイされていて、そこにマネキンが着ているのとまったく同じコーディネートが、丸々一ページを割いて紹介されている。
 ブランドなどには疎いカイジでも、このコーディネートの洒脱さには心惹かれるものがあった。
 外からでは値札まで確認できないから、雑誌に細かい字で書かれた各アイテムの詳細を、目を皿のようにして読んだ。
 読んで、すぐさま諦めた。靴下ひとつとってみても、とてもじゃないがジリ貧のフリーターに手を出せるような代物ではなかったのである。


 ……というわけで、カイジは今、白い息を隔てて幻のように霞むショーウィンドウを前に、遠い目をして突っ立っているのである。
 ぴかぴかに磨かれたガラスに映るのは、いかにも安物のダウンジャケットと、擦り切れたジーンズに身を包み、ついでに髪も伸びっぱなしのボサボサで、昼夜逆転生活の弊害により日中からむくんだ顔の、どこからどう見ても冴えない男。

 ファッション誌にでかでかと踊っている、
『モテる男の冬コーデ特集』
 という見出しが、トドメを刺すようにカイジの心を抉り、もはや乾いた笑いしか出て来ない。


 ひとり卑屈に頬を歪ませていると、いきなり後ろから肩を叩かれ、カイジはビクッとして飛び上がった。
「んだよお前……脅かすなよ……」
 振り向くと、待ち合わせ相手の見知った顔があり、カイジはホッとしたついでに軽く舌打ちする。
「あんたが勝手に驚いただけだろ」
 淡々と言い返すその男が身に纏っているのは、長袖の青いシャツに、穿き古したジーンズ。
 季節感皆無であるという点で、その男のファッションはカイジ以上に、いわゆる『モテ』からかけ離れている。
 だが、雪のように白い髪と肌を持つその男が着ていると、そんな薄着も違和感なく受け入れられるような気がするのが不思議だ。

 男の持つ異常性とファッションが醸し出す異常性が、奇跡的にうまいこと調和しているのかもしれない……などとカイジが失礼な分析をしていると、男ーー赤木しげるが口を開いた。
「カイジさん、なにひとりでニヤニヤしてたの」
「えっ」
 カイジはドキリとする。

 見られていたのか……『高値の花』を前に、歪んだ笑みを浮かべる姿を。
 しかし、確かに後ろから肩を叩かれたはずなのに、なぜ笑っていることがバレたのだろうか?

 カイジの疑問に答えるように、アカギが無言でショーウィンドウを指さす。
 目線を移すと、ぽかんと間抜け面で瞬きしているガラスの中の自分と目が合って、カイジはちょっと赤くなった。

 開き直るかのように、カイジは声のトーンを上げる。
「オレってつくづく、こういう『モテ』だのなんだのってのに無縁だよな、とか思ってさ」
 自嘲気味に言って、カイジは片頬を吊り上げる。
 アカギは黙ったまま、ショーウィンドウの中のマネキンを見つめたあと、カイジに視線を戻して言った。

「カイジさんは、ちゃんとモテてるじゃない」
「……は?」

 さらりと重大発言が飛び出し、またまたドキリとさせられるカイジ。
 数多の浮ついた思考が一瞬のうちに溢れ出し、カイジの脳内を駆け巡る。

 オレが? モテてるって?
 いつ? どこで? 誰に??
 仮に……仮にそれが本当だったとして、どうしてコイツがそんなこと知ってやがるんだ?
 そう思うとコイツの言ってることなんざ甚だ信じがたいけれど、でも、コイツは嘘や社交辞令を口にするようなヤツじゃないし……

「オレに」
「お前にかよ……」

 たったの一言で、ソワソワした気分を見事なまでにぶった斬られ、いっそ清々しさすら感じながらカイジはフニャフニャと脱力した。

 ドッと疲れたような顔でため息をつくカイジに、アカギは眉を上げて言い放つ。

「『お前にかよ』って……あんた、オレ以外にモテる必要なんざねえだろ」
 つけつけと尊大な物言いに、もはや何をか言わんやという気分になったカイジは、しょぼしょぼと背中を丸めて独り言のように呟いた。
「ないです……」
「なんで敬語なの」
 すかさずアカギから入れられたツッコミには答えることなく、「……腹減った。もう行こうぜ」と、カイジはショーウィンドウに背を向け歩き出す。

 すぐにふたつ並んだ足音を聞きながら、カイジは顔を上げ、ふっと体の力を抜いた。

 まぁ、いいか。服装なんてどうだって。
 どうやらオレは、今のままでもコイツにはモテてるみたいだし。

 不覚にもアカギのさっきの言葉を、存外嬉しく感じている自身に、カイジは気がついていた。
 なにげない素振りで、隣を歩く男の横顔をチラリと盗み見る。

 十二月に平気でこんな寒々しい格好してる変人となら、むしろ冴えない今のオレくらいが、ちょうどお似合いなんだろう。

 そんな風に考えて、面映ゆいような嬉しいような、なんとも微妙な気分になったカイジは、思わず苦笑を漏らす。
「今度はなにが可笑しいの」と隣の恋人に問いかけられ、カイジは首を横に振ると、
「嬉しいんだよ。お前にモテて」
 冗談みたいな明るい口調でそう言って、ニッと笑った。






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