wordless

 

 疲れきった顔で眠るカイジの顔を、アカギはじっと眺めていた。
 もう、じきに夜が明ける。カイジが気を失うようにして眠りに落ちてから二時間あまり、アカギはその隣に寝そべって、まんじりともせずに恋人の寝顔を見つめていたのだった。

 傷のある頬には、乾いた白い涙痕がうっすらついている。
 もともとよく泣くカイジだが、こんな風に跡が残るほど涙を流させる原因を作ったのは、他でもないアカギであった。

 つまり、激しく求めすぎた。
 カイジと会うのは久々だったし、ブレーキが効かなかったのだ。

 そんなに溜まっているという自覚もなかったのに、玄関の扉の向こう、うつむいて照れたように突っ立っていたその顔を見た瞬間、目眩がするほどの欲望を感じて体が震えた。
 衝動的に目の前の唇に噛みつき、抗議の声を相手の吐息ごと奪い、乱暴に押し倒した。
 めちゃくちゃにしてやりたくて、性急に服を剥ぎ取り、感じる場所ばかり執拗に責めた。
 気の狂いそうな快感に恋人が泣き叫び、強くかぶりを振って本気で拒絶を口にする頃、その体内に強引に押し入れば、アカギをぎゅうぎゅうと締めつけながら、カイジは喉を大きく反らして声もなく絶頂した。

 その後、アカギはカイジの中で二度果てたが、激しく突き上げてもカイジはほとんど抵抗もしなければ声も上げなかったし、射精もしなかった。
 快楽地獄のような前戯でなにもかも出し尽くしてしまった様子だったが、その割には、中の弱いところを突くたびに内壁がびくびくと痙攣し、軽い絶頂を幾度も繰り返し味わっているようだった。
 吐き出すものがなくなった鈴口のちいさな穴が、オーガズムに達するたびヒクヒクと健気に蠢いていて、半ば意識を手放しながらも男根に刺激されてイキまくっているその姿が、痛々しくもひどく淫らでアカギの情欲を煽った。


 それでも、玄関先では襲わずにベッドでコトを成したのは、アカギの最後の理性であり、思いやりだったといえよう。
 だが、そこから先は文字どおりただの獣同然で、カイジが泣いて嫌がっても構わず、むしろ燃えてより激しく貪るという傍若無人さで、カイジを抱き潰したのだった。


 こういったことは、実は今までにもあって、でもカイジと出会う前のアカギには、一度もなかったことだった。
 まるで月を見ると変身する狼男みたいに、アカギはカイジを見ると獣になってしまう。
 本能的なそれは御しがたい衝動だが、今回は間が空いていたせいか、いつにも増してひどい扱いをしたという自覚があり、死んだように眠る恋人に対して、アカギはそれなりに悪いと思ったのである。




 半開きの唇から漏れ出る寝息は穏やかで、そのことにわずかな安堵を覚えながら、アカギは濡れた黒い睫毛を見る。
 カイジの睫毛は短いが、一本一本が濃いうえに生えている密度が高いため、大きな目許の印象をよりくっきりとさせている。

 今度この瞳が開いたら、とりあえず、ちゃんと悪かったと言おう。

 悪漢と呼び習わされる男にしては、意外すぎるほど素直な心の流れであるが、それだけアカギがカイジを大切に思っているということの証左でもあった。



 ときおり体制を変えつつ、飽きもせずアカギはカイジの寝顔を見つめ続ける。
 枕に頬杖ついてアカギがじっとその顔に見入っていると、しばらくして、穏やかだったカイジの表情がくしゃりと歪んだ。

 目は閉じたまま、濃い眉をぎゅっと寄せ、意外に高い鼻を不快そうにムズムズと動かしている。
 やがて、大きく口を開いたかと思うと、体を緊張させながら幾度か大きく息を吸い込んだ。

 そのまま、数秒。
 やがて、カイジは諦めたようにふっと体を緩め、吸い込んだ息をため息に変えて大きく吐き出す。

 どうやら、くしゃみが不発に終わったらしい。
 首許まですっぽりと布団に包まり、据わりの悪そうな表情でもぐもぐ言っているカイジを見て、アカギの頬が、知らず、緩んだ。

 すると、まるでそれが引き金にでもなったかのように、濃く短い睫毛がふっと持ち上がり、濡れた三白眼が現れた。
 ぼうっとした顔で緩慢な瞬きを繰り返し、ようやく焦点の合った瞳がアカギを捉え、そのまま、ゆっくりと大きく瞠られていく。

 眠気が吹き飛んでしまったかのようなその様子を不審に思いつつ、アカギはとりあえず口を開いた。

「おはよう」

 すると、カイジは体をピクリとさせ、ぎこちなくアカギから目を逸らした。

「お前……そういう顔するんだな……」

 ボソボソと呟かれた言葉は、布団でくぐもって聴き取りにくかったが、
「そういう顔、って?」
 耳ざといアカギが問いかけると、カイジはチラリとアカギの方を見て、口をへの字に曲げた。

「自覚、ねぇのかよ……」
 問いへの答えを得られないまま、あまつさえ「恥ずかしいヤツ」などと意味不明の罵倒をされ、普通なら怒りを覚えても許されるところではあるが、アカギが感じたのは純粋な疑問だった。

 なぜなら、カイジの表情からは、アカギを馬鹿にしてやろうという悪意が、微塵も感じられなかったからだ。
 そこに浮かんでいるのは、戸惑いや気まずさ、それからわずかな照れ。それらを、ぶっきらぼうな表情の下に隠そうとしている。


 アカギは眉を寄せ、もう一度同じ問いを投げかけようとしたが、そこでふと、先刻の無体についてカイジに謝ろうとしていたことを思い出した。

「カイジさん、さっきは……」
「あ? あ〜……いいよ。もういい……怒る気失せた……」

 謝罪の言葉を遮られ、はぁ〜……とため息までつかれ、細い眉を上げるアカギ。
 腑に落ちない顔のアカギを恨めしそうに見遣り、カイジはもう一度、深くため息をついた。

「お前……さっきのあの顔……よりにもよってオレ相手にって……相当、もったいねぇぞ……」

 一瞬、その場の空気が固まった。
 非常に珍しいことに、アカギはカイジの言葉の意味を咄嗟には把握できず、幾度か瞬きを繰り返した。
 そして、きまりが悪いような面映ゆいようなカイジの表情を思い出し、一気に理解が及ぶと、アカギはひどい渋面になった。


 眠りから覚めたカイジが真っ先に目にしたであろう、自分の表情。
『お前……そんな顔するんだな……』
 そんなことを言われるほどの、いったい、どんな顔をしていたというのだろう。
 どんな顔で、カイジの寝顔を眺めていたというのだろう。


 その答えは、先ほどからのカイジの言葉や表情が、嫌というほど物語っていた。
 カイジが言っていたとおり、アカギにはまったく自覚がなく、そのことが、ますますアカギを渋い顔にさせた。

 目覚めたら真っ先に謝ろうと思っていたのに、それとはまったくべつの気持ちが、どうやら顔に出てしまっていたらしい。
 落ち着かなさげに視線をうろつかせているカイジを前にして、今度はアカギが深くため息をつく番だった。

 いくら言葉を尽くしても、伝わらないときはとことん伝わらないくせに、なにも言わなくても勝手に伝わってしまうこともある。

 恋とは、そういうことがままあるものなのだと知って、アカギはげんなりする。
 とりあえず、これ以上余計なことを言われる前にと、カイジの方へと身を乗り出して、邪魔な言葉を唇で塞いで止めた。






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