日曜日・1


 一目見た瞬間に、こいつは特別だって分かった。
 偶然、同じ日に、同じ学校にやってきた、同い年の転校生。
『すごい偶然もあるもんだなぁ』なんて、暢気な感想を述べている担任の隣で、うつむいて背を丸めているそいつが、チラリとオレの方を見た。
 切れ味のいいナイフみたいな眼差し。心臓を串刺しにされたオレは、新しいクラスメート達の前で立たされてる間もずっと、そいつの横顔ばかり見てた。

 伊藤しげる、って名前だけ覚えた。
 他のクラスメートのことなんて、どうでもよかった。




 日曜日。繁華街は人でごった返している。
 人混みを縫って歩きながら、目的の場所を目指す。
 途中、ゲームセンターの前でたむろしている、同い年くらいの男女の集団の前を通り過ぎる。

 クラスメート達もきっと、休日はゲームセンターやカラオケで遊ぶのだろう。
 オレはそんなものに興味はない。足早に歩いてたどり着いたのは、古ぼけたビル。
 眩しさに目を細めながら、二階の窓を見上げる。
 そこは雀荘だった。噎せ返るタバコの煙とか、牌をかき混ぜる音とか、低い声の会話とか、そういうのを妄想しながら深呼吸する。
 なんとか入れないかと画策したこともあったけど、失敗に終わった。伊藤と二人麻雀するのもいいけど、やっぱり本物の雀荘で打ってみたいという憧れはある。

 よし、次はパチンコ屋へ行こう。
 雀荘にひとしきり熱い視線を送ったあと、立ち去ろうとしたオレの目の前を、真っ白なものが横切った。
 猫だ。毛足が長い。つられて後を追う。生き物は嫌いじゃない。
 つかず離れずの距離を保ちながら、左右に揺れるふさふさのしっぽを追っていると、白猫はどんどん人気のない場所へと進んでいって、狭い路地裏に入っていった。
 薄暗いそこが猫の目的地だったらしく、居酒屋のゴミ箱をせっせと漁り始めた。見るともなしにそれを眺めていたオレの耳に、突然、ドスのきいた男の声が飛び込んできた。
 なにやら揉めているらしい。興味の赴くまま細い路地を突き進み、怒号の飛び交う方をそっと覗き見る。
 三人の男たちが、よってたかって誰かを取り囲んでいる。ケンカだろうか。囲まれているヤツが、なにやらボソボソ言っている。声がちいさくてよく聞き取れないが、なにかが男たちの逆鱗に触れたらしく、ひとりがそいつの胸ぐらをつかんで殴りかかった。
 勢いよくゴミ山に倒れ込んだそいつの顔を見て驚いた。オレのよく見知った顔だったから。
 そいつーー伊藤は、顔を歪めながら殴られた頬に手を当てている。
 立ちあがることもできないのか、ゴミ山に埋もれたままの伊藤に、男たちは更なる罵声を浴びせながら、殴る蹴るの暴行を加え始めた。
 
 ーー助けなきゃ、

 体を丸め、されるがままになっている伊藤を見た瞬間、勝手に足が動いていた。

「伊藤っ!!」
 走りながら大声で名前を叫ぶと、男たちが一斉にオレの方を振り返る。
 その足許、顔を庇うように構えた腕の隙間から、少し見開かれた三白眼が覗いた。
 男たちが気を取られているうちに、オレは素早く走り寄って伊藤の腕を掴み、ゴミ山から引っぱり上げた。
 怒声を背に受けながら、歯を食いしばって走り出す。
 
 自慢じゃないが、昔から逃げ足の速さには自信がある。
 縦横無尽に路地を駆け回り、頃合いを見計らって光の射す方へと全速力で走った。

 通りにまろび出ると、明暗の差で目が眩んだ。
 ふってわいたような騒々しさのなか、歩く人の間をすり抜けるようにして走る。
 強く掴んだままの伊藤の腕から、低い体温が伝わってくる。
 もう、罵声は追っかけてこなかった。



 鷲巣神社の石段の前で足を止める。
 さすがにこんなところまでは追ってこないだろう。汗だくの額を手の甲で拭いながらぜえぜえ言ってると、伊藤が声をかけてきた。
「おい」
 結構な時間走っていたというのに、伊藤はやけに涼しげな顔で、汗ひとつかいていない。さっき殴られた左頬が、痛々しく腫れている。
「手」
「え?」
「離せ」
 腕を軽く振って伊藤が言う。
 ああ、離すの、忘れてた。パッと手を開くと、よほど強く掴んでいたのか、伊藤の腕にはくっきりとオレの指の跡が残っていた。
 掴まれていた腕をさすりながら、伊藤はオレを見る。
「お前、あんなとこで何してたんだよ」
「……それは、こっちの、台詞なんだけど……、」
 苦しい息の合間にそう返すと、伊藤はスッと目を逸らした。
「……べつに……、街歩いてたら、肩ぶつかって、因縁つけられただけ」
 ……くだらねぇ。オレはちょっと脱力する。
 確かに、伊藤は人混みを歩くのが苦手だった。さっき走っているときも、ときどき、なにかにぶつかる音が、後ろから聞こえていたし。
 けっこう鈍臭いんだよな、コイツ。スポーツも、わりと苦手みたいだし。
 普通に歩いていただけなのに、たまたまタチの悪い連中にぶつかってしまい、街中でどやしつけられる伊藤の姿が、目に浮かぶようだ。

 なんだか可笑しくなってきて笑うと、伊藤は渋い顔になる。
 笑ったことで、無意識に緊張していた体が緩んだ。オレはぐーっと伸びをして、大きく息を吐く。
「ちょうどいいや。今日こそ、限定ジャンケンの決着つけようぜ」
 石段を仰いで不敵に笑うと、伊藤はまっすぐオレを見た。
 ナイフのような目が、鋭く光る。その眼差しにゾクゾクして、オレはますます、愉しい気分になったのだった。



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